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木々の隙間から顔を見せる満月が、今倒したばかりのシャーマンの死骸を照らし出す。 「やっぱり多いわね……」 「ああ」 ナギサが額の汗を拭いながら呟くと、ラザは剣に付着した血を振り払いながら答えた。 「…………」 「……どうかしたの? 珍しく難しい顔しちゃって」 だが、トラッドは気にかかる事でもあるのか、彼女の冗談に耳を貸さず、思案顔でこう口にする。 「いや……巣窟になっているっていう割には少ない気がして」 「……まぁね」 その証拠に全員汗はかいているものの、呼吸がほとんど乱れていない。 更に夕方頃、テドンのある陸より少し北の教会で聞いた話では、モンスター以外は存在していないという事であった。 バラモスがいると言われているネクロゴンドの側という事も考えると、余力があるというのは何かが引っかかる。 (……何か意思でも働いてるみたいだ) トラッドは敢えて言葉にはせず、推測だけをひたすら積み重ねていった。 罠、という最悪の可能性を頭の片隅で考えながら。 「それでも……行くしかない」 3人の迷いを感じ取ったのか、リノは自分にも言い聞かせるように告げる。 目的であるグリーンオーブと――――自分の事を知る為に。 その時、強い風が雲を流し、いつの間にか隠れていた月光がリノの顔に差し込んでくる。 すると、先ほどの戦いでついたと思われる返り血が彼女の頬を真っ赤に染めていた。 「あ、リノ」 「え……わっ……」 それを見たトラッドはすぐに駆け寄り、懐から布を取り出してリノの顔についた血を拭い始める。 「こ、これぐらい別に……」 「そう言うと思ったけどな」 「だったら……!」 しかし、彼には止めるつもりはないらしく、相変わらずリノの頬を拭きながらこう呟いた。 「折角、綺麗な顔してるんだし……それに、赤が似合わない気もするから」 「えっ……」 その様子を興味深そうに少し離れた場所から眺めていたナギサとラザは、てっきり彼女が照れて俯くものだと思い込んでいた。 しかし――――予想外にもリノはトラッドの手を少し乱暴に振り払った。 「……リノ……?」 「あっ……ご、ごめん……」 まだ少しだけ頬に血の痕を残しながら、青い顔のままのリノが怯えたように謝り、更に弱々しい口調で言葉を重ねる。 「そ、その……えっと……く、くすぐったかったからつい……」 「え……ああ、気をつけたつもりだったけど、ごめん」 トラッドはそんな彼女の様子が気にかかったのか、難しい表情で布を差し出した。 「……ありがと」 それをリノは小さな声で呟きながら受け取ると、震える手つきで自分の頬を拭う。 (……リノちゃんらしくないわね) ナギサは2人の間を流れる気まずい空気を察し、口元に手を当てながら彼女の事を考え始めた。 (いつもなら……顔は少し赤いけど大人しいのに……) 何かと世話を焼くトラッドと、口では断りながらも素直に従うリノ。 最近では少し嬉しそうに見える時もある。 ナギサはそんな彼女を可愛いと思いながら見ていたので、はっきりと覚えていた。 (……それに) ここへ来るまでのリノの様子。正確には最後の鍵が眠る祠を訪れた時。 あまり感情を表に出さない彼女だが、何処か陰があるように感じていた。 (…………赤?) そこでナギサはトラッドの言葉を思い出し、自分の知る限り彼が初めて紡いだ単語を胸中で呟く。 (でも……それを言うと) 彼女は人差し指で唇をなぞった後、隣にいるラザの顔を盗み見た。 今は雲が月を隠してしまい、はっきりと見えなかったが、彼の髪と瞳も赤である。 そこで彼女は2人に聞こえないよう、小声でラザに話しかけた。 「ねぇ、ラザ」 「何だ?」 「リノちゃんと話してる時って……どんな感じ?」 「どんな……感じ、って?」 「だから、リノちゃん」 少し動揺しているからか、我ながら曖昧な問いかけだとナギサは思う。 しかし、ラザにはしっかり伝わったようで、わずかに考える素振りを見せた後、こう返事をした。 「別に普通だが……」 「……そうよねぇ」 「赤、っていう言葉か?」 「…………ええ」 彼の答えは予想通りのものであった。そもそも確かめる為の質問だったのだから、何も問題は無い。 リノが赤い色を好き、もしくは嫌いだったのなら、素直な彼女なら何か反応を示してもおかしくないだろう。 だが、2人の、おそらくトラッドの記憶を遡ってみても、そんな素振りは全く見た事が無かった。 「……行こう」 リノは布を彼に返すと、誰とも視線を合わせずに1人歩き始めた。 「……どういう……こと?」 森の中を慎重に進む途中、4人は少し先にいくつかの光を見つけ、そこを目指す事に決めた。 不思議な事に、モンスターの襲撃はある時を境にぴたりと止んでいる。 トラッドとラザは訝しげな表情を浮かべていたが、目の前の異様な光景にその事を忘れてしまった。 驚いたナギサは尋ねるような口調で呟くが、誰からも答えは返ってこない。 何故なら、滅んでしまったはずのテドンの村の中に――――何人もの人間が存在していたからである。 「錯覚……か?」 4人が同じものを見ているという事は、有り得ないとは言えないが考えにくい。 ラザが何度も目を擦って瞬きを繰り返していると、 「ようこそ、テドンの村へ!」 という声が聞こえ、また全員がハッとなった。間違いなく幻聴や空耳の類ではない。 「あ、あの……」 「何でしょうか?」 穏やかに微笑む青年に、一番先に我へと返ったトラッドが遠慮がちに口を開いた。 「この村は……その……モンスターに襲われたって聞いたんですけど……?」 だが、彼はわずかに目を見開いた後、すぐに笑顔に戻って言う。 「そうですね。確かにここはネクロゴンドの側ですから、いつ襲われてもおかしくありません。でも、私を見れば分かるように、大丈夫ですよ」 最もな言葉である。もし、滅びたのなら、青年が目の前にいる事への説明がつかない。 (まさか噂が間違っていた……?) 釈然としない表情で4人は顔を見合わせるが、 「……何はともあれ」 「そうだな」 ナギサとラザの言葉で、わずかに警戒を解いてから歩を進め始める。 しかし、村の中へ足を踏み入れた瞬間、先頭を歩いていた彼女は弾かれたように後ずさり、そこで動きを止めた。 「……ちょっと待って」 「ナギサ?」 「何よ、これ……?」 彼女は頬を伝う汗を拭おうともせず、呆然とした表情で立ち尽くしていたが、急に道具袋の中から聖水の瓶を人数分取り出す。 更にそれを他の3人に手渡すと、蓋を取って一気に飲み干してしまった。 「……ナギサ、どうかしたのか?」 本来、聖水というのは自分の身体や辺りに撒いて、モンスターを近づけないようにする為の物である。 元々はただの水なので身体に害は無いが、博識な彼女がそれを知らないわけが無い。 「いいから、飲んで」 「あ、ああ……」 理由は分からなかったが、いつになく真剣なナギサの碧眼に、トラッドとラザは圧倒されて同時に飲み始める。 「多分……気休めにはなると思うわ」 「何が?」 「……入ってみれば分かるわよ」 その一言にトラッドは彼女の横をすり抜け、村の中へそっと足を踏み入れた。 瞬間――――感じた事の無い不快感と嘔吐感が襲い掛かってくる。 「これは……!?」 そして彼も先ほどのナギサと同じような仕草で一歩下がった。 「……瘴気ね」 「瘴気……って?」 聞き覚えの無い言葉に、ラザが眉間に皺を寄せて問いかける。 「要はモンスターが出す悪い空気みたいなものよ。もしかしたら、魔力や気と同じようなものかもしれないけど……」 「だが……モンスターは世界中に……」 「他の場所には人がいるでしょ? それに数はモンスターの方が少ないから、普通に生活してる分には、ここまで濃い瘴気に触れる機会は無いの」 つまり目には見えないものの、人間の身体からも瘴気と相反するものが生まれているらしい。 それが濃いという事は、ここには人がおらず、教会で聞いた通り、モンスターしか存在していないという事。 「更に言うと、モンスターは丈夫だから、少し人間が多くても影響は受けないのよ」 そこでトラッドは、彼女の言おうとしている事に気付く。 「という事は……!」 「……ええ。やっぱりテドンは……」 滅んでしまったのだ。しかし、2人は普通に生活を営んでいる村人らしきものの前だからなのか、はっきりと口にする事が出来なかった。 ナギサが聖水を飲んだのは、瘴気が空気のようなものであるという理由から。 生きる為には呼吸をする必要があるので、どうしても体内に入ってしまうので、身体に振り撒いても防ぐ事が出来ない。 「リノちゃん、もう飲んだ?」 「え……あ、うん」 ナギサは先ほどから一言も喋らない彼女に確認をした。 「のんびりしてる暇は無いわ……早く行きましょ」 聖水の効果は無限には続かない。それを理解した3人は、グリーンオーブを求めて一斉に駆け出した。 蓋の開いていない瓶を一つ、まるで草の中に隠すようにその場へ残して―――― (やっぱり……何とも無い……) ぼろぼろに朽ち果てた村の中心。4人は聖水の持続時間を考えて、別行動をする事にした。 その中でリノは、おそらく幽霊である村の人たちに話を聞きながら、自分の予感が正しかった事を理解する。 彼女は――――聖水を飲まなかった。ほんの一滴すらも。 理由はノアニールの洞窟での出来事。 あの時、ナギサに差し出された水を飲もうと口に含んだ瞬間、身体が受け付けようとしなかった。 それに聖水の瓶に触れたときに感じた微かな痛みが、まだ指先に残っている。 瓶だけで、しかも手袋越しで分かるぐらいなのだから、もし飲んでしまえば―――― (……もう誤魔化せない) それと同時に、もう一つ気付いた事がある。それは、やはり自分の身体の事。 (少しだけど……苦しいのはどうして……?) 考えたくない可能性だが、もし自分がモンスターなら、ナギサの言う瘴気に何の影響も受けないはずである。 だが、実際にリノの身体は他の3人ほどではないにしても、わずかな息苦しさのようなものを訴えていた。 16年間共に過ごしてきたはずの自分の内側から、得体の知れない恐怖が頭をもたげてくる。 「リノ、何か分かったか?」 迷走する思考は、今駆けつけてきたばかりのトラッドの声で途切れてしまう。 「……あ、いや何も……」 「俺も全然だな……ところで大丈夫か?」 「え?」 「ほら、身体」 「……あっ」 彼とは別の意味で考えていた事を言われ、リノはびくりと身を震えさせた。 しかし、その仕草がトパーズ色の瞳には違って映ったらしく、トラッドは心配そうに言う。 「気分が悪いんだったら……」 「う、ううん……大丈夫」 「……だったらいいけど、無理はするなよ?」 「…………うん」 そこでリノは初めて彼の顔を見ると、少し青ざめていた。 「トラッドは?」 「俺も大丈夫って……言いたい所だけど、やっぱりちょっときついな」 珍しく素直に言うトラッドだったが、苦笑いを浮かべている。 本当は相当な負担がかかっているに違いない。 (……ごめん) リノは心の中でそっと謝罪の言葉を紡いだ。胸の痛みを堪えながら。 ずっと迷惑をかけている事、今も男だと偽っている事。 恐くて言い出せない自分の身体の事――――そして、そのせいで痛みを分かってあげられない事。 (今まで……一杯助けてもらったのに……) 以前、トラッドからカンダタと何があったのかを聞いた時、彼の力になりたいと心から思った。 アリアハンの丘で過ごしていた頃からは、とても想像がつかない想い。でも、自分には何も出来ない。 それでも彼は変わらず手を差し伸べてくれる。初めて出会った時から、ずっと。 だから、どうしても考えてしまう。 やっぱり自分がここにいて、一緒に旅をしても良いのだろうか、と。 トラッドだけでなく、ナギサやラザも、今は遠くにいるヤヨイも祠で出会った海賊も、決してそう口にはしない。 だが、リノはそんな優しい心に触れる度に、少しでも力になりたい、と思うと同時に自分の無力さを思い知らされる。 「……リノ?」 トラッドの暖かい声に、忘れかけていた罪悪感が心に侵食し始めた。 しかし、彼女は不意に零れ落ちそうになる涙を流さないようにするのが精一杯で、全く言葉が出てこない。 たった一言大丈夫、と。何でもない、と言えば済む事なのに、それが酷く難しく感じてしまう。 「リノちゃーん!」 その時、突然耳に入ってきたナギサの声で彼女は我に返った。その方角を向くと、ラザも一緒である。 「その様子からすると、見つからなかったようね」 「……ナギサも?」 先ほどの考えを無理やり振り払い、目的を思い出したリノが問いかけると、彼女は静かに頷いた。 「後は……一番奥の牢獄だけだな」 「……出来れば行きたくなかったけど」 村の中心で別行動を取る前に一旦立ち止まった時、ナギサはラザの言う場所を見て、こう告げていた。 ここから見るだけで分かるぐらい、一番瘴気の集まっている場所だから、何があっても1人で行かない事、と。 グリーンオーブがある可能性と同じぐらい高い危険性。 だから、彼女はもし見つからなかった時は、何が起こっても大丈夫なように全員で、と言ったのだった。 「まぁ、いざとなったらキメラの翼があるし……船は後で取りに来れるから気楽に行きましょ」 「そうだな」 そんな言葉を交わすナギサとラザだったが、幾分緊張した表情を浮かべている。 だが、4人は互いに顔を見合わせて覚悟を決めると、再び走り始めた。 「……あなたたちは?」 より強く、身体を蝕もうとする瘴気。その真ん中に荒れ果てた牢獄は佇んでいた。 トラッドが最後の鍵で堅固な鉄格子を開けると、中には警戒心を露わにした一人の男が座り込んでおり、4人にそう尋ねてくる。 「えっと……俺たちはグリーンオーブを探していて……それで」 その時、彼の緑色の瞳から音も無く雫が流れ落ちた。 「……待っていました……ずっと」 「え?」 手入れのされていない髪と髭、灰色の囚人服に身を包んだ男は彼の手を強く握り締めると、涙の入り混じった儚い声で呟く。 「勇者様にこれを手渡す日を……この身が骨になってからもずっと……この日を夢に見ていました……」 まるでその男の意思に従うように、トラッドの掌に緑色の光が現われた。 最初は輪郭の無い綺麗なだけの光であったが、時間が経つにつれて次第に球を描いていく。 「グリーン……オーブ」 「……はい」 いつの間にか穏やかな顔を浮かべていた男だったが、 「もう……行って下さい……!」 突然自分の身体を抱き締めると、何かに耐えるような表情でそう言った。 だが、その急変ぶりに4人が反応できずにいると、彼は苦しそうな様子で更に言葉を重ねる。 「今まではオーブの……力で……こうして世界に……留まっていられ……ました…………が」 その時、何かを感じ取ったナギサが弾かれたように周囲を見渡した。 「それが無くなろ……うとしている今……もう…………だか、ら……早く……!」 「……行くわよ!」 「え?」 何かを懸命に伝えようとする男の言葉を待たず、ナギサは3人を引っ張るように牢を抜け出す。 「ナギサ! 一体何を……!?」 「説明してる時間は無いわ! とにかく早くここを――――」 しかし、理由を聞こうとするトラッドの叫びも、彼女の慌しい声も、眼前に広がる異様な光景にその全てを失ってしまった。 「……間に合わなかったようね」 オーブを手に牢を出た4人の前に立ちはだかっていたのは――――テドンに住んでいた村人たち。 だが、誰の顔にも、入口で微笑んでいた青年の顔にすらも感情は無く、禍々しい光を放つ瞳だけが何かを漲らせていた。 その何かとは――――純粋な殺気。 「えっ……?」 信じられないものを見たかのように、リノは呆然と呟く。 「ナギサ……!」 「え?」 その時、男しかいなかったはずの牢獄から、突然シャーマンが襲い掛かってきた。 辺りの様子を窺っていたラザは一早くそれに気付き、鋼の剣でモンスターの槍を受け止める。 そこを彼の声で我に返ったナギサが、間髪入れずにハリセンで腹部を一閃した。 シャーマンはその一撃で、断末魔の叫びを上げながら絶命する。 「今の、は……?」 まだ状況が飲み込めていないトラッドがナギサに尋ねた瞬間。 村人の身体と魂を喰い破るようにして――――大量のモンスターが姿を現わすのだった。 次の話へ
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