第76話 「重なる真実」


「……嬢ちゃん、そいつをどこで聞いた?」
 リノの呟きに、すぐさま問いかけるカンダタ。一見したところ、態度は崩れていない。
「こいつは、そうそう表に出る言葉じゃねぇ。なら、よっぽどの原因があるはずだ」
 だが、動揺までは隠しきれないらしく、音色は微かに強張っている。
「え、あ……その……言葉だけ。イシスの女王様、から。でも、詳しくは知らないって」
 逆に驚いたリノは、全員の視線に戸惑いながらも返事をした。
 彼女が聞いたという相手も意外だったが、
「あー……あの女は親父さんに惚れてたからな。国が少し力を入れりゃ、名前ぐらいは分かるだろうよ」
 納得混じりに呟くカンダタの答えも、また予想外のものだった。
「惚れてって……あんな綺麗な人がっ!?」
 黙する三人に代わり、ナギサが半ば狂乱気味に叫ぶ。
「トラッドの父さん……そんなにかっこいいの……?」
 しかも、相当にショックを受けたらしく、独り言のような口調になっていた。
「その辺りはよく分からねぇが、この小僧とよく似てる」
「じゃあ、悪くはない、か……で、性格は良いの?」
 一瞬、意外な感想を呟くナギサに、ラザは微かに目を見開く。
「不思議と人を惹きつけるのは確かだが……外見で男の良し悪しを判断しているようじゃ、姐さんもまだまだ未熟だな」
「あのねぇ……別にそれが全てだなんて、一言も言ってないわよ。それよりも、盗賊の眼って?」
 しかし、彼女はカンダタの呆れた声に興味が失せたのか。
 ラザのため息も聞こえないフリをし、言葉と手の仕草で話を促した。
「同じ力の持ち主しか感覚を共有できないようだが……要は、全てを見通す力だ」
「全てを、見通す……?」
「ああ。予知と言ってもいいだろう。あくまで動きに限った話だが」
 この場にいる全員の意識が、銀髪の彼に注がれる中。
「トラッドは、そんな凄い力を持ってるのか?」
 聞き役に徹していたラザが、組んでいた腕を解き、ぽつりと尋ねる。
「間違いない。例えば……そうだな」
 だが、言葉ではどう綴っても補えない部分がある。
 そこでカンダタは、しばし首に右手を当てて考え込んだ後、
「初めて戦った時のことは、覚えてるか?」
 ラザ以外の三人に向き直り、二度の邂逅という共通点から説明を始めた。
「本当なら、嬢ちゃんたちに勝ち目はなかったはずだ」
「そうね。私は疲れ切ってたし、トラッドも怪我してたから……勝つのは難しかったと思うわ」
 対してナギサは、万全の状態なら負けていない、という内容を暗に漂わせつつ、物静かに返答する。
 負けず嫌い。不意にそんな言葉が、四人の頭をよぎった。ただ、誰も口にはしなかったが。
「なら、あの時……俺が毒針を避けられなかったのは、何故だと思う?」
「私が魔道士の杖で気を逸らしたからでしょ?」
 続く質問に、ナギサが淡々と答えた。
「違うな。あれこそが、盗賊の眼の力だ」
 しかし、カンダタは首を横に否定する。確信に満ちた音色を伴って。
「そもそも、気を逸らそうと考えたのは誰だ?」
「……あ」
「小僧だろ?」
 無言でこくりと彼女。
「つまり、コイツが迷いなく決断した時点で、俺たちの動きは全て見抜かれていた、ってわけだ」
「……随分、デタラメな力ね。それじゃ、まるで呪文――」
 と言いかけて、ナギサは口を噤んだ。
 何故なら以前、トラッドの異質な鋭さに同じ感想を抱いた、と思い出したからである。
「呪文、か。巧い例えだが……何せ、場を狂わせるほどの力だ。もしかすると、それ以上かもしれねぇな」
 確かに、彼の言う通り。これは呪文だけでなく、先読みの域すら超えている。どちらかといえば、トラッドにとって都合の良い現象を引き寄せる結界、といったところだろうか。
 それだけに、人が扱うには過ぎた力。と、ナギサが思うと同時に、
「傍からじゃ偶然にしか見えねぇし、俺もその時の感覚を知っていたからこそ気づいたんだが……弱点もある」
 カンダタは、その推測にもっとも近い言葉を漏らした。
「弱点?」
「親父さんが言うには、意識して使いこなせるシロモノじゃないらしい」
「……それって、全くアテにならないってこと?」
 そこで、彼女がきょとんと要約すると、
「少なくとも、切り札にはならねぇな」
 彼は的確に、致命的な答えを返した。
 トラッドは妙にいたたまれない気持ちを覚える。ナギサですら不憫と感じてしまうぐらい、はっきりと。
 それから、数秒程度の沈黙を経た後。
「…………とにかく。それが、どうして逃れられない理由に?」
 幾分沈痛な面持ちで、リノが改めて疑問を投げかけた。
「盗賊の眼を持つ人間は、必ず世界に一人現れる。二人になるのは、先代から受け継いだ者と、これから受け継ぐ者が出会った時だけだ」
 この場合。受け継いだ者は父親。受け継ぐ者はトラッド。四人は素早くそう理解し、神妙に頷く。
「でも、出会えるとは限らないんじゃ……」
「いや……と言っても、やはり受け継いだ人間にしか分からないことだが……」
 カンダタは運命という不確かなものを断言し、更に語る。
「どうも大昔から、この二者は出会う事を約束されているらしい。おそらくは、勇者を助けるため――いるのかどうかも分からない、神によってな」
「……また神様」
 リノはふと、最後の鍵を手に入れ、死んでからも守り続けた優しい彼を思い出していた。
「なんだ?」
「……ううん、何でもない」
 だが、言えない。何故か、トラッドの前では。
 そして、当の彼はというと。
「じゃあ、父さんは……それに従って……?」
 まるで裏切られたかのように暗鬱と、落ち込んだ音色を零れさせていた。これまで信じてきた父親への想いを、神の定めた運命呼ばわりされたのだ。何も思わないわけがない。
「……ったく。これだから、ガキってヤツは……」
 しかし、カンダタは露骨に顔をしかめる。
「おい、小僧」
「なんだよ……!?」
「例えどんな理由でも、どこの誰かも知らないガキに、愛情を与える大人がいると思うか?」
「え?」
「そりゃ、中にはそういうヤツもいるだろうよ。だがな、少なくとも親父さんは違う。かといって、自分を簡単にねじ曲げられる人でもねぇ」
「……断言、できるのかよ」
 普段の穏やかさを消し、トラッドは口を尖らせる。酷く哀しい表情で。
「ああ。俺はお前よりも長く親父さんと一緒にいた。それぐらい知ってて、当たり前だ」
 それでもカンダタは迷う素振りすら見せずに、力強く頷いた。相手を自分の事のように理解していなければ、とても紡げる声ではない。
「傍から見てても……正直、少し羨ましかったぐらい、自然な親子だったよ。お前らは」
「……俺だけじゃなくて、か?」
 するとカンダタは唐突に席を立ち、ラザを横目に窓際へと歩いていく。
 よく見ると、誰彼構わず射抜きかねない黒の瞳は、わずかに潤んでいた。その視線の先には、奇妙な形で生い茂る木々たち。
(いや……あれは)
 家。というより、廃屋。かろうじて見えた窓らしき物に、ラザはそう判断する。
 カンダタが物憂げに眺めるという事は、きっと彼らが住んでいた場所。今は使われていないらしい。
「……お前も分かってんだろ? わざわざ聞くなよ」
 ラザが色々思考を巡らせていると。
 彼は本人に宛てたような、それでいて独り言めいている呟きを落とす。
 一方、その言葉を受けたトラッドは、唇こそ固く結んだままだが、ほんの少し嬉しそうである。
 リノの前ではよく見せるようで、どこか異なる。柔らかくも初々しい表情。
 彼は父親と。また、父親は彼と。血は繋がっていなくとも、心の通った仲の良い親子だったに違いない。
 そう思わせるだけの雰囲気が、今のトラッドにはあった。
(やっぱり、誤解だったのね)
 ナギサは思わず微笑み、リノとラザへウインクをする。だが、それも束の間。
「じゃあ……あの時、本当は何があったんだ?」
と  最後に残された真相を問うトラッドの声に、再び緊張が満ちた。
 忘れていたわけではない。ただ、思い出すのが憚られた、というだけの事。
 とはいえ、状況は好転している。それは、今の質問からも明らかだ。
 バハラタでナギサが覚えた疑問に、ようやく彼も辿り着いたのだろう。
「言ったよな? 俺がこの男を殺した、って」
「……ああ」
「でも……今更だけど、信じられない」
 もし、カンダタが手をかけていないのであれば。
 これまでトラッドが抱いてきた憎しみは、一体何になるのか。
 意味を失うだけならまだしも、もし自分がカンダタの命を奪っていれば。
 それは、彼だけでなく、支えてくれた仲間にも罪を感じさせる事になる。
 誰一人命を落としていない現在の状況は、あくまで良い結果に過ぎないのだから。
 だが、トラッドも覚悟を決めていた。
 自分が間違っていたかもしれない事も。その時は、罪を償うべきだという事も。全てを理解した上で。
 でなければ、尋ねられるはずもない。

 しかし、それはあくまで覚悟を決めた"つもり"に過ぎなかった。


 現に、彼がこれまで積み上げてきた世界は――

「親父さんは…………俺をかばって、死んだ」

 その一言で呆気なく、見知らぬモノへと変わり果てた。


「どう、して……」
「あの日は雨が降っていた。ちょうど今みたいにな」
 はたと気づけば。囁いていたはずの雨は激しさを増して、一心に窓へ叩きつけられていた。
 トラッドの心境を具現化したようでありながら、どこか嘲笑うように。
「俺は視界のせいでモンスターに気づかなかったばかりか、ぬかるんだ地面に足を取られ――」
「そうじゃない……!」
 カンダタが状況を説明しようとした矢先。掠れた叫びが、鋭く遮る。
「……俺が、聞きたい、のは……!」
 刹那、彼の唇から風鳴りが零れた。これまでにない感情に震えた喉が、少しおかしくなったのかもしれない。
 トラッドをじっと見据え、カンダタは待つ。
 一方、彼は両拳を固く握り締め、複雑な感情に唇を噛む。
 それから、ぽたぽたりと。紅茶に落ちた赤い雫が波紋を広げた直後。
「なんで……あんな嘘、吐いたんだよ……!?」
 トパーズに今までとは違う憎悪を滲ませつつ、トラッドは改めて問い詰めた。
「本当のことを話してくれれば……俺は、憎まずに……済んだ」
 秘めていた告白は、血の滴りを伴って続く。
「兄のように思っていたアンタを……憎まなくても、良かったんだ……!」
「…………」
「そんなに……苦しめたかったのかよ」
「……いや」
「なら、答えろ!」
 世界を巡り、様々なものに触れる中も。トラッドの心には、いつも闇があった。
 これまで表に出さなかったのは、彼が言った通り、もっと大切な存在ができたからだろう。
 だが、一度堰を切ってしまえば最期、止める術などない。
「親父さんは、俺に何かあったら小僧を頼む、と言っていた。それも、ことある毎にな」
「……え?」
 激昂を繰り返し、肩で息をするトラッドに、カンダタはようやく重い口を開いた。
「にも拘わらず、お前は今にも後を追いそうだった……もう、覚えちゃいないだろうが……」
「…………」
「だがな、正直忘れたままでも良かった。俺のことをどれだけ嫌おうが、生きてさえいれば」
「……まさ、か」
 不意に一つの推測が、トラッドの脳裏をよぎる。
「俺を憎む気持ちを生きる目的にする。あの時は、そんな最悪の方法しか……思い浮かばなかったんだ」
 死臭漂う鮮明な記憶と、自分が覚えた果てしない絶望と共に。
 カンダタを救うため、命を犠牲にした父親。
 その彼はトラッドを生きさせるため、自身の気持ちを犠牲にしている。
 感謝こそすれど、憎んでいいはずがない。何があっても、だ。
「ったく……どうも、情が移っちまったらしいな」
 自分が何故そんな行動を取ったのか分からない。といった様子のカンダタは、困惑に身を委ねて、首に手を当てた。
「だが、お前が気に病む必要はない。これは、俺が勝手にやった――」
 そして、悪いのは全部自分、という意の謝罪をしようとした瞬間。
「っ!!」
 珍しく乱暴に、トラッドは椅子を蹴倒して立ち上がると、
「トラッド……!?」
 名前を驚き叫ぶリノに構わず、部屋を飛び出した。
 更に、彼女も。間髪入れずに、彼を追いかけていった。



「行かなくていいのか?」
 それから、数分の静寂を経た後。カンダタはおもむろに、尚も留まる二人へ尋ねた。
「……そうしたいのは、山々なんだけど」
 しかし、ナギサが動こうとする気配は、一向に見られない。
 敢えて違う点を挙げるとすれば、ラザの目を見つめ、互いに頷き合ったぐらいである。
 まるで何かを期待し、焦がれ、外へ出た二人を待ち続ける、とでも言いたげに。
「小僧のこと、心配してるんだろ?」
 訝しげに思ったカンダタは、答えの分かり切っている質問を投げた。
「当然よ。大切な仲間なんだから」
「その割に、扱いが酷い気もするが」
「あら、そんなことないわよ。あれは私なりの愛情表現だもの」
「……そうは見えないぞ」
「ふぅ……ラザもまだまだね」
 受けた二人は、カンダタの予想から少し外れてはいるものの、至って自然なやり取りを返す。
 確かに、ラザの口調から察するに、普段の光景はきっと同情を誘うものに違いない。
 が、同時に温かみも感じられる。二人が今交わしたのは、そんなやり取りだった。
「なら、どうして行かないんだ?」
 カンダタは質問を変える。胸中では、先ほどの問いは必要なかった、と密かに反省しながら。
「きっと、リノちゃんが一番なのよ。トラッドのことに関しては、ね」
「兄さんは?」
「ああ。俺もそう考えている」
 すると、今度は揃って、同じ意見を口にする。
 一見すると、仲が良いのか悪いのか分からないが、
「……そうか。随分と信頼してるんだな」
 もしかすると、これも彼らにとっては日常の一環かもしれない。
 漠然と感じ取ったカンダタは、在りし日の自分たちと彼らの姿を重ね、初めて椅子に深くもたれかかった。
 そうして、ぎしりという音が、部屋に横たわった直後。
「でも……ようやく、分かった気がするわ」
「何がだ?」
 ナギサの半ば確信を秘めた一言に、ラザが問いかけた。
「トラッドの鈍い理由よ。普通、それも特定の感情にだけ、あそこまで疎くないでしょ?」
「それはそうだが……どういう意味だ?」
 一方、傍らで聞いていたカンダタも、にわかに興味を示す。
 彼女の言う感情とは。外へ飛び出した二人が、互いを想う深い絆。
 二度の対峙で既に確信していた彼にとって、今更驚くような事でもない。
 付け加えると、淡い心の聡い鈍いに、理由などあるのだろうか、とも。
 などと、考えていると。
「きっと……トラッドの時間は、あの日から止まったままなのよ――そういう気持ちを知る前に、ね」
 何となく金糸を耳にかけたナギサが、碧眼を細めて呟いた。それも、幼さの残る不釣り合いな声で。
 かといって、カンダタを責めるような響きはない。どちらかといえば、自身に言い聞かせている感じだった。
「そんなこと有り得るのか?」
「それで、多分よ。けど、もしトラッドが復讐のことしか考えていなかったとしたら……それが一番自然じゃないかしら」
「……なるほどな」
 しかし、彼女は首を横へ振って、こう告げた。
「でも、話すつもりはないわ。こんな推測、もう必要ないもの」
「小僧が全てを知ったから、か?」
 次に唇を上下させたのは、知らぬ内に身を乗り出しているカンダタ。
 思うところがあるのか、表情は芳しくない。
「ええ。後は立ち直ってさえくれれば、あの二人も少しは……ね? もっとも、当たっていればの話だけど」
「……随分と気に入ってるんだな」
「けど、こういうことって周りが口を出すわけにはいかないでしょ? だから、こっそり力になりたかったのよ」
 最終的にどうするかを決めるのは、二人自身。だが、何かしら原因があるのなら、自分のできる事をしたい。
 ナギサがずっと、胸中で秘めていた想いだった。
「もちろん、好奇心もあったけどねっ」
 が、瞬間。ナギサはちょこんと舌を出し、艶のある苦笑いを浮かべ、答えた。
 正直、色々なものを打ち壊した感はあるが、新鮮な表情は可愛らしい、と思ったのもまた事実。
 相反する感想のギャップに、ラザは重いため息を吐きかけるが、
(……ん?)
 ふと、彼女の右手がシーツを握り締めている事に気づき、察する。
(まぁ、好奇心もあったんだろうが……本当に素直じゃないな)
 これは、半分照れ隠しなのだ、と。
「……だろうな」
 だからこそ、彼は何事もなかったかのように、呆れ返って見せた。
 無論、機嫌を損ねた時の恐怖がないとは言えないが。
「やっぱり……俺は間違っていたんだな」
 その時、不意にカンダタが澱んだ声を落とす。
 忌まわしい追憶。取り返せない後悔。突きつけられた無力感。
 様々な負を渦巻かせた、罪の告白を。
 しかし、彼に咎はない。それ以前に、正しさと過ちの境界線すら見えない。
 もし、この場でカンダタを元気づけられる人物がいるとすれば――トラッドの父親ぐらいだろう。
 と、そこまで理解しているにも拘わらず、
「……そうね」
 瞼を下ろし、ウサギの耳まで取り外したナギサは、あっさり肯定した。
「いくら思いつかなかったとしても、憎しみを糧に生きさせるなんて……間違ってる」
 更に重ねられたのは、研ぎ澄まされた言葉の刃。
 うなだれるカンダタを横目に、ラザは彼女を止めようとした。
「ナギサ! 何を――」
「でも!」
 だが、ナギサは一際甲高く遮ると、
「そのおかげで、トラッドはアリアハンに来て、もっと大切なことに気づくきっかけに出会えたのよ……だったら、全部が間違ってたわけじゃないわ」
 一転して小さな声で、本当に言いたかった想いを紡いだ。
 そして、雨粒の咆哮だけが、部屋に響く中。
「ったく……姐さんには、敵わねぇな」
 カンダタは声を大にして、初めて豪快に笑った。
「それはどうも……ただ……」
「何だ?」
「その、姐さん、っていうの、止めてもらえない? 何だか、盗賊団の姐御扱いされてるみたいなんだけど……」
 しかし、あっけらかんと流しそうなナギサは、頬を膨らませている。どうも、複雑な心境であるらしい。
「……あんたなら十分やっていけそうだけどな。兄さんもそう思うだろ?」
 そこで、彼はすかさず話を振ったが、
「…………」
 つい想像し、似合っていると思ってしまったため、ラザも否定できずに顔を逸らすだけだった。
 おそらく怒りの矛先を向けられるであろうトラッドに、胸中で謝罪しつつ。



 一方、その頃。
「はぁ、はぁ……」
 黒髪から爪先まで雫を滴らせているリノは、呼気も整えずに走り彷徨っていた。
 絶え間なく降りしきる雨のせいか、町には誰も歩いていない。
 だから、だろうか。彼女の耳にこびりつく水たちの音は、より焦燥を掻き立てた。
(トラッド……どこ……?)
 霞がかる視界。水を吸った服に重くなる足取り。まだ把握していない町の地理。
 不安に拍車をかける要素だけが、リノの心を埋め尽くしてゆく。
 もし、一度でも立ち止まってしまえば、きっともう歩けない。この空と同じように、泣き崩れてしまう。
(けど……今度は私が、支えなきゃ)
 だが、彼女は足の痛みも心の悲鳴も忘れて、ひたすらに歩を進める。
(こんな気持ち、忘れなきゃいけないけど……トラッドの力になりたい……!)
 矛盾を含んだ彼への想いだけを胸に息づかせ、捜し続ける。
 それでも叶わず、ついにリノが途方に暮れかけた時。
「あ……」
 何となく、足を踏み入れられなかった町の北東。数多の墓標が並ぶ場所で。
 冥福を祈るように。また、懺悔するように。誰かのひざまずいている姿が見えた。
「……トラッド!」
 人影が形作る、曖昧な輪郭。たったそれだけで確信したリノは、銀髪の彼を呼んだ。
「トラッド……ここに、いたんだ……」
 そして、頼りなく駆け寄りながらも安堵し、手を差し伸べようとしたのだが。
「…………いでくれ」
「え?」
 捜し求めた想い人の紡いだ言葉は――

「こっちに……来ないでくれ」

 嗚咽に震える拒絶だった。
「でも……このままじゃ風邪を引く、よ……?」
「構わない」
「どうして……!?」
 更にトラッドは振り向かず、墓標に額を当てたまま続ける。
「俺は、まがい物なんだ……何もかもが」



 同時刻。
「そういえば、一つ気になっていたんだけど」
「なんだ?」
「トラッドのこと、どうして名前で呼ばないの?」
 静かに帰りを待っているナギサが、同じ様子のカンダタに問いかける。
「小僧も似合ってるし、悪くないとは思うわ。でも、名前で呼んだ方が喜ぶんじゃない?」
 彼は、しばらくの間を置いた後。
「……違和感がどうしても、な」
 容量を得ない言葉を零した。
「違和感?」
 ラザは思わず、一つ音階の上がった声で繰り返し、カンダタはそれに答えようとする。
「ああ。小僧が名乗っている、あの名前は――」



 再び、雨中のサマンオサ。
「まがい、物?」
「間違った復讐も……この、名前でさえも」
「えっ……?」
 尋ねるリノに、トラッドは弱々しく頷き、
「トラッド、っていう名前は…………本当は父さんの名前、だから」
 誰にも口にしないと決めたはずの真実を、静かに告白した。






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