第56話 「束の間の再会」


「ここを何処だと思っている!」

 グリンラッドより南東へ船を走らせた翌朝。リノたちは渇きの壷があるというエジンベアを訪れていた。
 灰色の高い壁に囲まれた城。
 唯一の入口である城門はそれほど広くなく、精々3人ぐらいしか通れそうにない。
 そこには30を過ぎた辺りと思われる兵士が立ちはだかっていた。
「何処って、エジンベアでしょ?」
「そうだ」
「どうしても中に入りたいんだけど……」
「ダメだ! 田舎者は帰れ!」
「い――――!?」
 最初はまだ少し困ったという表情のナギサだったが、その一言に顔色が変わる。
 しかし、すぐに後ろを向くと、
「……私は大人の女なんだから……この程度で怒ってない……怒ってない……」
 と、まるで自己暗示でも掛けている様に呟いた。
「そ、その田舎者が遠路はるばるやってきたんだから、いいでしょ?」
 気を取り直した彼女はそう言いながら、兵士の隣をさり気なく通り抜けようとする。
 ちなみに笑顔はやはり引きつっており、本人以外は怒っているのだとすぐに分かったが、誰も口にしようとはしなかった。
「ダメだダメだ! 田舎者が足を踏み入れて良い場所では無い!」
 だが、兵士はさっとナギサの前に移動し、更に強い口調で追い返そうとする。
「……どうしても?」
「どうしてもだ」
「……なるほどね」
 彼女は諦めた素振りを見せ、リノたちの方へ振り返り、ぼそりとこう呟いた。
「それだったら――――」

「強行突破するまでよ!」

 一呼吸置いた後に紡がれる、凛とした強い声。
 どうやら相手の隙を突く作戦だったらしく、ナギサは視線を戻すや否や、真っ直ぐに開けた空間を目指して走り始める。
「甘いっ!」
 だが、兵士もそれを読んでいたのか、一瞬で彼女の前に姿を現わした。
 瞬間、がこっという固い音が鳴り響く。
「これなら……へ?」
 ナギサは急激な方向転換をする為に、ヒールで思いっ切り横の壁を蹴ったらしい。
 その反動で完全に逆を突き、彼女は勝ち誇った笑みを浮かべたが、それはわずかな時間の事ですぐに驚愕へと変化する。
「勝ったつもりか?」
「……やるじゃない」
 兵士はさして動じた素振りも見せず、極めて冷静に対処していた。

「凄い戦いだな……」
「ああ……色々な意味で」
 その戦いの様子を見ていたトラッドとラザは、ただ呆然と感心している。
「それに……あれだけの速さで動きながら、よく喋れるな……2人とも」
 心・技・体の全てを総動員させた壮絶な駆け引きの応酬。
 リノは目で追うのがやっとらしく、先ほどから瞳が忙しなく動いていた。

 一進一退を繰り返すナギサと兵士。
(思ったより手強いわね……)
(この娘……只者ではない)
 互いの強さを認めたのか、真剣な表情には微かな楽しさが織り込まれている。
「……最終手段っ!」
 ナギサは一度頭上に視線を飛ばし、再び右側の城壁を蹴りつけた。
「同じ手が通用――――なっ!?」
 やはり、兵士は反応してすぐさま左側へと移動するが、ナギサは少し高い位置で、今度は左側の城壁を蹴る。
 次々とその動作を繰り返し、彼女は有り得ない速度で高みへと昇っていく。
「地面がダメなら空で勝負よ!」
「ちぃっ!」
 彼は大げさに舌打ちをし、彼女と同じく左右の城壁を交互に蹴って後を追った。
「やるじゃない……でも、もう追いつけ……え?」
「追いつけない、か?」
 ナギサが3度壁を蹴った所から飛び始めたにも関わらず、彼は涼しい顔で眼前に迫っていた。
 常識で考えれば――――そもそもこの行動すら非常識なのだが――――到底追いつけるわけがない。
 しかし、門番としての誇りや国への忠誠心が、限界を超えた力を生み出していた。

 そして空中でハリセンと鉄の槍が激しくぶつかり合う。

 2人ともその衝撃で体勢を崩したものの、見事な着地を決めて見せた。
「………………」
「………………」
 無言で睨み合うナギサと兵士。リノたちは半分呆れながらも、固唾を呑んで見守っている。
「……娘、名前は何と言う?」
 最初に声を発したのは、彼の方だった。
 わずかに考える素振りを見せてから答えようとしたナギサだったが、
「相手に名前を尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀じゃないかしら?」
 と、悪戯っぽい笑みを浮かべて、逆に問い返す。
「俺はただの門番に過ぎぬ。名乗るほどの者ではない」
「じゃあ、私もただの遊び人だから、名乗れないわね」
 2人はどちらからともなく手を差し出し、熱い言葉と握手を交わした。
 ナギサはそれ以上何か言うわけでもなく、くるりと振り返ってその場を後にする。
「……一体、何だったんだ?」
 トラッドの呟きにリノとラザは頷きながらも、疑問符を浮かべて彼女の後を追うのだった。



「とりあえず……まっとうな方法は無理みたいね」
 そして城のすぐ側にある茂みの中。
「その前に一つ」
「何?」
 ナギサの言葉に、トラッドは律儀に右手を挙げてから質問をする。
「さっき握手までしてたけど……いいのか?」
「へ? 何が?」
「いや、友情というか絆というか……そういうのが見えたから」
 つまり、トラッドは彼女が心を痛めないか、という事を心配しているらしい。
 その問いかけに対して、ナギサは少し考えた後、
「友情も大事だけど、目的があるんだったら話は別よ」
 と、妙に大人びた口調で告げる。
 どうも彼女の中では、すでに決着がついているようだった。
 逆に問いかけたトラッドは一度城の方角を見たが、やりきれない表情で視線を戻す。
「……で、どうするんだ?」
 ラザが眉間に皺を寄せながら、全員にそう尋ねた時だった。
「誰かいるのか?」
 背後から気配を感じ取ったトラッドが声をかける。
 それに倣って、他の3人も同じ方角を向くと、見覚えのある顔がひょこっと姿を現わした。

「……ヤヨイ?」

 肩に届くか届かないかぐらいの黒髪と大きな黒い瞳。
 頭に巻かれているのは、お馴染みの白いバンダナ。
 数日前とさほど変わりない格好で、少女はきょとんとしていたが、
「わー! 皆さん、お久しぶりです!」
 すぐに嬉しそうな笑顔を見せると、小走りで4人の下へ駆け寄ってきた。
 正確には師匠であるトラッドの前に。
「元気そうだな。でも……どうしてここに?」
 彼はヤヨイの頭を優しく撫でながら尋ねる。
「町の事を知って貰う為なんです。住む人がいてこその町ですから」
「なるほど」
「師匠たちはどうしたんですか?」

 そこでトラッドは、最後の鍵の事から渇きの壷が必要な事を説明した。
 勿論、城に入れなかった事も、である。

「……それは困りますね」
「ああ。で、丁度今どうしようか考えていた所なんだ」
 久々の再会を果たした師匠と弟子は、似たような表情で悩む。
「あ」
 その時、ヤヨイは何かを思い出したらしく、慌てて道具袋の中に手を入れて、探し物を始める。
「どうした?」
「えっと……確か……ありました!」
 しばらくしてから彼女が取り出したのは、根っこの部分が輪を描いている奇妙な形の草だった。
「……その手があったわね」
「ナギサ?」
 知っているような口調で呟くナギサに、初めて目にした様子のリノが問いかける。
 だが、その草に関して説明を始めたのはヤヨイだった。
「これは消えさり草って言うんです」
「消えさり草……?」
「はい。これを磨り潰したものを身体にかけると、姿が見えなくなるんですよ」
「へぇ……」
 リノが不思議そうな顔で消えさり草を見つめていると、不意にラザが疑問を口にする。
「……今から磨り潰すのか?」
 こういった呪文の効果を持つ草は、薬草などとは違って時間がかかる事が多い。
 だから、多少値が張るのは、その手間にかかる時間も含まれているというのが一般的である。
「大丈夫です。完成品はこちらにありますから」
 しかし、ヤヨイは更に袋の中から消えさり草の粉が詰められた小瓶を取り出した。
「……随分、準備がいいんだな」
 感心しているトラッドに、彼女はこう説明する。
「消えさり草って、一部の所でしか取り扱って無いんです。ですから、珍しい物もあるというのも知って貰いたくて、準備してたんですよ」
「なるほど……でも、そんなのを使っていいのか?」
「はい! 是非、使って下さい!」
 手渡そうとするヤヨイの顔は、初めて会った頃のように輝いている。
 むしろここで断った方が、罪悪感を覚えてしまう、というぐらいに。
「それじゃあ……使わせてもらうな」
 トラッドは毒針を貰った時の事を思い出し、柔らかに微笑みながらそれを受け取った。
 そして再び城門へ向かおうとした時、
「ヤヨイ?」
 歩き出そうとしない彼女に気がつく。
「私は……ここでお別れです」
「……え?」
 思わず聞き返す彼に、ヤヨイは笑顔で話を続けた。
「船乗りさんたちをお待たせしてますので、もう行かなくちゃいけないんです」
「……そうか」
 呆然となっているトラッドの代わりに、ラザが呟く。わずかに落胆した様子で。
「だから、もう行きますね! 皆さん、頑張って下さい!」
「あ、ああ……消えさり草、ありがとう」
 そして彼女は一度頭を下げると、そのまま駆け出していった。黒い瞳を少しだけ潤ませながら。
「……私達も行きましょうか」
 ナギサは振り返らずに走り去ったヤヨイを見送った後、いつもと変わらない口調でそう告げた。
(…………ヤヨイちゃん、無理しないといいんだけど)
 きっと彼女にも自分と同じく、また一緒に旅をしたいという想いが蘇ってきたのかもしれない。
 そう思ったものの、ナギサはその事を口にしようとしなかった。



「こんにちは、田舎の人!」
 城内へ足を踏み入れた直後、たまたま目の前を通りかかった神父が明るく挨拶をしてくる。
 だが、ある単語に機嫌を損ねたらしいナギサは、無言でハリセンを喰らわせた。
 そこで、自分の失言に気付いた神父は頭をさすった後、
「えーっと……じゃあ、田舎のお姉さん……?」
 控え目な口調でそう言ったが、再びハリセンで叩き伏せられて気絶してしまう。
「……全く」
 触らぬ神に祟りなし。そう思った3人は彼女から目を逸らし、静かに歩を進めるのだった。


「でも……意外だな」
 それから何人かとすれ違った後、トラッドが不思議そうに呟くと、リノも同意して頷く。
 というのも、あれほど頑なに拒んでいた門番と違い、誰も追い返そうとしなかったからである。
「昔の命令が、まだ生きているのかもしれないな」
 ふとラザが思い出したような口調でそう口にする。
 彼は内乱の隙を突こうとする侵入者を警戒する為に、門番は侵入者に過敏な反応を示しているのでは、と考えていた。
 それでも何故、田舎者という言葉をあれだけ使うのかは謎なのだが。
「じゃあ……あの門番の人って……」
「少なくとも俺より年上には見えた。きっと古くから仕えてるんだろう」
「……ふうん」
 尋ねるナギサの顔は、いつもと変わりない。だが、答えた彼の胸中には一抹の不安があった。
「……気に、なるのか?」
「え? どうして?」
「いや、別に」
「……変なの」
 少し不満げに呟く彼女に、ラザは密かに胸を撫で下ろす。
 その理由は消えさり草を使って、あの兵士の横を通り抜ける時に彼だけが聞いた言葉にあった。
(……多分、そうなんだろうな)
 確かにあの時、兵士は空を眺めながらこう言っていた――――もう一度会えないものか、と。
 わずかに熱を帯びた声から、ラザは彼がナギサに一目惚れしたのではないかと確信していた。
 変わり者だな、と思ったりもしたが、
(まぁ……俺も人の事は言えないか)
 すぐにそう考え直すと、彼は苦笑いを浮かべたまま、何気なく辺りを見回しながら歩くのであった。


「わしは常に心を広く持とうとしておる故、田舎者であってもバカにしたりはせぬぞ」
 それから4人は階段を上がり、王の間へ辿り着く。
 まるで小さな島国を表しているかのように、それほど大きな部屋ではなく、飾りも必要最低限に留められているように見えた。
 わずかな金色の刺繍が施された真っ赤な絨毯の上、そこに膝をつく4人は同時にこんな事を考えている。
(……心を広く……?)
 気になったトラッドは横目でナギサを見たが、先ほどのように叩きにかかる様子は見られない。
 渇きの壷の為に我慢をしているのか、すでに何かを悟ったのかは分からなかったが。
「それで、我が国を訪れた目的は何じゃ?」
 様々な思考が入り乱れる中、その事に全く気付いていない王が口を開いた。
「あの……この国に渇きの壷という物があると聞いて」
 とりあえず名前を名乗った後、一番冷静なリノが問いかけると、彼は首を傾げた後、隣の大臣に尋ねる。
「渇きの壷……はて、そのような物があったかのぅ?」
「はっ、おそらくは知恵の間の宝物庫にあるものではないかと」
「ほう……あそこか」
 どうやら王は知恵の間という言葉を聞いて、ようやく思い出したようだった。
「リノとやら」
「何でしょうか?」
 王は大きなお腹を揺らしてから、彼女にこう告げる。
「このわしが忘れておるぐらいだから、その壷はさほど重要な物ではない」
「……はい」
「だから、譲ってやっても良い。その代わり、一つ頼まれてくれぬか?」
「何を、ですか?」
 嫌な予感がしたのか、リノはわずかに表情を曇らせて、ただ言葉を待つのであった。



「……全く、何でこんな仕掛けにしたんだろうな……」
 そして、城の地下。
「はいはい、文句を言う前に身体を動かしなさい」
 4人は、というよりもトラッドとラザだけがせっせと大岩を押している。
「ナギサも手伝えよ……」
「あら? かよわい乙女にそんな事をさせるつもり?」
「…………何処がだ」
「何か言った?」
「……別に」
「なら、しっかり働きなさい」
 トラッドは返す言葉も無いのか、余計な苦痛を味わいたくないのか、再び作業に戻った。

 王様の頼みというのは、この城の地下にあるという宝物庫の扉を開ける事であった。
 正確には整理をしたいようなのだが、それだけならばわざわざリノたちが行く必要は無い。
 しかし、宝物庫は知恵の間と呼ばれる地下室にあり、名前の通り、特別な仕掛けが施されているらしい。
 つまり、それをどうにかしない限り、宝物庫の整理をする事も、渇きの壷を手に入れる事も出来ないのである。

「それにしても厄介ね……あ、もう少し右よ」
 赤い床が敷き詰められた知恵の間と呼ばれる地下室。
 普通の部屋とは違い、いくつかの池を含む簡単な迷路のような入り組んだ構造になっていた。
 トラッドとラザは無造作に置かれていた3つの岩を、先ほどから額に汗を浮かべながら動かしている。
 目指す場所は、迷路の一番奥にある白地に青の文様が描かれた3つの石畳。
「っと……でも、本当にあってるのか?」
 ちょうど岩が3つ置けそうな広さでもあるそこに、岩を揃えれば扉が開くというのが、ナギサの推測であった。
「どう見ても、そうにしか見えないのよ。まぁ、もし違っていても……」
「違っていても?」
「私が疲れるわけじゃないもの」
「……やっぱり手伝え」
「それは出来ない相談ね」
 トラッドは相も変わらずナギサの手伝いを求めるが、彼女もただ楽しんでいるだけではない。
 要は頭脳労働を担当しており、どう岩を動かせば良いのかを客観的に見て、指示を出しているのだ。
 ちなみにリノも手伝おうとしたのだが、一人だと寂しいというナギサのワガママに捕まっている。
「ラザ……もう少し押してもらっていい」
「ん? ああ」
 妙に含みのある口調でナギサがそう口にすると、彼はやはり不満も言わず、淡々と岩を押した。
「あっ……」
 その時、リノが何かに気付いて、同時に声を出した直後――――ラザの反対側から景気の良い水飛沫が上がる。
「……わざとだな?」
 池から這い上がったトラッドは恨めしげに言うが、当のナギサは顔を逸らして口笛を吹いていた。
「ったく……」
 これ以上言った所で、彼女が認めるわけも無い。それどころかハリセンで叩かれる可能性もある。
 結局、諦めたトラッドが濡れた服を脱ぐと、細身の割に引き締まった上半身が露わになった。
「さて、続きを……どうかしたのか?」
 再び作業に戻ろうとした彼は、リノの様子がおかしい事に気付いて声をかけた。
「あの……いや、別に」
「でも……」
「な……何でもない!」
 怒鳴るように言いながら、ふいと顔を逸らす彼女だったが、言葉とは違って頬を赤く染めている。
 どうやらトラッドを直視出来ないようなのだが、男と思い込んでいる彼が気付くはずもない。
(……予想外に良いものが見れたわね)
 そんなリノを、ナギサは満面の笑みでぎゅっと抱き締めるのであった。



「……どうやら合ってたみたいだな」
 ようやく岩を揃え終えた後、重い音が部屋中に鳴り響く。
 そこでナギサが音がした方角へ足を運ぶと、開いた壁の先に通路が見えた。
 おそらくここが宝物庫の入口。
「随分長い間、放っておかれたみたいね」
 大量の埃が舞い散る中、4人は吸い込まないように口元を手で押さえながら歩いていく。
 やがて辿り着いた先は、乱雑に所狭しと物が置かれた場所。
 おそらくここが宝物庫に違いないのだが、そんな面影は全く感じられなかった。
 錆や埃に包まれた物の中で、少しも輝きを損なっていない、まるで魚を象った壷がある。
「……これだな」
 トラッドは落とさないよう、慎重にその壷を持ち上げた。
「本当にこんな形なのね……まぁ、分かり易いからいいんだけど」
 横から覗き込んでいたナギサは、呆れたようにそう言うと、素早く来た道を戻り始める。
 一刻も早くここから立ち去りたい、というのがよく表れた動きだった。
 他の3人も同じ考えだったのか、すぐに彼女の後に続いたが、
「あ……」
 不意に紡がれたリノの声によって、全員がぴたりと動きを止める。
「どうした?」
 ラザが不思議そうに尋ねると、彼女は少し間を置いた後でこう問いかけた。

「……また門番に見つからないように、どうやって出るんだ?」

 ……………………


 些細なのか、重要なのか。
 4人は唸り声を上げながら、とりあえずといった感じで再び歩き始めるのであった。



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