第84話 「流れは巡り、そして歪む」


 陽光にも月光にも。更には、今のような仄暗い一室においても映える髪。
 そんな金糸を無防備に乱れさせ、彼女は眠っている。
 本当によく、眠っていた。
 一切の異常を感じさせない、安らかな寝息を立てながら。
 普段なら起きているはずの時間だというのに。
 世界が朝を経て、昼を告げても、彼女が何も告げてくれないのだ。
(……ナギサ)
 同じ空間。傍らというほど近くはない部屋の片隅。
 壁にもたれて腕を組むラザは、彼女を――愛しい人の寝顔を見つめていた。


 昨夜、ダーマに辿り着いてからの事。


 異変の一欠片を知らされたラザは、アーニーの私室を訪れた。
「紅茶、ここに置くね」
「…………」
 ――だが。
「……ラザくん」
「え?」
「紅茶……冷めない内に、飲んでね」
「あ……ああ」
 意識は、まるで上の空だった。
 先ほどまでグリンラッドにいた事を考えれば、温かな紅茶は純粋に有り難い。おそらくは彼女も、彼の身体が冷え切っていると解ったからこそ、用意してくれたのだろう。
 にも拘わらず、ラザは感謝の言葉すら紡げない。
 ナギサの容態が気がかりで仕方ないのだ。今すぐにでも駆けつけたい、と思っているほどに。
 しかし、理由が――いや、必要があった。
「引き止めて、ごめんね」
「いや……俺の方こそ、すまない」
「……ううん」
「それよりも話、聞かせてもらっていいか?」
 アーニーが走り出そうとした彼を止めたのである。
 他ならぬナギサの事で話がある――ただ、それだけの言葉で。
 ナギサの事とは、きっと今の状況について。ならば、聞かなくてはならない。
 ラザは逸る気持ちを抑えて、ここにいた。
「うん……ナギサちゃんのこと、だけど」
 促されたアーニーは、彼が紅茶を一口飲んだのを視認した直後、
「最近……何か無茶しなかった?」
 おずおずと、珍しく曖昧然な問いを投げた。
「……いつものことだと思うが」
 対して、ラザは首を傾げる。解釈の範囲が広すぎる、とでも言いたげに。
「それはそうなんだけど……そうじゃなくて」
 するとアーニーは俯き、右掌を口元に唸り声を漏らす。やはり冷静さを損なっているのだろう。だが、それも束の間。たったの数秒で顔を上げた彼女は、改めて問いかける。
「私が訊きたいのは――今まで倒れたことがないか、ってことなの」
 今度は少し強い口調で、明確さを伴った質問を。
「……あるな」
 一方、意図を理解したラザに、思考は必要なかった。
 例え忘れたくとも。例え思い出したくなくとも。よく、憶えている。
「一度、だけ」
 彼女が倒れかけた事も、自分が涙を落とした事も――あの時だけなのだから。
「やっぱり……でも、どうして?」
 アーニーはあくまで冷静に、だが身を乗り出して尋ねる。
「イオナズンを二つ同時に唱えたから、か」
 しかし、ラザが事実を口にした瞬間、
「…………え?」
 彼女は大きく目を見開き、愕然となった。
「なんで、そんな……こと」
「……え?」
「そんなの、無茶じゃない」
「アーニー……?」
 それから彼女は、だん、と机を強打し、
「単なる無謀じゃない……!!」
 生まれて初めての激昂を部屋中に響かせた。その拍子に紅茶が波打ち、零れ、小さな水たまりを点在させる。
「……どうして」
「え?」
 が、アーニーは構わず、更に問い詰めた。見た事もない険しい視線を携えて。
「ラザくんがついてて、どうしてそんなことさせたのよ!?」
「それ、は――」
「だって一歩間違えれば……もしかしたら……」
 そして、再び叫んだ。

「もう二度と呪文が使えなくなるかもしれないのに……っ!」

 未だに目を覚まさない彼女を蝕み誘う、一つの末路を。
「呪文、が?」
 しかし、ラザの呆然とした表情を目の当たりにした時、
「……あ」
 彼女はふと我に返った。
「ごめん、なさい……」
 気づいたのである。
「ラザくんは、呪文のこと知らない、のに」
 自分はただ、行き場のない怒りをぶつけているだけ、という事に。
「ラザ、くん何も悪く……ない、のに……」
 草花の瞳から雫が溢れ始め、とめどなく紅茶の水面を叩く。
 多種にざわめく"負"が。多様にうつろう"心"が。溶けて、綻んで、混濁し合った果てに――どうしようもなくなっていた。
「……アーニー」
 そこでラザは、間髪入れず駆け寄った後、
「わ……」
 空色の髪を梳くように、ふんわりと頭を撫でる。刹那、涙の落ちる間隔が長くなったような気がした。
「久しぶりだな。こういう風にアーニーの髪に触れるのは」
「わわ」
「それに、あんな声は初めて聞いたから驚いた」
「ラ、ラザ、くん……?」
「でも、それだけ心配してるんだな」
「……う、うん。けど、それはラザくんだって同じなのに……」
「なのに?」
 それでも表に出た言葉は消えない。理由や感情はどうあれ、彼を責めた事実は、決して。
 大神官という立場上、よく知っているからこそ、彼女は頻繁に言葉を選ぼうとする。
 だが、そんな性格を昔から知っているからこそ。
「同じなの、に……私、ひどいこと――」
「気にしてない」
 ラザは後に続くであろう謝罪を、事も無げに遮るのだ。
 とはいえ、本心は違う。
 傷ついている。それ以上に、怒りを覚えてもいる――何もできなかった、自分自身に。
 彼女の叫んだ事は、全て正しいのである。しかし、どうしても嫌だった。
 いつも誰かを案じている彼女の涙など――悲しみに充ちた雫など、見たくなかった。
「心配する気持ちが同じでも、すれ違うことはある。今のは、ただそれだけのやり取りだろう?」
「ラザ……くん」
「だから、まずは落ち着け」
 ゆえに彼は一切の本心を明かさず、かつてナギサにも告げた言葉を落とす。
「落ち着いたら……説明して欲しい」
 彼女の流麗な髪を、不器用な指遣いで梳き続けながら。


「……ラザくんは"魔力"についてどれくらい知ってる?」
 アーニーが再度唇を割ったのは、数分後の事だった。
 まだ少し無理をしている気配はあるが、一刻も早く話したい、という意志は伝わってくる。
 なら、こうして頭を撫でていても、却って気を遣わせてしまうだけだろう。
 素早くそう判断したラザは、足取りも穏やかに元の場所へ戻ると、
「呪文を使うために必要な力、ということぐらいか」
 常と変わらぬ口調で答えつつ、ソファーに身を沈めた。
「じゃあ、そこから説明するね」
 呟いて一旦、彼女は左掌で口元を隠した後、
「えっとまず……魔力っていうのは絶えず身体中を流れてるものなの」
 若干震えた声で、ゆっくり話し始めた。
「流れる……血液みたいなものか?」
「うん。そう考えると解りやすいかな。それと呪文を唱える時、よく"構成を練る"って言うよね?」
 こくりとラザ。
「あの言葉は"呪文を構築する"という意味以外に"魔力を活性化させる"という意味もあるの。逆に言うと、この二つができないと呪文は発動しない」
「……なるほど」
「それで……呪文が使えない状態ってあるでしょ?」
 二度目の首肯。
「一般的には"魔力が空っぽになった"って言うけど、本当は"魔力の流れに澱みができた"って言うのが正解」
「要するに……流れが正常でなくなったから活性化させられない、ということか?」
「うん。変化させすぎた影響でね」
 ふとラザは一本のスプーンを思い浮かべた。
 例えばの話、スプーンは曲げても元通りに直す事ができる。しかし、厳密には"元通り"ではない。肉眼では捉えられなくとも、微かな歪みが蓄積される。ゆえに何度も繰り返せば――はっきりと歪曲が見て取れる。その状態こそが彼女の言う"澱み"なのだろう。
 ただし、魔力は回復する。
 スプーンと違って、人間には自然治癒力が備わっているからだ。
 つまり、単に曲がっただけであれば元通りになる、という事。
「……ちょっと待った」
 が、ラザははたと想像してしまった。
「じゃあ、ナギサは……ナギサは今どういう状態、なんだ……?」
 もし、スプーンが折れたらどうなるのか、と。
「……うん」
 尋ねられたアーニーは力なく目を伏せると、

「魔力の流れが――……歪み切ってる」

 儚げな音色で紡ぎ、尚もこう続ける。
「ナギサちゃんも気づいてたと思う。魔力の流れは、自分が一番解るから」
 更に、他者は余程注意していないと解らない、と付け加えられた時、
「……あ」
 ラザも気づいた。
 テドン以降、彼女が一度も呪文を唱えていない事と――

『私の呪文はアテにならないから、そのつもりでお願いね』

 ――サマンオサで呟いた言葉に秘められた真意も。

 思い出せなかったのではない。
 機会がなかったわけでもない。
 ただ、使えなかっただけ、と。

 どうして、気づかなかったのか。
 どうして、気づけなかったのか。

 一度は、違和感を覚えていながらも。
 どうして、見過ごしてしまったのか。

 彼女にとって――賢者を目指す彼女にとっての呪文、とは。
 かけがえのない祖父との約束であり絆、だと。
 当たり前のように理解していたはずなのに。

 と、ラザが俯き、形のない失意に目を向ける最中。
「私のせい、だね」
 アーニーは些細な物音にも埋もれそうな声で、呟く。
「え?」
「久しぶりに会ったら、まずそのことを考えなきゃいけないのに……無理、させた、から」
「……何があったんだ?」
 問いを受け、ぽつぽつりと語り出すアーニー。
 そこでラザは、ようやく現在の経緯と状況を識った。



 だから、彼女は眠っている。
 食事も摂らず、感情も見せず。寝息を零し続けている。
 が、アーニーはこうも述べる。

 呪文とは数多ある"力"の一つであり、損なわれたところで他の"力"に影響はなく。
 にも拘わらず、過度な睡眠状態に陥るのは、魔力の流れが途絶えていない証拠だ、と。

 つまり――回復の見込みは十二分にあるらしい。
 今は心身共に疲弊しきっているだけ、というのが彼女の見解だ。
 とはいえ、それでも。いくら頭で分かっていても。
 ラザが案ずる気持ちには変わりなく。
「……ナギサ」
 気づけば彼は歩み寄り、声に出していた。
 何も返ってこないと思いながらも、想い人の名前を呼んでいた。
 しかし、ごろりと寝返りを打った彼女が、ラザに背中を向けた――直後。

「……なに?」

 反応が、あった。
「ナギ、サ?」
「だから、なに? 用があるんでしょ?」
 お互いに頼りない声だった。
「いや、その……」
「まさか何もないのに呼んだんじゃないでしょうね?」
 だが、彼の煮え切らない態度に、音色はすぐ不機嫌になる。
 さながら万華鏡のような、いつもの彼女だ――と呑気な感想も、一瞬。
「身体は大丈夫なのか?」
 ラザは一瞬湧き出た安堵も抑え込み、努めて冷静に訊くべき事柄を口にした。
 するとナギサは起きて振り向き、しばしの思案に暮れた後、たった一言だけ。
「……アーニーに聞いたのね」
 それも疑問ではなく、断定の表情を伴って呟いた。
「誤魔化せると思ったけど、やっぱり気づかれちゃったか」
 首肯しか返せない彼を横目に、ナギサは続ける。
「おまけにリノちゃんたちもいないみたいだし……置いてけぼりね」
 しかし、次の独り言で察した。
「もしかして起きてたのか?」
 目覚めていた時間もあった、という事実に。
 ずっと眠っていたのであれば、いかに彼女とて状況を把握できるわけがないのだ。
「……まぁね。といっても、今起きたのも本当よ」
 ただ、理由が見えない。無二の親友を心配させてまで、眠り続けたフリをする目的が。
「じゃあ、何故――」
 だからこそ、ラザは訳を尋ねようとしたのだが、
「いや……いい」
 その必要はなかった。むしろ、罪悪感が胸中に残響した。
 大切な仲間たちの危機に、何の力にもなれない。
 そんな後悔を抱いている事ぐらい、普段の彼女を知っていれば明らかなのだから。
 なら、ここで疑問を投げるというのは、傷痕を抉るだけの愚問に他ならない。
「……みんなには黙ってて」
 だが、ナギサは弱々しく項垂れて告げる。
「誰にも言わない、で」
「…………」
「……おねがい」
 自分がどうあってもこれまで通りにして欲しい。怯えた面持ちで、そう懇願する。
 気遣われる事が悪で、赦されない罪、とでも言いたげに。
 だから、ラザは手近に椅子に座りつつ、呟いた。
「……それはできない相談だな」
 突き放すような、容赦のない言葉を。
「どうしてっ!? どうしてそんな、こと……いうのよ」
 当然、ナギサは反論する。怒りと嘆きを織り交ぜて。  推測通りであっても、実際に耳にしたくない音色だった。
「わ、わたしは心配なんて……迷惑、なんて掛けたくない、のに」
 しかし、否定せずにはいられなかった。
「……ナギサなら、わかるんじゃないのか?」
「えっ……」
 例え今以上に嫌われ、疎まれる事になるとしても。
「漠然と理由もわからずに心配する気持ち……ナギサもよく知ってるはずだ」
 彼女を支えたいと思った。
「事情が分かっていれば、力になれることだってある」
 彼女の隣を歩きたいと願った。
「それのどこが"迷惑"なんだ?」
 彼女に遠慮なく寄り掛かって欲しいと想った。
「誰もそんな風に思ってない……ナギサと同じように、な」

 彼女が好きだ、と――改めて自覚した。

「……っ」
 瞬間、焔の瞳と交錯する碧眼が潤む。
 ラザは自分が感情の赴くままに言い過ぎた事を察し、
「あ、いや……悪かっ……え?」
 すぐさま謝ろうとしたものの、それは呆気なく遮られた。
「ナギ……サ……?」
 完全なる不意打ちで彼女が頭を、右肩に預けてきたのである。
 ゆえに、ラザは忘れた。
 心地良い微かな重みに。触れた額の温もりに。
 ふわりと舞い踊り、鮮やかに薫る金色の髪に。
 即ち"彼女"という存在の、ありとあらゆるに。
 束の間、呼吸を忘れた。
 身の内に残されたのは、どくん、という音。
 たったそれだけが、激しく胸を叩く鼓動だけが――彼に把握できる唯一の"感覚"だった。
「……なんで、いつも」
 一方、彼の"想い"を知る由もないナギサは、紡ぐ。
「何でいつも先に……! あや……まるのよ」
「え?」
「だから……だから私は――」
 だが、上手く聞き取れない。それほどまでに声は淡く、ふつふつと途切れていた。
「……わた、し……は……?」
 加えて、音色は徐々に様相を変わりゆく。
 自らに問いかけるように――何かを見失っているかのように。
 が、刹那。
「ナギサちゃーん、起きてるー?」
 相も変わらず間延びした声と、調子外れなノックが響いた。
 誰かは考えるまでもない。呑気な大神官ことアーニーである。
 ここでナギサは気づく。頭だけとはいえ、彼に寄り添っているという事に。
「わわ、わっ」
 取り乱した彼女は、珍しくわたわたと飛び退く。対してラザも、咳払いと共に顔を逸らす。
 直後。正しく間一髪で、ドアが開かれると、
「……あっ」
 やはりそこに立っていたアーニーは――草花の瞳を丸くした。
「ナギサ、ちゃん」
 そうして、頬を少し上気させた二人の不可思議な空気にも。
「えっと、うん……やほー……」
 挨拶が妙にぎこちない事にも、一切気づかず。
「ナギサちゃん……!」
 アーニーは彼女に抱き着いた。
「ちょ、ちょっと――」
「ずっと……たんだから」
「え?」
「ずっと心配、して……ずっと待ってた、んだから」
 この同じ歳の少女は、今どんな顔をしているのか。そんな事は確かめるまでも、ない。
「…………おはよっ」
 ナギサは震える親友に何気ない挨拶と柔らかな温もりで、応えた。



 それから三人は、部屋で昼食を摂った。
 かつては有り触れていた懐かしいひとときは、本来なら心落ち着く時間だった。
「うー……」
 にも拘わらず、ナギサはぐったりとなっている。だが、それも無理はない。
 何故なら、昼食の間。ひたすらアーニーの説教を受けていたからだ。
 理由が理由。行いが行いだけに、逃亡はもちろん反論の余地すらも、絶無。
「自業自得だな」
 さすがのラザも苦笑せざるを得なかった。
「それは分かってるけど……驚いたわ」
「アーニーか?」
 既に彼女はいない。大神官としての職務に戻ったからである。
「……うん。あんなに怖いアーニー、初めて見たし」
 もし、本人が聞いたら。リノたちが今のナギサを見たら、一体どんな顔をするのだろうか。
 何となく想像したラザは、再度苦笑いを浮かべた。
「あら、随分楽しそうね?」
「気のせいだ」
「……ま、いいけど」
 とその時、ふと視線が重なった。すると二人の頬が、忘れていた熱を帯び始める。
 アーニーが訪れる前の出来事を揃って思い出したのだ。
「あの……ラザ?」
「……な、なんだ?」
 途端に思考が漂白の一途を辿った。
「えと、その」
「あ、ああ」
 脳裏に漂う無数の文字が、言葉として繋がらなくなった。
「…………」
 しかし、ラザは自身の動揺を理解していた。
 しかし、ナギサには分からない。こんな自分を、知らない。
「さ、さっきはごめん」
「え?」
 そんな彼女が紡いだのは、謝罪。
「どうかしてた、みたい」
 次に、先ほどまでの事を胸中から打ち消した。
 気の迷いだった、と。知らない自分は要らない、と胸中に言い聞かせていた。
「珍しくラザが良いこと言ったのに……あははっ」
「……気にするな」
 また、彼も頷くだけに留める――いや、正確には踏み込めなかったのだ。
 未だ"過去"と向き合えない自分に、そんな資格はない、と。


「もうサマンオサは大丈夫なの?」
 その後、ナギサの一言をきっかけに、ラザは事情を話し始めた。
 驚くほど自然でありながら、極めて不自然に。だが、道理でもあった。互いが互いに"互い"を知らぬまま、先ほどの話を避けていたのだから。
 皮肉にも隠し事が"日常への回帰"を促したのである。また、二人も気づいていないからこそ、日常に身を委ねる事ができた。
「なるほど……あのおじいさんが、ねぇ」
 ともあれ、話を聞き終えたナギサは、最初にそう呟いた。
 ちなみにカンダタとの話――"盗賊の眼"の件は、伏せている。もう少し落ち着いてから、と考えた末の結論だ。
「……あまり驚かないんだな」
 が、思いの外反応は薄い、とラザが眉根を寄せていると、
「まぁ、ね。ただ者じゃない気はしてたし」
 彼女はあっけらかんと答える。一瞬、彼は感心してしまった。
「言うなれば、女の勘、ってやつかしらね」
「……はぁ」
 本当に一瞬だったが。
「あと、紅茶なんだけど」
 しかもナギサは彼が枕元に置いた土産、紅茶の紙袋を指差して断言する。
「偏屈なおじいちゃんが淹れたにしては美味しすぎるのよねぇ……」
 二度目のどうでもいい事を、うっとりとした表情で。
「……とにかくサマンオサについては問題ない」
 結局、ラザは話を無理やり終わらせた――ものの。
「それで、もう一つのお土産は? 船乗りの骨、だっけ?」
 彼女の興味は間隙もなく、会話中の違う物に移った。
「あ、ああ……これだな」
 胸騒ぎを覚えつつも手渡すラザ。するとナギサは輪の部分に早速指を通し、くるくる回して遊び始めた。いつになく無邪気である。
 とはいえ、好奇心旺盛な彼女の事。不思議も違和感も、ない。
 無論、可愛らしくはあるが。
「へぇ……ホントに突然止まるのね」
 やがて前触れもなく、骨はぴたりと静止する。方角は――南西。
「……ん?」
 グリンラッドの時と異なった導きに、ラザは訝しんだ。
「どしたの?」
「いや、前は南東だったな、と思って」
 受けたナギサは、たおやかな人差し指で唇をなぞりつつ、
「じゃあ……ロマリア。もしくは、ポルトガね」
 約二秒ほどで過たず答えた。相変わらずの素早い思考展開に、ラザは本当に感心する。
 ただ同時に、再びの胸騒ぎを覚えた。むしろ、最初の予感が的中しただけなのかもしれない。
 それほどまでにナギサは、良い笑顔だった。
「ところで、ラザ」
「……なんだ?」
 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
「この先に何があると思う?」
「さあな」
「識りたくない?」
「気にならないと言えば、嘘になるな」
「じゃあ――」
「それでも今すぐに探す必要はないと思うが」
「う」
 頬を膨らませるナギサ。やはり予想通りだったようだ。
「大体……休んでなくていいのか?」
 だが、彼女を想っての一言が。
「あくまで呪文が使えないだけよ」
 彼にとって最大の隙となった。
 つまり、ナギサにとっては――最大の機会。
「そもそも"魔力の流れ"っていうのは、ここまで歪み切っちゃうとどうしようもないの。まぁ、最初の山を越えたわけだし、後は時間に任せるしかないわね。それに休んでばかりだと、身体が鈍っちゃうじゃない。どうあってもしばらく呪文が使えない以上、そっちの方が良くないでしょ?」
「まぁ――」
「それにもし、この先にオーブがあるとしたら? ない、とは誰にも言い切れないわよね? だったら、バラモスに知られる前に訪れる必要があるんじゃない?」
「しかし」
「でも、リノちゃんたちはここにいない……じゃあ、今動けるのは誰?」
「……まさか俺か?」
「それと、私よ。一人だと何かあった時に大変じゃない」
「それは解るが」
 ラザも当初は必死に止めようとした。
「だからこそ、今なのよ!」
「ちょっと待――」
「あったらあったで助かるし……もしなかったとしても、私の暇潰――じゃなくて、いい運動になるじゃない」
「あの……」
「ほら、一石二鳥でしょ? 違う?」
 しかし、ことごとく遮られる内に、
「……解った」
 反論する気力を、根こそぎ奪われてしまった。
「これで決まりね」
 そして浮かべられる――極上の笑顔。
 目の当たりにしたラザは、不覚にも痛感する。

 きっと最初から勝ち目などありはしなかった、と。

「……ナギサ」
「なに? まだ何かあるの?」
 だが、それでもラザは告げる。
「せめて今日だけは休んでくれ」
「どうして?」
「…………俺も、心配してるんだからな」
 真剣味を携えた瞳で、一心に想い人を見つめながら。
「ラザ……」
 しばしの静寂を経た後。
「……うん……あ、ありがと」
 さすがの彼女も素直に従った。

 一抹の惑い。あるいは――ひとひらの翳りを滲ませて。



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