第72話 「初めての敵意」


 海賊たちのドスが効いた低音と、上質な酒の香りが飛び交う砦の内部。
 相当巧みに加工してあるのか、近くの森から採取したと思われる木材は、何処も鮮やかで明るい。
 砦の大きさからすると、窓は両手の指で数えられるほど少なく、どれも小さな四角形だった。
 おそらくは外敵、主にモンスターからの襲撃に備えているものだと思われる。
 中央には、三人ほどで手入れが追いつくであろう庭園と、歪な楕円の泉があった。
 その存在が壁の至る所に掛けられている剣や斧、弓矢などの武器類の殺伐な雰囲気を和らげていた。
 強く逞しい海の男の住処としては意外な印象を受けるが、不思議とバランスは取れている。
 また、荒くれ者の中にも、様々な気質を持った人間がいるという、何よりの証でもあった。
 つまり、未知の恐怖の対象であっても、蓋を開けてみなければ何も分からない、ということである。

「赤のオーブ?」
「ああ。大体これぐらいの宝玉なんだけど」
 ここは砦の最奥に位置するレイヴンの私室。
 リノとトラッドは小さな椅子に、二人の正面に位置する玉座ほどの大きさの簡素な椅子には、この部屋の主である彼女が座っていた。
 数多くの料理を並べられる大きな木のテーブルには、ビバグレイプの注がれたグラスが二つとジョッキが一つ。
 どれが誰の物かは言うまでもない。
 壁に掛けられている武器は他の場所と違い、先端に槍の穂先と鎖がついた小振りの斧が一つだけで、後は最低限の家具と多くの服がある。
 他には、レイヴンの遠い先祖らしい海賊の肖像画が飾られてある。
 中でも一際異彩を放っているのは、彼女には少々不釣り合いと思われる群青色のガウンだった。
 確か先代の頭領が愛用していたガウンだ、とトラッドは思い出し、遠い目をした。
(この絵の人って、もしかして――)
 一方、リノはというと、憂いを帯びた表情で肖像画に魅入っている。
 ふと気づいた彼だったが、何となく声を掛けそびれてしまい、思わずオーブの話を始めてしまった。

 ちなみにナギサとラザは、別の大きな部屋で宴を楽しんでいる。  豪快な飲みっぷりが海賊たちに気に入られた上に、すっかり意気投合したからだった。
 最初は怖い物知らずの海の男たちが、二人に飲ませようとする声ばかり聞こえていたのだが、

「姐さんサイコーです!」
「……へ? オ、オレはもう限界――」
「てめぇ……姐さんの注いだ酒が飲めねぇって言うのかよ!?」
「そそ、そんなことは……ありがたく頂きます……!!」
「おうおう、まだ飲めるじゃねぇか……あ、姐さん、注がせて頂きます!」

 今ではナギサが主導権を握っているらしい声しか聞こえてこない。
 宴の始まりから一時間にも満たない時間で、何が起こったというのだろうか。
 そして、彼女の横でラザは、一体どんな顔で飲んでいるのか――トラッドには嫌でも想像がついたらしく、冷たい汗を流していた。
 とはいえ、楽しんでいる事には変わりないようなので、安堵したのもまた事実だったりするのだが。

「それがここにあるって言うのかい?」
「ああ。父さんが先代に渡してたのを、この前思い出して――」
「で、それが今必要になったから譲って欲しい、と?」
「悪いとは思ってる……でも、無理を承知で頼む……!」
 トラッドは、自分がリノたちとバラモスを倒すための旅をしているという事。
 そのためには、六つのオーブが必要だという事、など既に事情は話していた。
 それでもレイヴンは、少し悪戯な笑みで豪快にビバグレイプを煽っている。
 対してトラッドは、緊張した面持ちで少量ずつしか飲んでいない。
 理由は単純に強くないからだが、大事な話の途中に酔い潰れてしまわぬようにという配慮も兼ねていた。
 何せ、彼女たちの嗜む酒は、町の酒場で出される物より強烈なのだ。
 リノのグラスの中身は殆ど減っていないが、それはただ初めて飲む酒に警戒しているだけである。
「……あるとすれば、地下倉庫か。あそこにはオヤジの集めたガラクタが転がってるからね」
 レイヴンがガラクタと呼ぶ物の正体は先代が発見した財宝の数々だ。
 また、彼女の部下も手入れを怠っていないため、価値は全く損なわれていない。
 しかし、単に使い途がないというだけで、そう言い切ってしまう彼女に、トラッドは苦笑いを浮かべてしまった。
「もちろん、探す手間は取らせない。だから……!」
「……ちょいと、考えさせてもらうよ。だから、結論が出るまで酒でも飲んでてくれないか?」
 身を乗り出しかけた彼を右手で制し、二人が頷くのを確認すると、レイヴンは余った左手で頬杖をつく。
 傍からすれば、父親の遺品でもあるオーブを譲るかどうかを悩んでいるように見える姿。
(アタシには何の価値もないお宝だけど、トラッドにはそうじゃない……)
 だが、彼女が今考えているのは、
(それなら十分利用する価値はある……か)
 オーブを譲る時、どう話を進めればいいか、ということだった。
 隠された狙いに気づかない二人は、自分の状態を確かめながら、少しずつ酒を飲んでいた。



 そうして三十分が過ぎた頃。
「……で、オーブのことだけど」
 レイヴンがそう呟いた直後、木製の扉が二度ノックされ、控え目に存在を主張する。
「入るのは構わないけど……誰だい?」
 彼女が気の強そうな眉をひそめ、入室を許可した瞬間、
「やっほぉ〜! 話、進んでる〜?」
 右手にハリセン、左手に酒瓶を持ったナギサが転がり込んできた。
 しかも、くるりくるりと、踊っているのか酔っているのかも分からない足捌きで、だ。
 少し遅れて後へと続いたのは、沈痛な表情のラザ。
 心なしか顔も青ざめているが、決して気のせいではないだろう。
 ただ、今そうなったのか既にそうだったのかは、不明な上に追求したくもないのだが。
「ちょうど今、その話を」
「えいっ」
「――――!?」
 ナギサは、酔った相手でも律儀に答えようとするトラッドの後頭部へ、挨拶代わりのハリセンをお見舞いする。
 リノたちにとっては、叩かれた本人も含めてお馴染みの光景なのだが、見慣れないレイヴンは一人驚いていた。
「……とにかくオーブなんだけど」
 しかし、さすがは海賊を束ねる頭領というべきか、彼女はすぐに気を取り直して話を再開させた。
「実はアンタたちに訊きたいことがあったんだ」
「何かしら?」
 対して、真剣な表情で問い返したのはナギサ。本当はあまり酔っていないらしい。
「オーブを譲るのは構わないが――タダで、というのは都合が良すぎやしないかい?」
「……そうね。でも、私たちが出来ることなんて、たかがしれてるわよ?」
 油断なく彼女を見据える碧眼。後ろでは、ラザも頷いている。
「なに、そんな難しい話じゃないよ」
 そこでレイヴンは鋭くリノを睨みつけた後、酷くぎこちなくも冷静を装っていた声で、こう呟いた。

「アタシが欲しいのは、ただ一つ。そこのトラッドだけな――」
「――ダメ……ッ!」

 ナギサが驚きの声を上げるよりも、ラザが目を見開くよりも。
 そして、レイヴンが望みを告げ終えるよりも早く、強い否定の意志で遮ったのは。

 いつの間にか席を立ち、頬を紅潮させているリノだった。

「じゃあ訊くけど……何がいけないんだい?」
「え?」
 だが、レイヴンは一歩も退く素振りを見せない。
「アンタたちは世界を平和にするために旅をしているんだろ? だったら、犠牲はつきものじゃないか」
「そ、それは……」
 呼気を乱していたリノは、脳裏にある男の顔を思い浮かべ、言葉を失ってしまう。
 その男とは、彼女に最後の鍵を渡すためだけに現世へ留まり、役目を終えた直後、二度と会えなくなってしまった優しい海賊のことだった。
 既に生を終えながらも、神の力によって生を縛られた彼は、他の誰でもないリノの犠牲と呼べる存在に違いない。
「それにトラッドは死ぬわけじゃないし、アタシには世界を救うなんてことに向いてるとは思えない」
 レイヴンは更に声を重ねていく。返す言葉を探し続ける彼女を諦めさせるために。
「コイツは盗賊……つまり、こっち側の人間だ。なら、アタシらと一緒に生きた方が幸せに決まってる」
「しあわ、せ……?」
「ああ。誰だってそうだろ? 自分の肌に合わない場所なんて、居心地が悪いだけさ」
 オーブが必要な事情、旅の目的は確かに話した。
 しかし、他は――リノの身体のことは一切話していない。
 にも関わらず、何も知らないはずのレイヴンの言葉は、まるで自分を責めているように聞こえた。
 リノの胸が鋭い痛みを訴える。それは、トラッドと再会してからは忘れかけていた痛み。
「でも……まだ聞いてない」
 だが、彼女はそれでも言葉を紡ぐ。
「……何を聞いてないんだい?」

 理由の分からない感情も。
 心に突き刺さった棘も。
 嫌でも思い知らされた自分の罪でさえも。
 全てを押し殺した先で、ようやく見つける事が出来た嘘偽りのない想いを――彼女は口にした。

「私はまだ――――トラッドがどうしたいか聞いてない……!」

「リノの言う通りだな」
 部屋に響く彼女の乱れた息遣いを耳にしながら呟いたのは、これまで沈黙を守っていたラザだった。
「ええ。リノちゃんもトラッドも、心を持った人間だもの。もちろん、私たちだってそうなんだから、簡単に頷けないわね」
 そんな彼の後に、普段最もトラッドを玩具扱いしているナギサが言葉を重ねる。
 リノは束の間驚くものの、彼女の気持ちを理解すると、すぐに顔を綻ばせた。
 二人とも同じ想いだったという事もそうなのだが、
(人間……私もみんなと同じで、いいんだ)
 それ以上に自分が気にしている身体のことを踏まえた上で、ナギサがそう言ってくれたのが何よりも嬉しかったからだった。
「……じゃあ、訊いてみようじゃないか」
 一方、レイヴンは四人の固い絆に、声を震わせながら告げた直後。
 この部屋にいる全員の視線が彼に集まると同時に、誰もがある事実に気づく。
 それは問題の渦中にいるはずの彼が、先ほどから一言も喋っていないという事だ。
「あ、あの……トラッド?」
 彼の隣にいるリノは、首を傾げながら名前を呼んでみるが、反応は微塵もない。
 そこで彼女が不思議そうな表情で、トラッドを揺さぶってみると、
「……え?」
 何の抵抗もなく身体が崩れ、そのまま椅子から転げ落ちてしまった。
 ごん、という分かりやすい音が部屋中にこだまする。
 彼は起きた時に頭を押さえながら、間違いなくたんこぶが出来た理由を考えるだろう。
「…………ナギサ」
「お酒のせいね」
 ポンと肩を叩くラザに対し、彼女は何かを訊かれる前に答えを返した。
 察しが良い、と取れなくもないが、頬を伝う冷たい汗から考えるとそれはない。
 張り詰めていた空気は、二人の会話にあえなく弛緩する。
「まぁ、酔っていたせいもあるだろうが、間違いなくさっきの一撃が原因だな」
「……分かってるから、改めて言わないで」
 碧眼で天井を見つめ、あははー、と陽気に誤魔化すナギサ。
「…………リノ、って言ったね」
「え?」
 夜の冷気にも似た鋭い声に、消え失せたはずの緊張感が蘇る。
 リノが弾かれたように顔を上げると、いつの間にか立ち上がって、自分の左腕を掴んでいるレイヴンがいた。
 空いている手には、壁に掛けられていた鎖付きの斧が握られている。
「二人だけで話がしたい。構わないだろ?」
 続けて彼女はナギサとラザを交互に見据え、断る事を許さない口調で問いかけた。
 しかし、リノは一切の迷いを見せずに、こくりと頷く。
 若干柔らかではあったが、彼女にしては珍しく荒い所作で、レイヴンの手を振り払いながら。
「リノちゃん……!」
「大丈夫、何も心配は要らないから」
 二人がこれから何をしにいくのか。
 瞬時に理解したナギサは制止を試みたが、彼女のいつになく強い声はそれを許さない。
 ほどなくしてレイヴンが、後に続く形でリノが部屋を後にし、木製の扉が静かに閉じられた。
 残されたナギサは浮かない表情のまま、ラザの赤い瞳に碧眼を映す。
 その後、彼女は床に倒れているトラッドの身体を揺り動かすものの、起きる気配はない。
「ラザ……どうすればいいと思う……?」
「……今のところ、待つしかないだろうな」
「やっぱり私の――」
「違う」
 不安そうな弱々しい呟きに対し、彼は珍しく強い口調で言葉を遮ると、
「……おそらくは避けて通れない道だった。だから――今は見守るしかないんじゃないのか?」
「…………うん」
 ナギサを椅子に座らせてから、柔らかく頭を抱き寄せると、冷静を装った温かい声を返すのであった。



 空にあるのは、少しだけ欠けた円に近い月と、異なった輝きを放つ数多の星々。
 夜特有の冷気を帯びた空気は、恐怖を覚えるほど澄んでいる。
 レイヴンがリノを誘った場所は、見通しの良い砂浜だった。
 背中には抜けてきたばかりの浅い森はあるが、それ以外の遮蔽物は何もない。
 つまり、モンスターに襲われる可能性は否めないものの、
「ここなら問題ないな」
 誰にも邪魔されず、二人だけで思う存分話し合える場所という事だった。
「……何をするつもりだ?」
「随分、分かりきったことを訊くんだね」
 険しい表情で問いかけるリノの右手は、剣の柄に添えられている。
 レイヴンはその様子を紫の瞳に映しながら、呆れたように笑うと、斧を左手に持ち、眼前で構えた。
「元々、話し合いだけでカタがつくとは思ってなかったけど……アイツが眠ってたのは幸運だったかもしれない」
 鋼の剣を鞘から抜き去り、同じく構えてから首肯するリノ。

 レイヴンは元より、リノも初めて名前を呼ばれた時から、分かっていたのである。
 十中八九、戦う事になるだろう、と。

「もし起きてたら、間違いなく許さないだろうから……って、アンタとは初めて気が合ったね」
 だが、今度は彼女も頷かない。
「……まぁ、いいさ。とにかく始めようか」
 レイヴンが満足げに呟いた一言は――未だ平和の域にあった空気を、戦いのモノへと変貌させる。
 と同時に、リノは剣を左下方に構え、粒の細かい砂の感触を靴底で確かめながら駆け始めた。

 理由は大きく二つある。

 一つは彼女の持つ小さな斧。
 かつて戦ったカンダタは、大きな斧の重さを感じさせる事なく、まるで自分の手足のように操っていた。
 その斧が小さくなれば、どれほど多彩な動きを見せるのか、と危惧したからである。

 もう一つは、取り付けられた鎖の存在。
 今はまだ、どう使われるのかは想像もつかない。
 それでも無視するわけにはいかない、とリノの直感が訴えていた。

 だからこそ彼女は、間髪入れずに走り出したのである。

「……へぇ」
 二人の距離が無になるまで、おおよそ五歩といったところ。
 しかし、レイヴンは彼女の動きに感心するだけで、一歩も動こうとしない。
 そこでリノは、わずかに姿勢を低くすると、右足で強く砂を蹴り、一足で間合いを詰めた。
 狙う箇所は彼女の右上腕だったが、斬ってしまわないよう、寸前で刃を水平に返して叩きつける――つもりだった。

 だが、意に反して鳴り響いたのは、どこまでも澄み切った無機質な音。

 レイヴンは両手で振るわれた渾身の一撃を、左手一本で受け止めたのである。
「……!?」
 あまりの反応速度と力の強さに、リノは驚いた顔を見せるが、それは一瞬だった。
 すぐに我に返った彼女は、立て続けに斬撃を繰り返す。
 月光を受け、うっすらと輝く剣と斧が生み出すのは幾筋もの閃きと、同じ数の金属音。
 既に叩きつける余裕はない。あるのは目の前の相手を打ち倒そうとする意志だけ。
 にも関わらず、レイヴンは全てを弾き、時には受け流して凌ぎきる。
「確かに……アンタの剣は大したもんだ」
 しかし、決してリノの剣が遅いわけではない。
 少女であるが故に足りない力も、身体の捻りやバネを活かして補っていた。
 その二つの事実を合わせ考えると、相当なレベルであると言える。
 だが、レイヴンの男に勝るとも劣らない腕力と、
「ただ――狙いが素直すぎるんだよ……!」
 一挙一動、それこそ視線の動きですら見逃さない鋭い洞察力が、鉄壁の防御を築き上げていた。
「くっ……!」
 それは焦燥か、それとも精神的な疲労か。
 普段より朱くなったリノの唇から、苦悶の声が零れ落ちる。
 それに伴って、大雑把になる剣戟にレイヴンは紫色の両眼をより一層細くすると、流れに逆らわず、身体を半回転させながら大きく後ろへ跳躍した。
(え……?)
 戦闘において、背中を見せるという行為は、致命的な隙以外は何も生み出さない。
 しかし、脳内に響き渡るのは理由の分からない警鐘。
 リノは戸惑いながらも、追撃のために踏み出していた左足で右へと跳ねた瞬間――

 黒い塊が風切り音とともに、彼女の真横を駆け抜けていった。

「なっ……!?」
 ざく、という湿り気を帯びた音色と弾ける砂の粒子。
 それがレイヴンの投擲とうてきした斧によるものだという事は、彼女の手から伸びた鎖からも明らかだった。
 驚愕の声を漏らすリノの黒髪が、音もなく中空を彷徨った後で舞い降りていく。
 どうやらわずかに掠っていたらしい。
 右へ跳ばなければ、今頃リノの身体に真っ赤な血で縁取られた風穴が空けられていただろう。
「伊達に勇者をやってるわけじゃない、ってところか」
 レイヴンはまた感心したように呟いた後、朱唇の端を吊り上げて、冷たい笑みを形作った。
 不意にリノは、背筋が凍ったような感覚に襲われた。
 それは胸騒ぎと言っても差し支えのない、先ほどと同じ直感めいたモノ。
 まだ何かある、ここにいてはいけない。
 自分の内側から滲み出るのは、複雑に入り混じりながらも、全てが危険を訴える声なき声。
 身体中の細胞のざわめきに従い、彼女は再び、今度は大きく左へと跳躍した。
 それは、レイヴンが右手の鎖を全身で引き寄せるのと、ほぼ同時だった。
「ちっ……!」
 忌々しげな舌打ちとともに、リノの後方で小さな砂塵が巻き起こる。
 中から姿を現したのは、まるで生き物のように蠢く、地に突き刺さっていたはずの斧。
 斧は危うげでありながらも美しい曲線を描きながら、主の元へと返っていく。
 そうして二人は、戦う前の状態へと回帰した。唯一異なっているのは、少しだけ荒くなった二つの息遣いのみ。
「……驚いてるところを見ると、こういう武器を扱う相手とは戦ったことがないようだね?」
 問いかけとも確認とも取れるような呟きに、リノが無言で首肯すると、
「本当に……いちいち癪に障るヤツだよ……!」
 優れた察知能力を持つ銀髪の青年の顔をふと思い浮かべたレイヴンは、獣の咆哮にも似た声でそう激昂し、爆ぜるように駆け出した。


 それからの戦いは――――互角だった。


 いつになく勘が冴え渡るリノと、驚異的な洞察力を誇るレイヴン。
 そんな対照的な性質を持つ二人の共通点は、決め手に欠けるという事。
 とはいえ、互いに十分必殺となりうるだけの一撃を繰り出し合っているのも、また事実だった。

 狙いが分かり易いと指摘されたリノだが、それはこれまでの経験で培われた技であり、簡単に変える事など出来ない。
 もしそうすれば、途端に動きが固くなり、そのまま敗れ去ってしまうだろう。

 一方、レイヴンは変化に富んだ技を持っているものの、彼女の研ぎ澄まされた直感によって、ことごとく防がれている。
 更に付け加えると、彼女が得意とする斧の投擲と引き寄せは、奇襲の意味合いが強い。
 つまり、初見で避けられた今では、敗北を喫する隙になる可能性もあるのだ。

 だが、その違いはあくまで技に限った話であり、今二人を支えているのは、戦う意志と集中力に他ならない。
 それは、ある青年を想う心と言っても過言ではない、決して譲れない大切な気持ちでもあった。

「……っ!」
 もはや、どちらのものかも分からない苦悶の声。一体どれほど零れ落ちたのかも定かではない。
 だが、リノの黒い瞳も、レイヴンの紫の瞳も、未だ光を失っていなかった。
 少しでも気を緩めれば、自分の望まぬ形で勝負が終わってしまう、と互いに理解しているのだ。
 瞬きも、呼吸さえも許されないのではないか、という沈黙の中。
 二人は違う色の瞳で、じっと相手の姿を見据えている。
「アタシの方が……先なんだ」
 不意にレイヴンは小さく呟いたが、リノの耳には届いていないらしく、返事は返ってこない。
「アタシの方が先に出会って……先、に…………なったんだ……」
 しかし、彼女は途切れ途切れに言葉を続ける。
 まるで、自らの内に秘めた熱い想いを確かめるように。
「だから、後から出会ったアンタに……!」
 そこで一旦言葉を切ったレイヴンは、素早く呼吸を整えた後で背中を向けると、


「――――後からトラッドを好きになったアンタなんかに、アイツを渡したくない……っ!!」


 凄絶な叫びに喉を割りながら、黒い斧を投げて勝負を終わらせようと試みた。


 そんな彼女の気持ちを、はっきりと耳にしたリノは、
「……え?」
 緊張した空気に相応しくない音を紡いだ後――心に微かな痛みを残したまま、呆気なく剣を砂上に落下させた。






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