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「簡単に言えば――罪人の島、だな」 今にも土に還ってしまいそうな、朽ち果てかけた白い家。 そんな外装とは裏腹に、家の中は不思議と一切の脆さを感じさせなかった。 おそらく、仄暗い赤を基調とし、指先大のくすんだ緑が無数に散りばめられている厚手の布が敷かれているせいだろう。 置いてある物は小さなカウンターが一台と、脚が一つ取れて三本になっている椅子が二脚。 勿論、そこにも同じ色使いの布が被せられている。 カウンターの向こう側にいるのは、短い黒髪と新緑の瞳を持ち、無精ひげを生やした細身の男。 白のシャツに黒のズボン。首には赤の蝶ネクタイと、町の酒場でも見かける至って普通の服装。 年齢は、一見すると三十代半ばに見えるが、実際は25らしい。つまり、ラザよりも一つ下になる。 リノたちは軽く一礼をし、それぞれ自分の名前を告げようとした。 しかし、彼は面倒臭そうに右手を振ると、 「俺はパブロって言うんだ。それだけ覚えてくれれば良い」 自分だけ名乗って、ここを訪れた理由を訊く。 最初は困ったように顔を見合わせた4人だったが、意を決したようにトラッドが尋ねた所、先ほどの答えが返ってきたのだ。 「罪人の……島?」 俯いたまま、グラスを磨いている彼を見据えながら、トラッドは呆然と同じ言葉を繰り返した。 「……正確には罪人とされた、って言った方が正しいか」 パブロは間を置いた後、わずかに陰鬱な表情で言い直す。 意味としては、それほど変わったとは思えない。 「つまり、本当は無実という事か?」 だが、口調や表情から察したラザが確かめるように問いかけると、 「話の早い人間は嫌いじゃないが……そういうわけでもないな」 何処か満足げに、人懐っこい笑みを携えながら頷くと、カウンターにカップを4つ置いた。 赤と緑の中で明らかに場違いな白のカップは、グラスと同じく毎日磨いているらしく、一点の曇りも見当たらない。 そこで彼はくるりと背中を向けると、湯気を立てている小さなポットを手に取り、紅茶を注ぎ始める。 いつの間に準備していたのだろうか、と不思議そうな顔をする4人に、 「単なる日課だ」 パブロは抑揚の無い声で、淡々と答えた。 今までに無い芳醇な、それでいて無遠慮に纏わりつかない香りが部屋中に広がり始める。 「……少し長くなるから、これでも飲みながら聞けばいい」 相変わらず顔も見ないまま、彼はぽつりと呟きに唇を割った。 会話する事に慣れていないのか、もしくは元々そんな気も無いのか。 この時点では、どちらとも言えなかったが、 「ああ、味の保障はしないからな」 思い出したかのように付け加えられたその一言は、わずかに親しみが感じられるものだった。 パブロが話し始めた昔話。それは――血塗られた歴史の一端だった。 まだモンスターが、それほど多く見受けられなかった頃。つまり、魔王バラモスの名前が広がり始める前の事だ。 国を束ねる王たちは、競って自分の領土を広げようと、数え切れないほどの戦争を繰り返していた。 その争いが、皮肉にもバラモスの存在によって終止符が打たれたのは、有名な話である。 ただ、彼が話した事は、殆どの人間には知る由もない裏の歴史だった。 一度、戦争が起これば、どれほど悲惨な状況であっても、勝敗が存在する。 同時に、勝者は当然の権利のように敗者を捕虜にし、同じ人間とは思えない環境化に置いて、過酷な労働を強いていた。 だが、全ての国がそうではない。というより、行なっていたのは、たった一つの国だ。 その国とは――かつて世界最強と謳われたアリアハン。リノが生まれ育った場所である。 しかし、戦争が終わりを告げ、人々が一丸となってバラモスに立ち向かおうとした時の事。 アリアハンは捕虜を一人として解放せず――――ルザミに流してしまったのである。 それも、正真正銘の罪人たちと共に、だ。 バラモスの影響によって数が増え、獰猛になったモンスターたちは、人間にとっては脅威以外の何者でもない。 その上、国は長く続いた戦争で疲弊しきっている。だからこそ、生き残るためにはどうしても協力し合う必要があった。 だが、共通の敵が現れたからといって、全ての過去が消え去るわけではない。 つまり、アリアハン王はこう考えたのだ――捕虜を国に帰し、真実が明るみになれば、孤立してしまうのではないか、と。 仮初とはいえ、平和が保たれている間は何も無いかもしれない。 しかし、バラモスが倒されてしまった後は、一体どうなるのか。 当前の話だが、捕虜たちには故郷があり、大切に想う人が帰りを待っている。 そんな彼らが、不当な扱いを受けていたと知れば、誰もが怒りを覚え、その矛先を全てアリアハンに向けるだろう。 そしてアリアハンは誰の支援も望めないまま、立ち向かわなければいけなくなる。 だが、全員が戦争で死んだ事になればどうか。 それならば、アリアハンだけが特別ではない。 何故なら、戦争で流れた血を血で洗い流したのは、全ての国が背負っている罪なのだから。 アリアハンの保身。ただ、それだけのために捕虜たちはルザミへ送られ、その存在自体を隠匿されてしまったのだ。 そして、この島が荒れ果てているのは――――自分たちの国へ帰るために戦った証なのである。 「……でも……分かる気がする」 パブロの話を聞き終えてから、青ざめた顔で呟いたのは、自らの両手で震える身体を抱き締めているリノだった。 ショックを受けるのも、無理のない話である。 例え彼女自身が手を下したわけではなくても、自分の生まれ育った国が行なった事には違いないのだから。 「分かる、って?」 今にも崩れ落ちそうなリノの心を支えるように、トラッドは彼女の両肩にそっと掌を乗せながら問いかける。 すると彼女は、少し安堵した様子を見せ、ぽつりぽつりと消え入りそうな声で理由を話し始めた。 「王様は私を……女だって、知らなかったから……」 「……え?」 「それに……この目の事だって……」 リノはアリアハンどころか、世界でも広く名前が知れ渡っている勇者、オルテガの娘である。 本来なら生まれた時から、彼女の事を知っていてもおかしくないはずだ。 更にもう一つ。彼女が呪文を唱えると瞳の色が赤くなる事も、学校で大騒ぎになった、と母親のメリルは言っていた。 だとすれば、その噂まで王の耳に入らなかったのは、不自然以外の何者でもない。 「……国にとって都合の悪い事は、全て隠されてたって事かよ……!」 トラッドは珍しく怒りを押し殺しながら、呟きに唇を割った。 要するに、アリアハンは未だ諦めていないのだ――世界を統一するという野望を。 そんな王の志を理解しているからこそ、兵士たちはリノの事を隠し通そうとしたのだろう。 つまり――女として生を受け、瘴気に蝕まれてしまった彼女の事を、誰も認めていなかったのである。 「あ……」 トラッドは、リノの両肩に乗せていた掌に、ほんの少し力を込めた。 まるで、折れそうになっている彼女の心を支えようとするかのように。 一方、不意を突かれたリノはバランスを崩し、彼の身体に背中を預ける形になる。 「ト、トラッド……?」 その状態に気づいた彼女は頬を赤くし、力強い心臓の鼓動を感じながら、彼の名前を震えた声で呼んだ。 トラッドは言葉を探していたせいか、何も返事をしなかったのだが、 「……え?」 すぐに自分の行動に気づくと、慌てて身体を遠ざけた。 「あ、いや……その……ごめん!」 そして、耳まで真っ赤にしながら、酷く取り乱した表情で謝り始める。 リノには、それが面白かったのか少しだけくすりと笑うと、 「もう、大丈夫だから……いつも、ありがとう……」 黒い瞳を潤ませながら、ぺこりと頭を下げた。 すると、トラッドは一瞬見惚れた後で、また顔を赤くして顔を逸らす。 だが、彼女はそんな彼の行動の意味が分からず、不思議そうな顔を浮かべていた。 「……えっと、話は終わりだが、知りたい事はこれで全部か?」 数分後、困った様子のパブロが4人にそう尋ねる。 おそらくリノとトラッドの雰囲気に、中々話しかけるタイミングが見出せなかったのだろう。 「…………そうだな」 それを唯一理解していたラザは、苦笑いを浮かべながら言葉を返す。 ここへ来て、まだ一言も発さず、未だハリセンを振るう素振りも見せないナギサを、横目で気に掛けながら。 「じゃあ、そろそろ行……あ」 その時、立ち去ろうとしたトラッドが、何かを思い出したらしく足を止めた。 「ああ、お代なら別に――――」 たったそれだけで意図を察したパブロは、磨いていたグラスから目を離し、初めて顔を上げながら断ろうとする。 だが、彼はトラッドの姿を見た途端、わずかに目を見開くと――――不意に言葉を途切れさせた。 とはいうものの、その仕草は注意深く観察していなければ分からないぐらい、ほんの一瞬で些細な事。 現にお金を出そうとしていたトラッドや、既に背中を向けていたリノとラザも全く気づいた様子は無かった。 しかし――――唯一ナギサだけは、パブロの不自然な行動に気づく。 元々、彼女はルザミに辿り着いた時から、何かに気づいている節があった。 更に言うと、その事を考えていたのが原因で、酒場に入るのも少し遅れている。 普段以上に過敏になっていたからこそ、冷静さを失わず、小さな違和感を見逃さなかったのだ。 「だったら、一つ頼まれてくれないか?」 「え?」 ナギサの視線に気づいていないパブロは一息吐いた後、一度首を横に振る。 そして、新緑の瞳で改めてトラッドを見据えると、掠れた声でこう告げた。 「……北東に墓地がある。その中に一つだけ、島の外を向いている墓標があるんだ」 「…………墓標?」 「祈ってやって欲しい」 唐突に、何の前触れも無く、紡がれた願い。 例え理由は分からなくとも、断る事が躊躇われるほど、パブロの口調は真剣だった。 「誰よりも……外の世界に憧れている人だった」 彼は4人の――いや、トラッドの返事も待つ素振りも見せず、震えた声で話を続ける。 「……だから、外から来たあんたたちに頼みたい」 そして、彼のトパーズ色の瞳に映る自分の顔を見つめると、頭を下げながら呟いた。 「トラッド……」 「ああ、分かってる」 ラザの声に、彼は振り向かずに答え――首を縦に振る。 「……俺たちで良かったら」 「…………すまないな」 だが、頭を下げたままのパブロの顔は、何故か複雑な表情に歪んでいた。 「悪いけど、3人で行ってもらってもいい?」 唐突にナギサが呟いたのは、酒場を出た直後だった。 意図が掴めないリノたちは、しばらく肯定も否定もせず、ただ戸惑っていたが、 「……辛いのか?」 ムオルでの出来事を思い出したラザが、心配そうにそう問いかける。 「え……ああ、そうじゃないわよ」 彼女にとっては予想外の答えだったらしく、一瞬呆然となった後、手をパタパタと振った。 苦笑いを浮かべている所を見ると、どうやら本当に別の理由があるらしい。 「ちょっと、ね……個人的に聞いてみたい事があるの」 「だったら、皆で――」 「いいわよ。そんな大した事じゃないし」 進みかけた足を止め、酒場へ戻ろうとする3人を、ナギサはいつになく強い口調で遮った。 そして、両頬は照れているせいか、ほんのり赤く染まっている。 「そこまで言うなら、まぁ……大丈夫だと思うけど、迷ったら船で待っていてくれ」 「ええ。もし話が早く済めば、すぐそっちに行くわね」 彼女の言葉に頷いた後、リノたちは北東にある墓地へと歩き出した。 「……さて、と」 徐々に遠ざかっていく背中が小さくなると、ナギサは笑顔を消し、再び酒場へと足を踏み入れる。 「ん? 何だ、行ったんじゃなかったのか?」 一度閉じられた扉が開くと、パブロは驚いてはいなかったが、当然訝しげに問いかけた。 だが、彼女の碧眼に何かただならぬ気配を感じたのか、磨くために持ち上げられたはずのグラスは、またカウンターに置かれている。 「……知ってる事なら、何でも教えてくれるのよね?」 ナギサは低い声で答えると、壊れかけている椅子を手で引き寄せ、静かに腰を下ろそうとした。 しかし、その時――――もう一人、誰かがここへ入ってきた事に気づき、身構えながら素早く振り向く。 「ラザ……?」 「……気になって、戻ってきた」 入口に立っていたのは、先ほど見送ったはずの彼だった。 だが、リノとトラッドの姿は見えない。 「…………何が気になったの?」 彼女は威嚇するような鋭い視線でラザを見据え、少し苛立った口調で問いかける。 「あの2人は気づかなかったようだが……少し様子がおかしかったからな」 「…………でも、本当に何も無いわよ?」 「なら、俺が聞いても問題は無いな」 一向に引き下がらない彼を、ナギサはしばらく睨み続けていたが、 「……お見通し、ってわけね」 小さな声で呟くと、軽く首を横へ振ってから、大きくため息を吐いた。 その言葉から、ラザは先ほどの彼女はやはり芝居していたのだと確信する。 彼は苦笑いをし、ナギサの隣に座ってから、声を潜めてこう告げた。 「言わなかったんじゃなくて――言えなかったんだな」 今、彼が言っているのは、酒場に入る前の事だ。 そう理解したナギサは、神妙な表情でこくりと頷くと、 「で……あの2人にはどう言ってから来たのよ?」 慎重に辺りの気配を探りながら問いかけた。 どうやら、彼女が気に掛けているのはラザ以外の2人らしい。 「ナギサ一人だと心配だから、と言ったら納得したが?」 「……へぇ……どういう意味かしらね」 確かに彼の答えは、普通に聞けば何ら問題は無い。 ただ、トラッドの捉え方に含みがあるように決めつけた彼女は、右手でハリセンを握り締めながら頬を膨らませた。 「とりあえず……俺も同席させてもらう。口にしない方が良い事は、知っておいた方が良さそうだからな」 ラザがなだめるつもりで話を促すと、彼女も一応は納得したのか、改めて椅子に座り直す。 「……もういいか?」 そう尋ねたのは、今まで静かだったパブロ。 彼は待ちくたびれた表情で、2人が頷くのを確認すると、2杯目の紅茶を少し乱暴に淹れるのであった。 ナギサとラザが酒場で話を始めた頃。リノとトラッドも目的の場所へ辿り着いていた。 島の北東。そこには両手で数えれるほどの墓標が、まばらな間隔で建てられている。 周りを囲んでいるのは、簡単な造りの木の柵だったが、内と外では随分と様相が異なっていた。 外は他の場所と同じく、荒れ果てた草と建物の跡らしい崩れた赤のレンガが敷かれている。 しかし、柵の中は驚くほど綺麗に整地されていた。 とはいっても、あくまで城下町の民家にある花壇程度。だが、周りが酷すぎるせいか、そこだけは特に際立って見えた。 ……………… 一つだけぽつんと離れた場所にあり、一心に島の外、つまり北の方角を見つめている墓標。 視界を遮る事を良しとしなかったのか、そこの一部分だけ柵が外されていた。 ふと気づいたトラッドは、リノにもその事を告げると、墓標の背中へと祈りを捧げた。 …………………… 教会が行なうような、形式的な祈り方を知らない2人。 時々、思い出したように互いに顔を見合わせてはいたが、分からない物は分からない。 だからこそ、2人は精一杯心を込めて、祈りを捧げた。名前も知らない、誰かのために。 「…………リノ?」 先に目を開けたトラッドは、左隣でまだ祈りを捧げている彼女を呼んだ。 何処か思い詰めている様子が、どうしても気にかかったからである。 しかし、それは今に始まった事ではなく、ここへ来る途中からずっとそうだった。 おそらく、まだパブロの話で受けたショックから、立ち直っていないのだろう。 「……うん」 これまでは何でもない、と繰り返していたリノが、初めて違う一言を口にする。 「どうかしたのか?」 トラッドは、より一層心配そうな顔で問いかけた。 「…………どうしたら、いいのかな」 「え?」 彼女は一つ、小さなため息を吐いた後、不安定な音色でこう紡ぐ。 「世界が平和になったら――私は何処に行けばいいの……?」 遥か先の未来を見据えながらも、一所に定まろうとしない言葉。 そこには、今までリノが背負ってきた闇が、はっきりと横たわっていた。 「最初は……旅立った時は……死ぬつもりだったから、考えもしなかった」 「…………」 「でも、今は生きていたい……けど……母さんとお祖父ちゃんに悪いけど、アリアハンには帰りたくない……」 頬を伝って零れ落ち、墓標の上に溶け消えていく涙。 「だから……どうすればい――――」 再び紡がれようとした迷いの言葉は――――不意にリノを抱き締めるトラッドによって遮られた。 「ト、トラ……ッド……!?」 彼女は慌てて身体を離そうとするが、後頭部を押さえる力強い右の掌と、心地良い温もりにすぐ身を委ねる。 不思議といつものように顔が熱くなる事も、心臓が速く脈打つ事もなかった。 「あ……」 だが、それも束の間の事で、リノは唇から吐息の混じった声を漏らす。 知らない内に背中へ回されていた彼の左手が、より強く、より優しく自分を抱き締めたからだ。 彼女は徐々に速くなっていく彼の鼓動を耳にしながら、頬を真っ赤に染めていた。 「………だったら、旅を続ければいい」 「……え?」 一方トラッドは、戸惑ったままのリノに構わず、同じく震えた声で更に続ける。 「ナギサやラザ、それにヤヨイはどうするか分からないけど……俺は、ずっと一緒にいるから」 「ず……っと……?」 その言葉に、リノはハッとなって尋ねる。 「トラッドは……帰らないの?」 しかし、彼はゆっくりと身体を離すと、彼女の両肩に手を乗せた。 「いや、本当はどうしようかと思ってたぐらいで、帰るつもりは無かったんだ」 そう告げるトラッドの表情には、一切の迷いが見えない。 「今、こうして世界中を旅してるけど、もっとのんびりしたいとは思ってたし……それに」 「それに?」 不思議そうな顔で問いかけるリノに、彼は無邪気に笑いながら呟く。 「リノと一緒なら――きっと何処に行っても楽しいかな、って」 ほぼ同時に遠ざかっていく、トラッドの掌。 「ただ、時々はメリルさんやお祖父さんに顔を見せた方がいいと思うけど」 その時、穏やかな涼風が2人の間をすり抜けていった。 だが、まだ肩が熱を帯びているように感じた彼女は、手を交差させて、少し寂しげな表情で触れる。 そんなリノの仕草を、彼はどう受け取ったのか、 「あ、いや……その……勿論、リノが良かったら、だけど……」 恥ずかしそうに顔を逸らし、くぐもった声で申し訳無さそうに告げた。 (……私は、どうなんだろ……?) いつものトラッドらしい様子に、彼女は安堵の息を零しながら、彼の言う光景を想像する。 青空の下、この果てしなく広い世界を旅する2人の姿を。 「……うん」 しばらく間を置いてから、リノは小さく頷いた。ほんの少し楽しそうな顔で。 「私も、トラッドがいいなら……そうしたい」 「……そっか」 2人は互いの右手で握手をし、言葉と約束を交わす。 あまりにも不確かだが、何処までも優しい約束を。 「それじゃあ、船に戻ろうか」 「うん」 それから、最後にもう一度墓標に祈りを捧げると、この場を後にした。 (……どうして、俺は) 帰り道、左隣を歩くリノを横目に、トラッドは自らに問いかける。 (約束するだけなら――抱き締める必要なんて無かったのに) 本当はそうするつもりじゃなかった、と言い聞かせるように。 (……さすがに……驚いたよな) だが、彼女の辛そうな顔を見た途端、頭の中が真っ白になってしまい、我に返った時にはもう――抱き締めていた。 あの時、トラッドは酷く取り乱していた。話そうとした事も思い出せないぐらいに。 落ち着いて話していたのは、精一杯何かに抵抗していたからに過ぎなかった。 (やっぱり……こういうのは良くない、よな) まるで他人のように動いてしまう、自分の身体。彼は自分の知らない感情に、初めて恐怖を抱き、問いかける。 しかし、返って来る答えは、いつの間にか胸中で息づき始めていた――――鈍く、甘い痛みだけだった。 次の話へ
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