第53話 「そして、夢が動き出す」


 小鳥のさえずり、穏やかな日差し。
「ん……」
 ヤヨイはいつになく清々しい気分で目を覚ます。
 近くを見ると、まだナギサは眠っており、起きる様子は無い。
 普段は一番早い彼女だが、どうやらこの場所の心地良さに原因があるらしい。
「……どうすればいいんだろ」
 雲一つ無い空を見上げながら、ヤヨイはぽつりと呟いた。
 いつでもきびきびしている彼女だったが、珍しく緩慢な動作で小さな身体を起こす。
「私は……どうしたいのかな……?」
 ヤヨイは再び自分に問いかけるように言葉を紡ぐと、バンダナを巻いてから部屋を後にした。



 外に出たヤヨイが最初に耳にしたのは、薪を割っている軽快な音。
 一定のリズムで刻まれる所から、それを行っている人物がよほど手馴れているのだと分かる。
 そして思い当たるのは、ただ1人――――この場所に町を作るという夢を持つ老人である。
「おはようございます!」
 ヤヨイが音を辿って小屋の裏側へ行くと、そこには予想通りトバリの姿があった。
「おはよう。もしかして、起こしたか?」
 申し訳無さそうに尋ねてくる老人に、ヤヨイはゆっくり首を振る。
 そして、にっこりと笑ってから、こう答えた。
「何となく、目が覚めただけですよ」
「…………」
 するとトバリは、眉間に皺を寄せて側の切り株に腰を下ろす。
 彼女は一瞬きょとんとするが、すぐに走り寄って、隣に座り込んだ。
「良い天気ですね」
「……ああ」
 ヤヨイと同じ様に空を見た彼は、気の無い返事をする。
「いつもこの時間に、薪割りをしてるんですか?」
 更に尋ねた彼女へ、トバリは口を開く代わりに重々しく頷いた。
 そんな彼に感化されたのか、ヤヨイの心は表情と共に曇り始める。
(……あ)
 トバリの顔が直視出来なくなった彼女は、困った様子で周囲に視線を巡らせた。
 その時、明らかに多く作られた薪が目に入ってくる。
(ずっと…………待ってたんだ)
 1人で生活するには、十分過ぎる量。いざという時の為、という事も考えられなくは無い。
 だが、ヤヨイは何となくこう思った。

 それが、これから訪れるかもしれない人たちの為という事に。

 やがて人が集まって町作りが始まれば、使う量も増え、薪割りをする時間も無くなってしまう。
 それに1人では、何もする事が出来ないとトバリは言っていた。
 だから、彼は毎朝こうして薪割りに励んでいたのではないか、と。
(本当に……ずっと……夢を信じてるんだ)
 どれほどの間、トバリはここで待ち続けていたのか、それは分からない。
 しかし、膨大な薪を見れば、決して短くない事は容易に想像出来る。
「……トバリさん……お聞きしても良いですか?」
 気まずい沈黙の中、顔を上げたヤヨイの唇から、自然と声が零れ落ちた。
 彼はやはり何も答えないまま、皺の奥に隠れた瞳だけを目の前の少女に向ける。
 ヤヨイは一度瞬きをした後、意を決した表情でこう尋ねた。

「トバリさんは――――どんな町を作りたいんですか?」

 漠然とした質問。しかし、彼は少しも考える素振りを見せず、すぐに返事をする。
「夢、叶う町」
「……夢?」
 問い返したヤヨイの瞳には、トバリの穏やかな顔が映っていた。
「町作る、わしの夢。だから、そこに住むみんな、幸せになって欲しい」
 1人や2人では町とは言えない。だから、彼が夢を叶えるには大勢の人間に集まってもらう必要がある。
 町の外観よりも、トバリの目には幸せそうな人々の笑顔が見えているのかもしれない。
 きっと、それを見て微笑んでいる自分の顔と心さえも。
「……素敵ですね」
 穏やかに呟いたヤヨイは、ふと彼と自分を重ね合わせる。
(私の……夢って……何だろ?)
 今までは、ただ旅の商人になりたいと迷う事無く願っていた。
 勿論、色々な道具に触れるのも好きな事に変わりは無い。
 だが、元々は離れ離れになった両親を捜すという所から来たものだ。
 改めて考えたヤヨイの心に静かな、それでいて大きな波紋が広がり始めた。
「トバリ、さん……」
「どうした?」
 彼女は怯えた声で、再び言葉を紡ぎ出す。

「例えば私が……町を作るお手伝いをする事になっても――――夢を見ていいんですか……?」

 問いかけと同時に、乾いた土の上へぽつりと涙が落ちた。
「……ヤヨイ」
「え……わっ」
 トバリがゆっくりと手を伸ばし、ヤヨイの頬を伝う涙を拭うと、その雫が深く刻まれた掌の皺に滲みこんでいく。
「町、みんなで作る。だから……みんな、夢、見て欲しい」
 彼女は自分の手をそっと彼の手に重ねて、ただ温もりに心を預けるのだった。



 結局、他の4人が目を覚ましたのは昼を過ぎてからだった。
 長く船に揺られる事に慣れていなかったせいか、知らず知らずの内に疲れが溜まっていたのだろう。
 そして、夕食の時間。テーブルの上には、スーの薬草で作られた緑色のシチューが湯気を立てている。
 味はつい難しい顔になってしまう程の苦さだったが、身体中が澄みきっていくような不思議な料理だった。
「あの……」
 不意にヤヨイが遠慮がちに呟くと、全員の視線が一斉に注がれた。
 だが、誰も何も言えないまま、息を呑む音だけが部屋に響く。
 最初は口をもごもごさせるだけの彼女だったが、頬を両の掌でパンと叩くと勢い良く顔を上げる。
 それから一度だけ大きく息を吸い込むと、はっきりとした口調でこう言った。

「私……決めました」

 ヤヨイの瞳には微かな不安が滲んでいたが、迷いはなく、何処までも真っ直ぐだった。
 そして、言葉と同じく、揺るがない強さも備わっている。
「……どうするの?」
 間を置いて紡がれる、緊張を隠しきれないナギサの声。
 その隣では、ラザも同じ事を言おうとしていたらしく、口元を手で覆っていた。
 しかし――――リノとトラッドは顔を上げる事も出来ず、ただ言葉を待っている。
 そんな中で、ヤヨイは穏やかに微笑みながら、こう告げた。

「私は――――ここに残ります」

「ヤヨイ……それ、本当?」
 真っ先に尋ね返したのは、そうなる事を一番願っていたはずのトバリ。
「はいっ! ちゃんとお手伝いできるか、分かりませんけど……」
「夢……動き始めた……!」
 シチューの上に、いくつもの雫が零れ落ちる。
 だが、トバリはそれに構う事無く、ヤヨイの手を強く握り締めた。
「……ヤヨイちゃん」
 その時、静かな部屋の中に呆然と彼女の名前を呼ぶ声が響き、顔を上げた先にはナギサの笑顔があった。
「ナギサさん……ごめんな――――」
「謝らなくて良いわよ」
 怯えるヤヨイの言葉を遮ると、複雑な笑顔で彼女は話を続ける。
「勿論、離れ離れになるのは寂しいけど……でもね」
「…………はい」
 そこで一旦、ナギサは深呼吸をすると、嬉しそうなため息と共にヤヨイの頭に手を置いた。

「ヤヨイちゃんが一生懸命考えて出した答えだもの。やっぱり笑顔で応援したいじゃない?」

「ナギサさん……!」
 彼女は手を離し、口元を押さえる。だが、そんな意思とは関係なく、黒い瞳からは涙が零れ落ちてきた。
「それに……ずっと会えないわけじゃない」
「え?」
 次に言葉を紡いだのはラザ。ヤヨイは弾かれたように彼を見る。
「どんな町になるのか……楽しみでもあるからな」
「……ラザさん……」
「いつでも、とはいかないけど……時々立ち寄るぐらいなら問題ない」
「あ……はいっ! いつでも……いつでも待ってますから……!」
 ナギサとラザは、それぞれの言葉でそれぞれの別れを告げる。

(……俺は何を言えばいいんだ……?)

 俯いたままのトラッドと、

(……ナギサの言う通りなのに……どうしてすっきりしないんだろ……?)

 顔を下に向けて拳を固く握るリノの2人は――――口を開く事すら出来なかった。



 食事を終えて、しばらくしてからの事。
 トラッドとヤヨイは、肩を並べて小屋のすぐ側の森を歩いていた。
「ヤヨイ……話って?」
 彼は今までとは違った緊張を浮かべ、震えた声で隣の少女に問いかける。
 しかし、彼女は先ほどのトラッドのように下を向いたままで、返事どころかこちらを見ようともしない。
「……ヤヨイ……?」

 …………………

 湿気を帯びた風が木々を揺らし、彼はより一層不安を募らせていく。
(……ん?)
 不意にトラッドは誰かの気配を感じ、その方角へ呼びかけようとした。
「……ごめん、なさ……い……」
「え?」
 だが、それよりも早くヤヨイの切なげな声が、途切れながら耳に入ってくる。
(……殺気は無い……けど、一応気をつけておかないとな)
 そう思った矢先だった。
「……嫌いに、なりました?」
「え……」
 トラッドの全神経が、その一言で彼女に集中する。
「私はもう……師匠、って呼んじゃダメなんですか……?」
「……ヤヨイ?」
 言葉に秘められた想いは、彼の背筋を凍りつかせるには十分過ぎるほどだった。
 目の前のヤヨイとは違う悲しみを帯びた声で、トラッドはただ顔を伏せながら問い返す。
「何で……そんな……」
「だって―――――」
 彼女はそこでようやく前を向き、叫びにも似た音色を紡いだ。

「ずっと……師匠がずっと何も言ってくれないから……!」

 ………………………

 静寂の中、トラッドは自分への苛立ちを隠し切れず、銀髪を指で乱れさせながら口を開く。
「……違う」
「何が……ですか?」
 遠く響いた言葉をなぞる様にヤヨイが呟くが、彼は答える素振りを見せずに話を続けた。
「何も教えれないのに、師匠って慕ってくれる弟子に……俺よりもよっぽど強い心を持っているヤヨイに……何て言えばいいのか分からなかった」
 再び風が森をざわめかせ、2人の間を吹き抜ける。
 それは、先ほどよりもずっと肌寒く、まるで纏わりつくような風だった。
「……違います」
「え……?」
 返ってきた否定の言葉に、今度はトラッドが呆然と問い返す。
「私は……強くなんてないです。もし、そう見えるんでしたら……それは、師匠や皆さんに支えてもらってるからです」
「……俺は何も」
「それに!」
 ヤヨイは彼の声を遮って、はっきりとした口調でこう言った。

「……師匠がいてくれたから――――こうして、決める事が出来たんですよ?」

「…………そうか」
 ふと彼女の瞳を見たトラッドの表情は、幸せそうな笑顔だった。
「だから、これからもお願いします!」
「へ?」
 間の抜けた声を出す彼に、ヤヨイはわずかに頬を染めながら呟く。
「これからも……その……私の師匠でいて下さいね」
 トラッドは何も答えず――――ただ、いつものように彼女の頭を撫でるのだった。


「……あ」
「ん?」
 小屋へ戻ろうとした時、突然ヤヨイが足を止める。
「……先に戻っててもらってもいいですか?」
「どうかしたのか?」
「えっと……もう少しここにいたいかなぁ、って」
 彼女は自分の選んだ道を後悔していない。
「……足元に気をつけてな」
 だが、やはり色々思う所があるのだろう、そう考えたトラッドはそれだけ言うと、静かにその場を後にした。
 誰もいなくなった森の中。ヤヨイは辺りをきょろきょろ見回し、彼が立ち去った事を確認してから小さな声で呼びかける。
「リノさん……ですよね?」
 大木の影から姿を現わしたのは、黒い髪と瞳を持つ少女。
「……気付いていたのか」
「はい。ついさっき、姿が見えたので……でも、どうしたんですか?」
 リノはゆっくりと彼女に近づき、俯いたまま頭を下げる。
「あの……ごめん。聞くつもりは無かったんだけど……」
 その行動に慌てたヤヨイは、すぐに彼女の顔を上げさせる。
 しかし、それでもリノは視線を合わそうとしない。
「リノさん……」
 彼女が何故そうしたのか、ヤヨイには何となく分かっていた。
「そんな、気にしないで下さい…………それに私は」
 だが、それを敢えて口にせず、代わりにこう告げる。

「師匠とリノさん――――2人一緒にいるのを見るのが好きなんです」

「えっ……?」
「だから、頑張って下さいね!」
「あ……う、うん」
 リノにはその言葉が何を意味するのか分からなかったが、何かを感じ取った心は自然と彼女の体温を上昇させた。
 ヤヨイは満足げにくすりと笑うと、小屋へ戻ろうと歩き始める。
「そういえば……ヤヨイ」
 続こうとしたリノだったが、ふと何かを思い出し、すぐに足を止めた。
「はい?」
「……どうして残ろうって決めたんだ?」
 彼女の目的は両親を捜す事で、それならば旅を続ける方が良いように思える。
 だから、リノは単純に疑問を抱いたのだが、ヤヨイはこう返事をした。
「トバリさんが言ったんです……私も含めて、みんなの夢が叶う町にしたい、って」
「夢……?」
「力不足かもしれないですけど、お手伝いしたいんです」
 それなら彼女の夢はどうなるのか、リノはそう尋ねようとした。
「それに町が大きくなれば――――お父さんとお母さんが来てくれるかもしれませんから……」
「…………」
 ヤヨイの夢は何一つ変わっていない。ただ、歩む道が変わっただけで。
 その証拠に、呟く彼女の瞳には希望の光が満ち溢れていた。
「……叶うといいな」
「…………はい」
 互いの短い言葉を最後に、2人の少女は森を後にした。



 翌朝。まだ少し霧が残る中、リノたちはヤヨイとトバリに見送られて出発する。
「じゃあ……身体には気をつけるんだぞ」
「はい! 皆さんも……また遊びに来て下さいね」
 陸を離れていく船に、大きく手を振り続けるヤヨイ。
「また……会えますよね……」
 しばらく経った後、彼女がそう呟く頃には船の姿は見えなくなっていた。
「……ヤヨイ、もう行く」
「……はい!」
 トバリの言葉に元気な返事をするヤヨイは、いつの間にか浮かんでいた涙を手の甲で拭い去る。


 彼女の新しい旅は、こうして始まりを告げるのだった。



次の話へ

目次へ