第54話 「竜の遣い」


 翌朝、リノたちはヤヨイと別れた後、細い川を上ってスーの村を目指した。
 地図だけを頼りにしていれば2日はかかりそうな行程だったが、トバリが道を教えてくれたおかげで1日目の昼過ぎに辿り着く事が出来た。
 そのまま宿に向かっても良かったのだが、トラッドは急に足を止め、こう提案する。
「折角だし、村長さんにも会おうか?」
「どうして?」
 何の前触れも無い言葉に、ナギサは疑問を露わにする。
「トバリさんの事、やっぱり伝えておいた方がいいと思って」
「……それもそうね」
 村に入り、リノたちが旅人だと分かると、その内の何人かが彼の事を尋ねてきた。
 大陸の西の海岸に町はなかったか、と。
 そこでトラッドが、トバリと会った事を話し、これから町を作るという事を伝えると、誰もが嬉しそうな顔を浮かべた。
 どうやら村人たちは全員、あの老人の事を心配していたらしい。
 そう考えると、村の長も同じ気持ちに違いないと思い、彼はそう提案したのだった。


 村の一番奥にある大きな家。入口に立っていた老婆は、リノたちを快く招き入れた。
 中にいたのは、お腹の辺りまである白い髭を持ち、何処かトバリに似ている老人。
 おそらく長であると判断した4人は、とりあえず挨拶をする。
 そして、早速トラッドがトバリの名前を口にすると、村の長は老人とは思えないほどの素早さで詰め寄ってきた。
「それ、本当か!?」
「は、はい!」
 驚きながらも返事をする彼の両手は、すでに力強く握り締められていた。
 だが、それも束の間の事で、掌を包み込むざらついた感覚はすぐに離れていく。
 目まぐるしい時間の流れにトラッドだけでなく、他の3人も目を丸くしていた。
「これ、持っていけ」
 それから4人が我に返った時、目の前にいたのは一本の杖を持った長。
「もしかして……いかづちの杖?」
 蝙蝠の羽を持った鳥の飾りに見覚えがあったのか、ナギサが問いかけるように呟くと、長は感心した様子で頷いた。
「トバリ、助けてくれたお礼」
「……いいんですか?」
 差し出される杖に、彼女は珍しく戸惑ったまま受け取ろうとしない。
 しかし、長は柔らかい表情を見せた後で、嬉しそうにこう告げた。
「トバリ、わしの弟」
「え?」
 記憶を遡っているのか、白い睫毛の奥にある黒い瞳は目の前のナギサを見つめていない。
「昔から、トバリ言ってた。町、作るのが夢、と」
「…………」
「手伝ってくれたお前たち、恩人。だから、気にしなくていい」
「……なるほどな」
 そこでラザは、これまでに話しかけられた村人たちの事を思い出す。
 大きな夢を持った人間を応援する気持ちは分かるが、何処か畏まった口調だった。
 最初は少し気にかかっていた程度だったが、今となってはその理由がはっきりと分かる。
(まぁ、さして重要な事ではないが)
 だが、それで村人たちの心が変わるわけでもない、と彼は思い、結局それ以上何も言おうとしなかった。
「じゃあ……ありがたく使わせて頂きます」
 ラザが目の前の光景に意識を戻すと、ちょうどナギサがいかづちの杖を丁寧な仕草で受け取っていた。
 長はうんうん、と笑顔で頷いていたが、何かを思い出したのかポンと手を叩く。
「恩人、良ければ竜の遣い、会う」
「竜の……遣い?」
 聞き慣れない言葉に、リノはぼんやりと呟いた。
「家を出て、東の大木の下。きっといい事、教えてくれる」
 もし、物知りな人間がいる、とでも言われれば、素直に頷いたのかもしれない。
 しかし、竜の遣いという想像もつかない言葉のせいか、リノは困ったような顔でトラッドを見ていた。
「……今日はこの村に泊まるんだし、別にいいと思うけど……」
 返ってきたのは不安そうな言葉。リノと似たような表情から、おそらく彼も同じ事を考えていたのだと分かる。

 ……………………

 妙な沈黙。それを破ったのは、上機嫌な様子のナギサ。
「折角だし、行ってみましょう。ここでじっとしてても、何も分からないし」
「……うん」
 その一言で覚悟が決まったのか、結局リノはこくりと頷くのであった。



「場所は……間違ってないわよね」
 ナギサはきょろきょろしながら、何となく3人に問いかける。
 4人はその後、長に教わった通り、家を出て太陽の昇る方角へと足を向けた。
 確かに大きな木はあるのだが、竜の遣いらしき人物がいるどころか、木にもたれかかって気持ち良さそうに眠っている白い馬が一頭いるだけである。
「そのはずだけど……誰もいないな」
 トラッドは返事をしながら、ぼんやりとコンパスを眺めていた。
「……竜の遣い、か」
「どうかしたの?」
 不意に呟くラザに、ナギサが訝しげな声で尋ねる。
「いや……どんな姿なのかと思ってな」
「……やっぱり竜なんじゃない?」
「竜……って、やっぱり……」
 書物でもよく記されている一般的な竜といえば、鱗がびっしり張り付いた長い身体と髭。
 そして射抜かれてしまいそうな鋭い眼光と凶悪な牙を持っていた。
 また、モンスターとして記されている書物もあり、現にこれまでの旅でも何度か襲われている。
 互いに頷き合う2人の脳裏には、そんな姿が描かれていた。
「……話、出来るのかしら?」
「え?」
 ナギサのふとした疑問に、リノが顔を曇らせながら聞き返す。
「実はスーの人たちとしか話が出来ない、ってありそうじゃない?」
「……でも、いい事を教えてくれるって……」
「だけど、私たちが相手の言葉を理解出来なかったら?」
「…………あ」
「しかも、その事に怒って襲い掛かってくる……っていう可能性も無いとは言えないわね」
「……物騒な事言うなよ」
 ますますリノの不安を募らせる彼女の突拍子も無い発想に、トラッドはとりあえず釘を刺した。
「冗談だってば」
 しかし、ナギサは笑って返事をすると、夕焼け色に染まっていく村へ視線を巡らせる。
「でも……」
 そして彼女は果てしない空へ瞳を向けると、独り言のようにこう呟いた。

「……本当にいい村よね……」

「ナギサ……?」
 突拍子もない一言に、ラザは名前だけ知っている彼女の故郷、ムオルの村と――――
 亡くなったとだけ聞いた彼女の祖父の事を思い出す。
 その時、少し冷たい風が4人の髪をなびかせた。
(……泣いてる、のか?)
 儚い表情と少し潤んでいるナギサの碧眼。
 不謹慎だと思いながらも、ラザはつい彼女の横顔に見惚れてしまう。
(俺は……力になれないのか……?)
 心が無力感に蝕まれるのを理解しながら、彼は自然とナギサに手を伸ばした。
 そして秘めた想いを掌に乗せ、肩に触れようとした時―――――彼女が急にくるりと振り返る。
「まぁ、もし襲い掛かってきても……」
「……へ?」
 その仕草に何かを感じ取ったのか、トラッドはコンパスから目を離した。

「こんな風……に、っと!」

 だが時既に遅し。ハリセンの音が辺りに響き渡る。
 聞き慣れぬ音だったのか、近くにいた村人がびくりと身体を跳ねさせた。
 更にしばらく間を置いた後、村中が騒々しくなる。
「ちなみに……今叩いた理由は何だ?」
 そんな騒ぎをよそに、トラッドは横目でナギサを睨みつけながら訊いた。
「……強いて言うなら、振り上げた正義の炎を鎮めたかったのかしらね?」
「そんな理由で叩くな! 後、俺に同意を求めるな!!」
「もう、トラッドってば、すっかり怒りっぽくなっちゃって……」
「誰のせいだ!?」
 場所が何処であろうと、2人の言い争う姿は変わらない。
 一方、ラザは行き先を見失った想いが残る掌を、複雑な表情で見つめていた。
「ラザ……その手は?」
 肩の高さに上げられた腕が気になったのか、リノがきょとんとした顔で尋ねてくる。
「……何でもない」
 だが、当然彼に答えれるわけが無く、とりあえずそう返事をする。
(全く……何で俺はあんな奴を……)
 ラザは掌を心臓に当て、大きなため息を一つ吐くと、楽しそうに喧嘩を続けるナギサを見た。

 ――――その時。

「ふわぁ……あ……賑やかな人たちですね」

 背後から欠伸と呑気な声が聞こえ、4人は慌てて振り返る。
「……誰?」
 呟くナギサの目の前には、風に揺られる大木と今の喧騒で目を覚ました馬しかいない。
「空耳……か?」
「違いますよ」
 再び返事をする声は、やはり落ち着き払っていた。
「え……っと……?」
 戸惑うリノに、白い馬は蹄を鳴らしながら歩いてくる。
 そして優雅に頭を下げると、こんな『言葉』を口にした。

「ご紹介が遅れましたね。私はしゃべる馬、エドと言います。スーの皆様には、竜の遣いと呼ばれてます」

「えっと、俺は――――」
「トラッドさんですよね? 先ほどの騒ぎで黒髪の方以外の名前は覚えました」
 律儀に名乗ろうとした彼だったが、気品に満ちたエドの声によって遮られる。
 起きていたにも関わらず、話しかけようとしなかったのは、どうやら4人のやり取りが興味深かったかららしい。
「黒髪の方、お名前は?」
「…………リノ」
「リノさん、ですか」
 エドは確かめるように、彼女の名前を繰り返すと、やはり穏やかな口調でこう言った。

「素敵なお名前ですね。とってもお似合いだと思います」

「え? そ、そんな事ないと思うけど……」
「いえ、本当に」
 まさか馬にそう言われると思っていなかったリノは、恥ずかしそうに顔を逸らす。
 いつの間にか喧嘩をやめていたナギサは、その会話に不機嫌そうな顔を浮かべ、隣のトラッドの服を引っ張ると、小声で話しかけた。
「……ちょっと」
「ん?」
「トラッドも何か言ったら?」
「……何が?」
「リノちゃんの名前のこと。負けてるわよ?」
「そういう問題じゃ――――わっ!?」
 彼女の意図が読めず、反論しようとしたトラッドだったが、
「いいから行きなさい!」
 背中をナギサにハリセンで叩かれて、こけそうになりながらもリノの隣に並ぶ形になった。
「どうかしたんですか?」
 その理不尽なやり取りを見ていなかったエドは、首をわずかに傾げて不思議そうに尋ねる。
「いや……何が何だか……」
 それに対し、彼は困った顔をしていたが、リノの顔を横目で見ながら呟く。

「まぁ……俺もリノって、良い名前だと思うな」

「……っ!?」
 更に予想していない所から、思いがけない事を言われ、彼女は耳まで真っ赤になった。
「そうですよね!」
 トラッドとエドは何故か意気投合しており、そんなリノの様子に気付かない。
「やっぱり、おん――――え?」
 そして更にエドが言葉を紡ごうとした時。

 一瞬で間合いを詰めていたナギサが、エドに向けてハリセンを振り下ろそうとしていた。

「ナギサ!」
 手前にいたラザはそれを予測していたらしく、剣を鞘に納めたまま構えている。
 瞬間、ハリセンは受け止められ、先ほどとは似て非なる音が再び村中にこだました。
「……何をするかと思えば」
 間に合った事に安堵するラザが呆れたように呟く。
 しかし、ナギサは何も答えず、エドに近づいて耳元でこう囁いた。
「…………余計な事は言わないでくれる?」
「……なるほど、そういう事ですか」
 さすがは竜の遣いというべきか、エドは今の会話だけでリノとトラッドの事情を察したようである。
「…………何だったんだ」
 まさか自分が関わっていると夢にも思っていないトラッドは、間の抜けた表情でそう口にした。


「それでは本題に入りますね」
 夕闇の中、再び大木にもたれかかるエド。心地良さそうな様子を見ると、ここがお気に入りの場所のようだ。
「皆さんは渇きの壷という物をご存知ですか?」
 真剣な表情になっている4人は、互いの顔を見合わせながら首を横に振る。
「でしたら……最後の鍵はご存知ですか?」
 再び紡がれる聞き慣れない言葉に、リノとナギサ、そしてラザが疑問符を浮かべていた。
「まさか……マネマネ銀から作られた鍵の事か?」
 しかし、トラッドは知っていたらしく、呆然とした声でそう問い返すと、エドはぶんと首を縦に振る。
「でも、あれは――――」
「存在すら疑わしい、ですか?」
 彼は更に何かを話そうとしたが、遮ったエドの言葉通りだったらしく、驚きながらもこくりと頷く。
「それがもし……そうなるように仕向けられていたのだとしたら?」
「え?」
 そこでエドは一度深呼吸をすると、ある種の威圧感を纏った声でこう告げた。

「勇者であるリノさんの為に封印されていたとしたら……不思議じゃないでしょう?」

「えっ……?」
 彼女は不意に自分の名前が出た事に驚きながらも、これまでの会話を思い出す。
(旅の目的も……何処から来たのかすら言っていないはずなのに)
 リノが不思議そうな顔をすると、エドはまた穏やかな口調に戻って話を続けた。
「これでも竜の女王様の遣いですからね。見れば分かりますよ」
「竜の女王……?」
「あなたが今の道を歩んでいれば、いつか訪れる事になります」
 自分の目で確かめて欲しい。彼女にはエドがそう言っている様な気がしてならなかった。
「つまり……その最後の鍵を手に入れる為に、渇きの壷が必要って事かしら?」
 話す意思が無いのを悟ったのか、ナギサはこれまでの話から推測して、そう問いかける。
「はい、西の海に浮かぶ浅瀬で使うのです。でも、さすがですね」
「……褒め言葉は良いわよ。じゃあ、その壷は何処にあるの?」
 彼女はわずかに照れた素振りを見せると、それを隠すように話を促した。
 しかし、エドは一度唸ると、あっさりした口調でこう告げる。
「うーん……何せ私はここにずっといるので、世界の事がよく分からないんですよ」
「……あのねぇ」
「でも、井戸の守り神様なら知ってると思いますよ」
「守り神?」
「ただのおじいさんなんですけど、スーの人たちからはそう呼ばれてるみたいです」
「…………」
 ナギサは皮肉のつもりで大きくため息を吐いたが、エドが気にする様子は微塵も無かった。
「ちなみに……その壷はどうやって使うんだ?」
 ラザはそんな彼女に呆れながら、ふと思いついた疑問を口にする。
 だが、エドは視線を宙に泳がせた後、残念そうに呟いた。
「それも私には……随分古くから伝わる物ですし」
「……そうか」
「でも、村長さんなら知ってるかもしれません。元々はこの村の物ですから」
「…………」
 今のラザとナギサの心境は同じかもしれない、とトラッドは何となくそう思った。
「…………やっぱり叩いてもいい?」
「ダメです」
 ナギサはハリセンに手をかけて、一応許可を取ろうと試みる。
 しかし、先ほどその威力を目の当たりにしたせいか、エドはきっぱりと断った。
「とりあえず……もう一度戻るとするか」
 これ以上は何も分かりそうにない、と判断したトラッドは、今の話にあった場所へ行こうとする。
「スーの人たちは早く眠るので、もう無理だと思いますよ」
 だが、エドの皮肉なぐらい明るい口調に呼び止められた。
「……守り神様も?」
「そうですね。すっかりここの生活に慣れてしまったみたいですし」
「…………」
「あ、でも宿屋さんは大丈夫ですよ」
「……2人の気持ちが何となく分かった気がする」
 それから4人は疲れた顔で軽く手を振ると、足を引きずるようにエドの元を去るのであった。



「本当に早いんだな……」
 灯りが消えた家々を眺めながら、ラザは感心したように呟く。
 星と月が空に見える事を夜とするなら、確かに今は夜に違いない。
 だが、これまでに比べれば、まだ明るい内に入るだろう。
(……あら?)
 宿へ向かう途中、ナギサはふとある事に気づく。
(もしかして…………リノちゃん?)
 それは隣を歩くトラッドの視線。彼は複雑な表情で前にいるリノの背中を見つめている。
「どうかしたの?」
「え?」
 急に話しかけられたせいか、彼は驚いた顔でナギサの方を見た。
「今、リノちゃんの事見てたでしょ?」
「ん……まぁ」
 トラッドはやはり考え込んだまま、素直に肯定する。
 リノが女だという事に気付いていないのだから、やましい気持ちがあるとは考えにくい。
 勿論、それが嘘で無いのも、普段の彼を見ていれば一目瞭然であった。
「何となく思ったんだけど……」
「……何を?」
 ナギサが尋ねようとした直後、それよりも早くトラッドが言葉を紡ぐ。

「リノって……やっぱり可愛いとこあるよなぁ……」

「え……」
「ほら、さっきエドに名前の事を褒められて照れてただろ?」
「う、うん……そうね……」
 さすがのナギサも予想が出来なかったらしく、つい返事がぎこちなくなってしまう。
「いや、それだけなんだけど」
「……バカな事言ってないで、早く宿に行くわよ」
「そうだな」
 いつもの彼女なら、リノちゃんだもの、とでも言って得意げな顔をするかもしれない。
 しかし、思わぬ不意打ちに、珍しくそんな余裕がなかったようだった。
 そしてトラッドも、彼女の見せた違和感に気付いていないらしい。
(……あ)
 再び足を動かし始めた2人だったが、ナギサはふと気になったのか、今の言葉を反芻する。

(ふうん……やっぱり、ね)

 そして含みのある笑みを浮かべた後、彼女は無言でハリセンをトラッドの頭に叩き込んだ。
「……ちなみに今、何で叩いたんだ?」
 当然、理由が分からない彼はナギサにそう尋ねる。
「自分の胸にでも聞いてみたら?」
「へ?」
 だが、彼女は逆に問い返すと、答えも言わずにさっさと歩き始めてしまった。
「……何なんだよ」
 トラッドは相変わらず理不尽に思いながらも、諦めたように歩き出す。

(全く……何処までも鈍いんだから……)


 一方、ナギサはそう心で思ってはいたが――――表情は微かに嬉しそうであった。



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