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リノたちが出発してから、数時間後。闇が夕空を浸食し始めた頃。 白。銀。溶け合って、白銀。一面の雪に埋め尽くされた大地、グリンラッド。 一切の混じり気がない代わりに、酷く儚げな色合い。 勇者と定められた少女が抱く、淡い気持ちに似た様相の中を歩み往く者たちがいた。 数はたったの二人――ラザとカンダタである。 「すまねぇな、兄さん。こんなところまで付き合わせてよ」 「気にするな。それにこれも必要なことには違いない」 「そう言ってもらえると、助かる」 さくさく、と刻まれる足跡も。薄ぼんやり伸びる影法師も。 横一線に並び、縦長く伸びたそれらの証だけなら、ラザも小柄に見える。しかし、体躯は細くても中々の長身。要するに、カンダタの身体がより大きい、というだけの事だ。 不意に緩やかだった風が、束の間強く吹き荒ぶ。 そこでラザが羽織った防寒具の襟を上げた後、 「……ところで、寒くないのか?」 左隣を平然と歩くカンダタに、身を強張らせつつ問いかけた。 「ん? ああ、別に」 というのも、彼が纏っているのは薄い黒一色で、いかにも盗賊然とした闇に紛れ消ゆ衣服。サマンオサにいた時と、全く同じだからである。グリンラッドどころか、カザーブでも物足りないであろう格好は、正直見ているだけでも寒い。何か秘密でもあるのだろうか、と訝しんでしまう。 「大体、暑いだの寒いだので、盗賊が動きにくい服を着るわけにもいかねぇだろ。仕事にも差し支えるしな」 が、紡がれた答えは強い心構え。気の持ちよう。理由は違えど、何処かで聞いた覚えがある、デタラメな原理だ。 かといって、素直に納得できる事実でもない。 「……トラッドはそうでもなかったようだが」 ラザは最後の抵抗とばかりに、身近な例を挙げてみるものの、 「あー……まぁ、小僧は半人前以下だからな」 右掌を首後ろに回したカンダタの言葉は、情けが欠片もない酷評だった。 その理論でいけば、彼以外は――いや、彼と"彼女"以外は、全員半人前以下だからである。 (ナギサの方は上手くいってるだろうか) 唐突にラザは、想い人の事を思い出す。本音を言えば、今に始まった事ではない。本当は昨夜に別れた時からずっと、案じている。頭の片隅で、残響し続けている。 あれほど頼れる存在はいない。十中八九、トラッドの事は大丈夫。半ば確信しているが、何故か胸騒ぎがするのだ。それも彼女の事で。 とんととん、ととんとんとん、と。右手の人差し指と中指で、自分の太股側面を叩くラザ。無為に何度も――幾度も。おそらく、仲間にも見せた事がない仕草だ。 (……とっとと終わらせねぇとな) 密かに気づいていたカンダタは首後ろに、今度は左掌を添えて、胸中で呟く。 そして、心なしか歩幅を大きくし、進む足を速めた。 ここに至る経緯は、朝早くにまで遡る。 サマンオサ城。石壁に覆われた外観は重厚で、佇む姿も壮大にして広大。加えて、壮観。正しく一国の中核を担うに相応しい、厳然たる領域だ。 だが、それはあくまで表面上の話。足を一歩踏み入れれば、雰囲気はがらりと変わる。 簡素。単純。質素。どの言葉も当てはまるようで、当てはまらない。端的に述べてしまえば、民家よりも頑丈で巨大なだけの建造物。金刺繍の赤絨毯はおろか、今はまだ空白の玉座も一切の装飾がない。 初めて城に入ったラザの想像とは、何もかもが遙かに異なっていた。 そんな困惑の中、彼は待っている。玉座から数歩離れた先で、膝を着いている。 「おう、兄さん。そんなに固くなる必要はねぇぞ」 さすがに覆面は付けていないが、隣で悠然と座るカンダタが"偏屈"と評する王を、待っていた。事の始終を説明するために。 「随分と慣れているな」 「ん? ああ、よく親父さんと来てたからな」 「どうしてまた?」 ふと色々や諸々の現状に引っ掛かったラザが尋ねてみると、 「メシを食うぞやら、狩りに行くぞやら……偏屈王がつまらねぇ用事で呼びやがるんだよ」 彼らしい口調の、場にそぐわない答えが返ってきた。が、この問題についての回答としては、今一つ要領を得ない。 ちなみにカンダタの声は、外見から容易く想像できる通り、よく響く重低音。当然、周囲に立ち並ぶ兵士たちの耳にも届いている。しかし、一人として咎めようとする者はいない。どころか、彼と同じく落ち着き払ってさえもいる。 「……そうか」 とりあえず、先の返答に納得の意を見せたものの、やはり釈然としない。もし、ここが町中でもあれば、話も違ってくるだろうが、仮にも城内。一国の主が居と定める場所。思考をどう反転させてみても、首を傾げざるを得なかった。 などと、珍しくラザが思い悩む様を露わにしていると。 「もう間もなく、王様がいらっしゃいます。くれぐれも失礼のないように」 若干くたびれた青ローブを纏う大臣が、いかにもな声で告げた。ここでやっと"らしい瞬間"に巡り会え、彼も幾分冷静さを取り戻す。 それから程なくして。 玉座の左奥に位置する鉄塊――扉より、ぎっぎぎ、と錆混じりの悲鳴が上がる。今の今まで放っておかれたからか、それとも歴史の重みか。どちらとも決めず、ラザは素早く顔を下げた。 次に、一歩。有り触れた靴に身を包んだ右足が、衣擦れを引き連れて表に出る。 「他国の客人に、カンダタよ。待たせてすまぬな」 更に、一言。掠れてはいるが、しわがれてはいない。むしろ、思っていたよりも若く、しかも微塵の気負いもなく。ましてや、偏屈、などとは到底思えない力強き、声。 「い、いえ……お気になさらずに」 逆にラザが、これもまた珍しく、声と身を強張らせてしまった。だが、引き続いて足音が一つ一つ、刻み繋がれる最中。 「そう緊張するものではない。面を上げ、楽にせよ」 サマンオサ王は、同質の口調で気遣うように呟いた。とはいえ、威圧や圧倒の類はおろか、高貴とも気品とも、違う。おそらくはこれが、これこそが"王"たる存在――と実感させられたラザは、ぎこちなく顔を上げた。 そして、いつの間にか座していたのは、大地を思わせる短髪と瞳を持つ、精悍な顔と体躯の男だった。歳はカンダタより上だろうが、やはり若い。服装は白いローブに濃紺のガウン。まるで飾り気はないが、囚われの身であったため、養生を必要としたからだろう。 しかし、関係ない。滲む雰囲気に比べれば、身なりなど些末事。 そう思わせるだけの確固たる空気が、あった。 などと飲み込まれていたからかもしれない。 隣でカンダタが震えている事に、ラザは全く気づいていなかった。 「客人よ。我が名はレオンと申す。そなたの名は?」 「……ラザ、と申します」 「ふむ、ラザか。良い名だな」 「い、いえ……! そんな、勿体ないお言葉、を」 「だから緊張を……そもそも王であろうが"人"と変わらぬ。いかような言葉にも同じ価値と責任……そして、心があるものだ」 「申し訳、ございません」 「まぁ、じきに慣れてもらうとして……早速、話を――む」 そこでレオンが眉根を寄せ、ラザは今更ながら察した。 (……なんだ?) 傍でカンダタが顔を俯け、身を震わせている――だけでなく。大臣や兵士たちさえも、揃って背を向けている事に。こんな状況であれば、誰でも気を悪くして当たり前だ。 「カンダタ」 「何だよ?」 「いくら慣れているとはいえ、王の御前だ。失礼だろう」 あくまで冷静に、声は潜めてラザが諫める。だが、当の彼はと言えば、 「……失礼、ねぇ」 心外甚だしいとばかりに相変わらず弁えない様子で、楽しげな笑みさえ浮かべている。 「なぁ、もういいだろ――偏屈王さんよ?」 そして、ぞんざいな口調でぽつりと。横目では抜かりなく、ラザが青ざめていく過程を捉えながら。よりにもよって、サマンオサを治める主に言い放ち、尚もこう呟いた。 「周りを見ろよ? アンタがそんなだから、誰も彼も調子を狂わしてるじゃねぇか」 言われて、レオンは剣呑な視線を辺りに巡らせた後、 「……やれやれ、客人の前でも"王らしく"させてはくれねぇか。大臣からも言い含められていたんだがな」 紡ぐ音色の質はそのままに、砕けた口調でうそぶいた。 「しょうがねぇだろ。第一、その大臣まで調子を狂わされてんだ。俺らにどうしろってんだよ?」 受けて、カンダタ。更には大臣と兵士たちに至るまで、声を上げて笑い始める。どうやらこの王、猫を被っていたようだ。 「違いない。しかし、何が悪いんだろうな?」 「アンタが元凶だろ――とにかく兄さん」 一方、この不親切で唐突な展開に、客人の彼が右往左往している中。 「こんな偏屈相手に緊張する必要なんざ、どこにもないからな」 「偏屈は余計だが、こいつの言うことも道理だ。もっと楽にするといい」 まるで身分差を感じさせない二人は、同じ意の言葉を口にした。とはいえ、真面目な性格のラザ。自由奔放なナギサならともかく、すぐに切り替えられるはずもない。 (……俺にどうしろと) 結局、困惑も冷めやらぬまま、彼は謀られた事に羞恥を覚えるだけで。 「とにかく、話を聞かせてもらおうか」 他の誰彼も顔を見合わせた後、図らずも謀ってしまった事に笑うだけであった。 そうして、事の発端。推測できる襲撃の意図。リノと自分たちの事を含む途中経過から、閉幕まで。一通りの説明を聞き終え、レオンがまず呟いた事は。 「変化の杖を使って内部からとはな……ったく、力があるくせに随分と小賢しい」 感嘆か感心か。どちらにせよ、苛立たしげな響きの言葉だった。加えて、こうも推察する。 「おそらくは実験、かもしれんな。まずサマンオサで試した後、他の国でも実行に移す腹づもりだったんだろうが――」 何故。理由が見えない。どうにも解せない。 確かに変化の杖を巧妙に扱えば、国一つを支配できる。付け加えると、戦火に戦渦。果ては、戦禍。つまりは"争い"という最悪の災厄を、人間同士の手で引き起こさせる事も、間違いなく可能だ。 しかし、いささか手が込み"過ぎて"もいる。むしろ、必要がないと言っても良い。 何故なら、人間とモンスターの力量差は圧倒的だからだ。魔物――王たるバラモスが"その気"になれば、人の世界は呆気なく崩される。それは認めなくてはならない事実であり、一切の容赦がない現実であり、微塵も揺らぎようがない真実だ。 となると、何か――何か、別の目的が秘められているように思えてならない。 「ふむ……ラザはどうだ?」 という意味を視線に込め、レオンは眉間に皺を刻み、尋ねた。 「……そうですね」 問いを受けて頷き、しばしの思案に暮れた彼は、 「人はおろか――国すらも目的ではない、と言っているように思えます」 常とさほど変わらぬ口調で、そう述べた。完全に落ち着き払ってるとも言い難いが、王の御前であるがゆえの緊張だろう。 「カンダタは?」 「そうだな、俺も兄さんと同じ……敢えて付け足すなら、気に入らねぇ、ってことだな」 「ああ、俺も二人と同じ意見だ」 更に、強い返事と首肯をした後。再び眉をひそめたレオンは、数十秒毎に腕を組み直し、その都度唸り声を上げる。 一体何を考え込んでいるのか、とラザが言葉を待っていると、 「……大臣。変化の杖を持って来い」 玉座右奥、王の左隣で直立不動を保つ彼へ、ぶっきらぼうに命を下した。 はっ、と一礼した大臣は、足早でありながらも乱れのない所作で、鉄扉向こうに消える。 「カンダタはいいとして……ラザ」 そして、間を置いてから突然の一言。 「おい――」 「何でしょうか?」 若干憤るカンダタを遮り、疑問顔のラザが応え、澱み声でレオンは続ける。 「サマンオサを救ってもらった挙げ句、早く仲間と合流したいところを悪いが……後で一つ、頼まれちゃくれねぇか?」 「私に、ですか?」 「無理なら断ってくれてもいい」 「俺……いえ、私にできることであれば、どうぞお申し付け下さい。力の限りを尽くさせて頂きます」 対してラザは、言葉を訂正してから、改めて首を縦に振る。その律儀さに、カンダタはやれやれと肩を竦めた。 「すまねぇな。それと頼みごとをしておいてアレなんだが……」 しかし、レオンは感謝の意を示したかと思えば、前触れなく玉座から立った。加えて彼に歩み寄った後、頭を軽く叩きつつ、苦笑混じりに続ける。 「"私"じゃなく"俺"でいい」 「は? い、いえ……ですが――」 「言っておくが、これは勅命だ。守れない時は……そうだな、厨房の掃除でもしてもらおうか」 咄嗟に返事ができない代わりに、ラザは胸中でこう呟いた。 いくら気遣いで、無害とは言えども――横暴には違いない、と。 「……善処は、します」 「よし。これで言葉遣いも気安くしてくれりゃあ、文句のつけようもないんだがな?」 「それは、お許し下さい」 「ふむ……まぁ、いいだろ。その真面目な性格は、嫌いじゃねぇよ」 それから渋々の表情で、ぽつり落とす。 「…………ありがとうございます」 この王が国民やカンダタに慕われているのも、分かる。暗にそう思いながら。 数分後。相変わらずの整った歩みで、大臣が戻ってきた。 「おう。ありがとよ」 間髪入れず、彼からレオンに手渡されたのは、煤けながらも煌びやかな銀光を放つ杖。持つ箇所に装飾はなく、先端も 「さて、こいつが変化の杖だが……そらよ」 「は? っとと……いきなり何を――」 「そいつを折ってみな」 だが、レオンはあろうことか"それ"を、無造作にカンダタへ投げ、不敵に告げた。 「……正気か?」 当然、彼は不審を覚える。何せ、これは紛れもない国宝。そう易々と失われていいガラクタとは、訳が違う。 「気に病む必要はねぇよ。存分にやれ――――できるものなら、な」 しかし、王の暴言は続き、果ては挑発まで加える。そこまで言われて引き下がれる道理など、この大盗賊は知らない。 「ったく……後悔するなよ」 「できれば、させて欲しいもんだ」 軽口を叩きながらも、気が進まない様子のカンダタは、とりあえず力を込めた――のだが。 「な、に……!?」 数秒、数十秒が経っても。巨躯に幾筋かの血管が浮かんでも。細長い杖は、折れるどころか 「っ――はぁ! ……ダメだ」 そして、最後の気合いも虚しく空回り、掌から零れ落ちた杖は金属音を撒き散らして転がる。 刹那、一瞬の静寂が場を支配した時。 何故こんな事をさせたのだろうか。と、ラザが疑問を表情で露わにすると、 「こんなもん、処分しちまうに越したことはねぇんだが……見ての通りだ」 レオンは不機嫌そうに明かす。悪用されるぐらいなら壊せばいい、という意図を。 「そこで、ラザ。さっき言った頼みごとだ」 更に彼は言葉を重ね、今まで伏せられていた事柄について触れようとする。とはいえ、既に一目瞭然。この現状を見せられれば、誰にでも解る。 「変化の杖の破壊、ですね」 ラザは確信と深刻を交えて、はっきりと声にした。だが、レオンは、ふむ、と腕を組んだ後。 「壊せればいいが、おそらく不可能に近い。方法を探している間に、モンスターに見つかっても本末転倒。だから、隠してくるだけでもいい――それも誰かに預ける、という形でな」 簡単に理由を添えて、より詳細に思惑を述べた。 埋める。沈める、といった手っ取り早い、誰にも頼らない方法はある。しかし、相手は人外の異形。どんな拍子で発見されるか、想像もつかない。 また、モンスターの手に渡った最悪の場合。その時を把握していなければ、知らない内に使用される怖れがある。 つまり、どう転んでも迅速に対処できるように備えたい。そういう事なのだろう。 こうして取るべき行動は決まったが、問題はまだ残っている。 「後は誰に預けるか、だな」 「ああ。こんな厄介事を引き受けるヤツが、そうそういるとは思えねぇしな」 肝心の人間。託すに足るだけでなく、託される事を了承する人物。賞賛にもならない表現をすれば、酔狂と物好きを兼ね備えた人格破綻者が、皮肉にも今求められている。 とはいえ、偏屈同士の二人が顔をしかめ、唸り声を上げている通り、滅多にいるはずがない。 「サマンオサ王。よろしいでしょうか?」 その時、突然一歩進み出たラザは、例によって堅苦しい口調で割って入った。 「何だ? 名前を呼んでからなら、聞いてやるぞ」 「……は?」 「俺の名前だよ、名前。まさか、もう忘れちまったのか?」 「い、いえ……! そんなことは、決して」 「だったら名前で呼びやがれ。言っとくが、こいつも王の勅命だからな?」 しかし、このらしくない一国の主は、場にそぐわない横暴を返す。ラザにとっては疑問でしかないが、彼にとっては違うようだ。一応の基準を念頭に考えると、まるで立場があべこべである。 対して、二つ咳払いを落としたラザは、 「で、では……レオン王。よろしいでしょう、か……?」 極度の緊張に彩られた声色で恐々と呟いた。 「……ま、いいぜ。言ってみな」 間を置いて、ため息混じりの許可。明らかに、渋々の様相。ラザは気持ち的に沈みたくなった。 何せ気を楽にしろと言われて、気が重くなるというこの矛盾。一体全体、どういう仕組みなのか穿って見たくも――いや、そもそも矛で盾を突くという発想自体が、間違いなのかもしれないが。どちらにせよ、答えも益体もない思考。それだけは、確かな現実に違いない。 ともあれ、幻とも思えない頭痛を覚えたラザが、直後に告げた言葉。 「私――……いえ。俺に一人、心当たりがあります」 このぎこちない一言こそが、世界の最果てへ向かう事となる――始まりの合図、だった。 再び、グリンラッド。夜はいよいよ濃度を増し、主役である月が現れる頃合い。 本音を言えば陽がある内に辿り着きたかったが、二日は掛かる行程と考えれば、かなり早い。 というのも、レオンの助力があったからだ。 まず、サマンオサから祠。この間の移動は馬車によって行われた。 繋がれた二頭の馬は足がある分、気性も激しかったのだが――その甲斐あって、昼過ぎには到着できた。 そこから旅の扉を使い、船へ乗り込みさえすれば、グリンラッドは目と鼻の先。さして時間は掛からない。 ゆえに二人は一日も費やさずに、極寒の大地を踏む事ができたのである。 いくら頼まれた事とはいえ、レオンには感謝しなければならない。 そうしてラザが、夕と闇が二分する空を仰ぎ見た瞬間。 「にしても、驚いたぜ。まさか兄さんたちが、あのジジイを知ってたなんてよ」 肩を竦めたカンダタが、呟いた。きっかけを作った彼に感心し、少なからず感謝もしている。そんな口振りだ。 「…………それはこっちのセリフだ」 「何でまた?」 だが、今回の件。つまりは、目的の人物について。 ラザに思い当たる節があったのは、当然の成り行きとも言えた。 理由は、変化の杖、という単語。書物を読み漁っていたナギサならともかく、彼にはまるで馴染みがない。実のところ、決戦前にその名を聞いた時から念頭にあったぐらいに。それを思いがけず口にしたのは、話の流れから言うべき事だと判断しただけだ。 しかし、先刻の返事通り、彼が驚いたのは後に続けられた言葉。 「ダムドさんが"宮廷魔道士"だったなど……誰が聞いても驚くに決まっている」 以前に出会った"少なからず偏屈の老人"が、サマンオサに仕えていたという事実だ。 「まぁ、胡散臭い平穏が好物のジジイだからな。わざわざ言うはずもねぇだろ」 思い返してみれば、以前。サマンオサを故郷だと言うトラッドにも、反応を示してはいなかった。やはり隠しておきたかったのだろうか、と胸中を見通せば、申し訳なく思えてくる。 「……だが、何故ダムドさんはサマンオサを去ったんだ?」 不意にラザが尋ねる。主観ではあるものの、どこか腑に落ちなかったのである。 確かにレオンは偏屈王で間違いない。淡い幻想を打ち消してでも認めざるを得ない、とは思うが、居心地は決して悪くない。むしろ、忠誠を誓うに足る名君。現にラザも『世界が平和になった後、許されるものなら仕えたい』と考えてしまうほどに。 だからこそ、何故、と。平たく言えば、興味が沸いただけだった――のだが。 「ああ。"ピチピチギャルを求めて旅に出る"っていう手紙が残されていた、と聞いたな」 「……は?」 「しかも、ご丁寧に呪文で続きの文章が隠されていたんだが……」 「そ、それには何と?」 「確か"堅苦しい生活は性に合わない。自由気ままに余生を楽しむことにする"だったか。まぁ、アレだな……どっちにしても、あのジジイらしい内容ってこった」 「……ちなみに、レオン王はどんな反応を?」 「面白い、と笑い飛ばしてたぞ」 「…………だろうな」 真実という名の棍棒は、遠慮も見境もない。 こうして、自ら後悔と疲労を飲み込む羽目になったラザは、気を紛らわせるべく歩を早めた。 遂に訪れた、常闇。月と星々に飾られた、神秘的な美しさを纏う空間の中。 「お、お主はあの時の……!」 目的地に辿り着くや否や、ラザは両手をがっしり掴まれ、ダムドから熱烈な歓迎を受けた。 「お久しぶりです」 よっぽど人恋しかったのか。実は気に入られていたのか――などと思ったのだが。 「うむ! うむうむ、よう来てくれた! で、あのピチピチギャルはどこじゃっ!?」 両方とも違った。この難儀な性格のご老体は、想い人をご所望だったらしい。 やるせない。例えらしくあっても、例え気持ちが解るとしても、酷くやるせなかった。 とはいえ、今はそんな場合ではない。また、いつまでも儚い夢に浸らせるのも忍びない。 「ったく、このジジイは……まぁ、あの姐さんは確かにイイ女だがな。兄さんもそう思うだろ?」 「それは……い、今話すべき問題じゃ、ない」 頷きかけて、止める。言葉を澱ませながら、ぎこちなく。 「何だ、やっぱり図星――」 「とにかく!」 そんな様子に、カンダタは質の悪い笑みを零す。が、ラザは強引に遮った後、ダムドに変化の杖を手渡しつつ、簡単に事情を説明し始めた。 時を要する事、約十分程度。 「ふむ……変化の杖だけでもよしとするか。とにかく、この老いぼれが預からせてもらおうかの」 杖よりも美女。とでも言いたげな表情ではあったが、返事は期待通りのものだった。 紆余曲折はあったが、これで当初の目的は達成された事になる。 思わず安堵の息を零し、礼を告げてから立ち去ろうとするラザとカンダタ。 「なんじゃ、もう帰るのか?」 しかし、ナギサ一人が目当てだと思われたダムドは、何故か二人を引き止めた。 「ん? ああ。俺はいいとしても、この兄さんに時間がなくてな」 対してカンダタは含みある笑顔で、ぶっきらぼうに言い放つが、 「まぁ待て。変化の杖を持ってきた暁には、礼をすると言ったじゃろ?」 ダムドは退く素振りを見せず、歳を感じさせない動作でタンスに向かった。 そういえば、と思い出すラザだが、さほど興味を持ってもいなかったのも事実。 「最近の若者は、どうも堪え性が足りんのう。なに、すぐ済むから大人しく……おお、これじゃこれじゃ」 しかし、説教を交える元宮廷魔道士は、すぐさま軽やかな足取りで舞い戻ってくる。 そのしわがれた手中にある"お礼の品"とは――骨、だった。 「これ、は……?」 手首と肘の距離よりも短い一本の骨には、変わった点が二つあった。 まずは鈍色の金属輪と骨を繋ぐ糸。次は骨に書き記された見覚えのない文字。 一見するとただの骨だが、二見するとただの骨ではない。つまりは異物で、明らかなる 「船乗りの骨、と言う。ワシが名付け親じゃ。それで、これをこうして……こうすると――」 だが、ダムドは構わず糸を解き、怪しげな骨とやらを手で吊して見せた。 途端に骨は目まぐるしく水平に回転したかと思うと、 「不思議なことに、一つの方角を指すんじゃよ」 ぴたりと。彼の言葉通り、不自然な唐突さを引き連れて静止する。示されたのは、南東。地図で言えば、右端から左端を越えて――ちょうどポルトガの辺り、だろうか。 「あー……確かに不思議かもしれねぇけどよ。これが何だってんだ?」 気怠げに返すのは、カンダタ。ラザも表には出さないが、当然の反応とは思う。 「ふぉっふぉっふぉっ。甘いのう、若僧よ」 「あん? 大体てめぇから見れば殆どが若僧じゃねぇか」 「そうやってムキになるところが、ますます、じゃな」 しかし、勿体ぶった表情のダムドは、 「とにかく、じゃ。この何の変哲もない骨が、常に一定の方角を指し示す……何かあるとは思わんか――例えば、財宝の在処、とかの」 脈絡のない言葉を口にした後、こうも付け加えた。 「もっとも、まだ推測の域は出んが……場所ではなく方角として遺されたからには、何かしらの意図がある。と、ワシは思うんじゃがな?」 どうも胡散臭い。眼前の老人に負けず劣らず。 だが、この不明瞭な動きが"方角を示す"と考えた彼の言葉は、一概に否定もできない。おそらくは"宮廷魔道士"だった事実が、妙な説得力を持たせているのだろう。 「どちらにせよ、受け取るかどうかはお主次第じゃ」 「…………」 ともあれ、ラザはしばし迷ったものの――答えは瞬時に決まる。 「まぁ、もし他がいいと言うなら、無理やりにでもワシの書いた本を――」 「船乗りの骨でいいです」 偏屈な老人が紡ぐ、どうしようもないワガママによって。 「ふむ。では、これもサービスするかの」 更にダムドは、芳醇な香りが漂う紙袋を手渡した。何故か覚えはある。 「以前に振る舞った紅茶じゃ。みんなで飲むとええ」 しかし、後に続く一言に納得した。確かナギサが美味しいと言っていた紅茶だ、と。 「あ……ありがとうございます」 予期せぬ餞別に、ラザは戸惑いつつも礼をした――ものの。 もしかすると、罪悪感があったのだろうか。だとすれば、船乗りの骨は確信犯なのか。 何となくそんな気がした彼は、複雑な心境に陥った。 帰路に着いた二人の視界に、船が飛び込んできた時。世界は既に、闇が充ち満ちていた。 だが、後はサマンオサで朝を待ち、レオン王に報告をするだけ。明日の昼にはダーマへ向かえるはずだ。 やはり気がかりなのだ。リノやトラッドはもちろん――碧眼の彼女も。 できるものなら、今すぐにでも向かいたい。それがラザの、偽らざる本心、ではある。 などと考え込んで、知らず知らずの内にまた太股を指で叩いていたから、だろうか。 「兄さんは今すぐダーマに行きな」 「……は?」 カンダタは胸中を見通したように呟き、 「だから、報告は俺がしといてやる。そう言ってんだよ」 「突然何を――」 訝しむラザに構わず、尚も続けた。 「あいつらのことが心配なんだろ?」 「それは……そうだが」 「だったらすぐに行って、安心ぐらいさせてやったらどうだ?」 ラザにとっては、今正に望んでいた提案。 「……いいのか?」 しかし、仮にも仕えたいとまで思った、他ならぬレオン王の頼み。彼の責任感が途中で放り出す事を許さない。だからこそ、二つ返事で頷けなかった。 「ああ。何度も同じことを言わせんじゃねぇよ」 それでも、カンダタは揺るがない。 「迷ってる暇があったら、さっさと行きやがれってんだ……ったく」 むしろ、叱責めいた荒い声で、更に重ねた。 そこでラザは気づき、思い出す。 彼の言葉は口調こそ違えど――自分がナギサに告げた内容と同じ事に。 「……すまない。そうさせてもらう」 ならば、後は彼に任せてダーマへ行くべきだ。そう感じたラザは、謝罪を交えて了承した。 話が纏まるや否や、二人は再び足を動かし始めたのだが―― 「…………ただ、一つだけいいか? 時間は取らせないつもりだ」 ぽつりと。カンダタはらしくない声色で、迷いも露わにそう落とした。 「何だ?」 首を傾げつつも、頷くラザ。 「小僧の……"盗賊の眼"について、話しておきたいことがある」 「トラッド、の……?」 かの大盗賊は首肯を返すと、先日聞いたばかりの単語を口にした。 まだ何かあるというのか。それならどうして、あの時全てを明かさなかったのか。 疑問や疑念、疑惑は確かにある。 だが、カンダタの瞳はこの上なく真剣味を帯びてもいる。 「……聞かせてくれ」 ゆえにラザは、首を縦に振った。知っておかなければならない、と判断して。 カンダタの話は、おおよそ数十分。船への到着を待たずして、終わった。 そして今、キメラの翼を使用したラザは、ダーマの前にいる。 夜が更けたせいか、辺りはすっかり静まり返っていた。 しかし、これは当然のこと。懐かしくさえ、ある。だから彼は、無警戒に歩を進め始めた。 (盗賊の眼……ナギサには話しておくべきだな) 先ほど聞かされた真実を、脳裏に渦巻かせながら。 とはいえ、時間も遅い。しかも状況が状況だけに彼女に伝えられるのかも分からない。早く戻ってきたのはいいが、結局何もできないのか――ラザがそう考えた刹那。 「あっ……!」 聞き知った音色が耳に届き、彼は反射的に前方を見据えた。 すると、そこにいたのは大神官であり親友でもある少女――アーニー。彼女は門前からこちらへ、呼気と眼鏡を乱しつつも一心に、懸命に走ってくる。 更に彼女は、ラザの眼前まで迫った直後。 「ラザくん……!」 「え?」 断りも兆しもなく、ただ名前だけを呼んでから――ぎゅっ、と抱き着いてきた。 想定の外から訪れる、不意打ちの柔らかい感触。ラザは思考の漂白と共に、頬を上気させた。 「ア、アー……ニー……!?」 「ラザ君がやっと……やっと、来てくれた……!」 「……急に、どうしたんだ?」 だが、ものの数秒で気づく。 (震えてる……?) 彼女の様子がおかしい、と。 「アーニー、まずは落ち着け」 「……う、うん」 素早く常の冷静さを取り戻したラザは、頭を撫でながら尋ねる。 同時に、微かではあるが――胸騒ぎを覚えたものの、 「一体、何があった?」 その不安はひた隠し、もう一度問いかけてみる。 「……サ……ん」 「え?」 「ナギサ、ちゃん、が……」 「ナギサがどうかしたのか?」 しかし、アーニーが紡いだ言葉は。 「ナギサちゃんが、目を――……覚ましてくれない、の」 碧眼の彼女に感じた胸騒ぎを具現化させる一言、だった。 次の話へ
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