第92話 「再会と再開」


 朝。 昼。 夜。
                                   陽。  月。  光。
                    空。   海。 風。

 ――――そして、船。

 世界に息づく多彩な事象に。つまりは、世界の断片に揺られること、約七日。付け加えて言えば、此処を目指す理由が人知れず芽吹いてから、約十一日が過ぎた頃。
 四人を乗せた船は、到着していた。
 かつて、ヤヨイと別れた――彼女の新たな旅立ちを快く見送った"町"が近くにある海岸に。
 港はある。入港が拒否される理由も、ない。だが、港には直接向かわなかった。
 起こった事態から、現在の状況を推測したナギサの判断である。
 さすがに、誰も彼もが、とは思っていない。
 しかし、一人の少女に罪を着せ、独りの囚人に変えた人物がいるのも、また事実。
 警戒するに越したことはない、というわけだった。

 そのはず、だったのだが。

 あまりにのどかな、それでいて活気の満ちた喧騒を前に。
「……あれ?」
「ナギサ、これはどういう――」
「破ッ!」
 状況を尋ねようとしたトラッドから、しゅぱぁん、という鋭くも景気の良い音が鳴り響いた。何も悪い事はしていないはずなのだが、きっと何かがナギサの逆鱗に触れたのだろう。
 しかし、彼女から理由を語る気配は窺えず、
「それにしても……平和ね」
 どころか、何事もなかった、という状況を、さも当然のような表情と言葉で騙る始末。
 結局、呆れつつも諦めたトラッドは、改めて周囲の様子を観察し始めた。
 数多の船が泊まる港は、屈強な男たちによって次々と荷が下ろされる光景が広がっており、少し穿った見方をしてみたところで、誰かの表情に不穏や不吉を感じさせる翳りもなく――要するに、町は異常ではなく正常によって機能している。
 つまり、ナギサの立てた予測は結果的に外れた事になるのだが、それは別段悪い事でもない。むしろ、良い事と言えるだろう。ただ、耳にした情報を踏まえて考えると、彼女でなくても腑に落ちない。それだけの話である。
 だが、思考に留めるだけでは話が進まないのも事実で。
 このままだとトラッドが何度ハリセンの餌食になるか分からない、というのも哀しい現実。
「とりあえず、誰かに話を――」
 そう思ったラザが、全員に情報集めを促しつつも周囲を見渡した――刹那。
「――ん?」
「……あっ」
 よく見知った少女と、目が合い。
「皆さん……!」
「ヤヨイ、ちゃん?」
 すぐさま駆け寄ってきた少女と、思いがけない形で再会を果たした。
「はいっ――」
 と同時に。
「お久しぶりでにゃわっ!?」
 何処かで、しかも最近見た覚えのある光景が、眼前で繰り広げられた。
「…………えーっと」
 しばし沈黙、のち困惑。ところにより、呆然自失。ちなみに、今日の天気は晴れ時々曇り。幼さから逸脱したものの、あどけなさは未だに抜けきっていない――そんな晴天。
 それはさておき。
「だ、大丈夫か……?」
 いち早く我に返ったトラッドは、何もないところでつまづいた彼女に手を差し伸べる。
 そして、その手を取って立ち上がった少女――ヤヨイは、
「改めましてお久しぶりです、皆さん」
 少し恥ずかしそうに、ではあるものの、結局は屈託のない笑顔で告げた。


 ヤヨイに案内されて辿り着いたのは、
「よく、きてくれた」
 町を作ろうと最初に考えた真の創始者、トバリの家。
「それなのに、すまん」
 彼は四人の来訪を簡素に歓迎した後、相変わらずの口調で謝罪した。
「いいわよ、気にしなくても」
 町の発展に伴って外装は劇的に変わっているものの、内装には面影が色濃く残る木造の住居。最初から此処を思い浮かべていれば、キメラの翼も使用できただろうが――家に激突する事を想像すると、やはり現実的な方法で訪れざるを得ない場所。
「ヤヨイちゃんが無事だったなら、それが一番だもの」
 そんな中、リノとナギサ、ラザ、ヤヨイ、トバリは木製の四角いテーブルに置かれた紅茶を楽しんでいる。ちなみに、紅茶を用意したのはトラッド。ヤヨイとトバリから話を聞く必要があるため、ナギサは"ハリセンをちらつかせて"彼に命じたのである。
 聞き取れるから構わないものの、中々に酷い話であった。
「それで一体どういう状況だったの?」
 兎にも角にも、トバリの話によると。
 数日前、町に一人の旅人――"カルロス"と名乗る男が現れ、策を示したらしい。
 囚われたヤヨイの救出と、予期せぬ方向へ堕落しかけた町をあるべき姿に戻す、という二つの大事を兼ね備えた方法。即ち、"革命"という名の最悪にして最後の手段を。
 本意ではなかった。例え、そうするしか道がない手遅れの状況だったとしても。
 ゆえに、誰一人として踏み出す事ができずにいた。
 だが、カルロスはそんな彼らを、明瞭な言葉ではなく明確な態度で、暗に叱咤した。
 だからこそ、立ち上がる事ができた――それが、二日前の出来事。
 トバリは四人にそう説明し、
「ですから先ほど転んだのは……その、久しぶりに走ったからです、よ?」
 ヤヨイは何故か疑問符混じりで、そう付け加えた。
(……あら?)
 そこでふと、ナギサは彼女の頬が少し上気している事に気づく。全くというほどではないが、さほど喋っていないにも拘わらず、だ。
 直後、ナギサの脳裏に幾つかの推測がよぎる。
(転んだのが恥ずかしかった、から?)
 真っ先に浮かんだのは、ヤヨイの言葉を受けての可能性。転んだ理由に矛盾はなくとも、恥ずかしいものは恥ずかしいのかもしれない、と考えたのだ。
 しかし、彼女は言われなければ分からないほど、小さく首を横に振って、それを即座に打ち消す。実は意外と切り替えの早いヤヨイの印象に、何処かそぐわないのである。
 かといって、緊張や感動の類にも見えない。
 再会を果たした直後はともかく、此処に来るまでの彼女は至って自然体だった。
 不自然は、ない――今、頬が微かに朱く染まっている事以外は、何も。
(となると……?)
 確信はすぐに、浮かぶ。
 ナギサが知るヤヨイのこと。今耳にしたばかりの町のこと。
 その中で一つだけ。
 たった、一つだけ――自分の知らない事があったからだ。
(なるほど、ね)
 そして、確信とはいえ推測に過ぎない推測を推測のまま納得し、改めて理解する。
 彼女が――再会した少女に明らかな"変化"があった事に。
 だが、さすがのナギサも気づいていない。
 理由の推察にこそ至らなかったものの、
(ヤヨイ……?)
 実はリノが"誰よりも早く"違和感を覚えていたとは、全く考えていなかった。


 その日の夜は、ささやかながらも賑やかな宴が開かれた。
 無事に再会を果たせたからか。町が再び理想に向かって進み始めたからか――いや。
 きっと、何もない。
 嬉しいことや楽しいことに理由なんて――必要、なかった。


 そんな中、ヤヨイは外にいた。
 立ち尽くしてはいない。だが、単に歩いているというわけでもない。
 一歩。また一歩、と。
 長い事だけが共通する不規則な間隔で、まるで何かを確かめるように――足場以外の"何か"に対する理解を深めるように、ゆっくりと両足を踏み出し続けている。
 頬は微かに赤く、零れる吐息は白く、どちらも熱っぽい。
 傍目から見れば、風邪を引いているのでは、と勘違いしかねないほどに。
 だが、黒い双眸はそれらを否定するように強く、凜と輝いていた。
 そう――彼女は決めていた。
(私は……どうしたいのかな)
 胸中では決めかねているように呟いていても、既に一つの回答を導き出していた。
 告げる言葉も。
 告げる覚悟も。
 告げる、心も。
 全てにおいて、揺らぎはなかった。
(……でも)
 ただ一つ、自分ではどうする事もできない不安を除けば。
 とその時。
「だ〜れだっ?」
「わっ!?」
 不意に視界が、夜を凌駕する闇に包まれた。
 だが、惑いは一瞬で。
「えっと……ナギサさん」
「大・正・解」
 すぐに言い当てたヤヨイは、黒瞳こくどうを覆う柔らかな掌を外し、
「もう……びっくりさせないで下さい」
 苦笑いを浮かべながら、くるり、と飛び跳ねるように振り返る。
「ごめんごめん……でも、ヤヨイちゃんもいけないのよ?」
 しかし、ナギサに反省の色はない。二人の仲を考えれば、そもそも反省するような事でもないのだが。
「どうしてですか?」
「主役が途中でいなくなっちゃダメでしょ?」
「でも、主役は私だけじゃないですよ?」
「じゃあ他に一体誰が主役なのかしら?」
「そうですね――」
 兎にも角にも、ヤヨイは穏やかに微笑んで言う。
「――全員が主役です」
「あら、素敵な答えね」
 対してナギサは本心から言葉を紡ぎ、笑みを零した。
 束の間、静寂。
「……そういえば」
 先に破ったのは、ヤヨイ。
「なあに?」
「師匠とリノさん、少し変わりましたね?」
「やっぱり解る?」
 一方のナギサが、待ってました、とばかりに答えると、
「はいっ、一目で分かっちゃいました」
 二人はどちらともなく笑顔を浮かべた。
「師匠は接し方が少し柔らかくなってますし、リノさんに至っては髪型まで変わってて……さすがに分かりますよー」
「そうそう、リノちゃん。私も驚いたわ」
「と言いますと?」
「うん。あの髪、最初は私が結ったんだけど……」
「やっぱりナギサさんなんですねっ!」
「ええ、もちろん。リノちゃんの可愛さを目の当たりにする回数は二番目だけど、引き出すことに関しては――と、それはともかく……一日だけかな、って思ってたのよ」
「まぁ……リノさんってそういうの苦手そうですしね」
「でも、今は毎日。それも三日ぐらい前からはリノちゃんが自分で頑張ってるから……私はほんの少しお手伝いするだけよ」
「きっと師匠に"可愛い"って言ってもらえて、それがよっぽど嬉しかったんですね」
「ふふ……案外、それも毎日かもしれないわね。最近は、特によく一緒にいるみたいだし」
「ということは、もう?」
「ううん、それはまだ……だから、見てる方は大変よ?」
「……心中、お察しします」
 離れていた期間を埋めるように花咲く、恋の話。例え対象は自分たちの事でなくとも、それは何とも微笑ましく、女の子らしい雰囲気だった。
 だが、ちょうど一区切りがついた頃。
「…………」
 不意に考え込み、会話を途切れさせたナギサは、
「ナギサさん?」
 ヤヨイの呼びかけにも応じず、代わりにウサギ耳を外して胸に抱いた後。
「……さっきは何を考えていたの?」
 長くも短くもない間を置いて、唐突に問いかけた。今思いついたわけではない。人目を忍んで外へ出て行くヤヨイを見た時から、機を窺って尋ねようと考えていた事である。
「お酒の匂いに酔ったから外へ出た……ってわけじゃないでしょ?」
 更には、先回りするように一言。
 だが、ふと夜天――幼さやあどけなさが途絶え、浮き彫りになった老獪さだけが寒々しい夜空――に視線を移した彼女は、
「……少し先のこと」
 ぽつり、頼りなげに呟き、
「ずっと先に繋がる、ほんの少し先のことです」
 ぽつぽつり、そう付け加えた。
 酷く曖昧で、漠然とした途方もない答えだった。
「例えば?」
「そうですね……」
 ここでヤヨイは一度顔を伏せ、同時に十本の指で、きゅっ、と紅白の袖を摘む。よく見ると、微かに震えている。
 明らかに緊張していた――待つ側も同じ心境に陥るほどに。
 しかし、彼女は勢いよく顔を上げ、真剣な眼差しでナギサを見つめる。その表情は幾分固かったが、揺らいではいない。既に決意し、前へ進もうとする者だけが持ち得る、強い意志があった。
 そうして、数十秒後。
「……今すぐ、は無理ですけど」
 少し乾いた唇を割り、彼女は言った。

「もう一度、リノさんたちと一緒に……旅ができたら、って」

 嬉しそうな。何処か照れたような。不安を滲ませつつも、未来を夢見るような。
 そんな多種多様の感情が複雑に絡まりながらも、彼女は清々しい笑顔だった。
 束の間、ナギサは考える。
 町は十分に発展し、一時は雲行きが怪しかったものの、現在は見通しも明るく――何よりも、断る理由がない。むしろ、彼女とまた旅ができるのは、自分を含めた全員にとって喜ばしい事実だ。
「……どうして?」
「え?」
 だが、はっきりさせておくべき事がある。
「確かに町は変わったわ。トバリさんと二人で始めた時とは違って、今は沢山の人がいる……例えヤヨイちゃんが離れても、誰かが支えられるぐらいにね」
 それは――理由。

 良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも。
 嬉しい出会いも、哀しい別れも。
 ヤヨイにとってはどれも大切な、けれど、記憶には到底留めきれない。
 そんな素敵な"思い出"が沢山――それこそ、町に集まった人の数だけあったはずだ。

 詳細を識る術はない。
 長く離れていたナギサたちには識りようがないため、分からない。
 分からない、が、
「でも、それはヤヨイちゃんが必要ないってことにはならないし……それに――」
 それでも解る――わかって、しまう。
「この町のこと、好きなんでしょ?」
 彼女が、この場所をどれほど愛し、どれほど愛おしく想っているのか。
 表情や仕草、つまりは漂う雰囲気から――改めて問いかける必要もないぐらいに伝わってくる。
「……本当にそれでいいの?」
 だからこそ、問い質す必要があった。

 少女の決意した気持ちは――"それら"を手放すに足る理由なのか。

 お節介だと知りながらも、見極めなければならない、と考えたのだ。
 しかし、再度俯き、沈黙に伏していたヤヨイは、

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 長い、

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 会話という行為においては、あまりにも永い、

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 空白を経たあと、

 はい、と。

 今度は緩やかに顔を上げた少女は、深く、静かに頷き――応えた。
 もしかすると、彼女はこうも理解しているのかもしれない。

 自分の役割は、あくまで"町を創る手伝い"であって。
 それが果たされた、今。
 町が確固として存在している、という現在では。

 此処に残る事は、ただの未練――甘えでしかない、と。

 与えられた使命を十分に、否、十二分以上に理解しているこその決断、なのかもしれない。
 もう一つの選択も、決して悪いモノではないというのに。
 だが、その真っ直ぐさは彼女らしい、とも思えた。
「じゃあ、どうして?」
「えっ?」
 そこでナギサは、最初の質問を繰り返す。
 何故か、尋常ならざる好奇心に碧眼を輝かせつつも。
 とはいえ、無理もない――実のところ、それが彼女にとって最大の本題だったのだから。
「もちろん、大歓迎よ? ヤヨイちゃんとまた一緒に過ごす日々に思いを馳せるだけで、しばらくはみんな夜も眠れそうにないぐらい喜ぶと思うわ」
「そ、それはさすがに……」
「ううん、絶対よ。現に私はそうだもの。酔いも一気に、それも爽快に覚めちゃったし」
 絶対に酔っている、と彼女は思った。
「えと、あの……そ、その」
 ともあれ、あまりの嬉しさと恥ずかしさに、ぼっ、と頬を上気させるヤヨイ。加えて、狼狽の声。
 一方のナギサは、そんな年相応の少女らしい表情が、この上なくツボに入ったのか。
「えいっ」
「わっ……」
 唐突に彼女を、ぎゅっ、と抱き締めた。
「……みゅー」
 二度目の声は、酷く熱を帯びた謎の鳴き声だった。
「もう……いつまで経っても可愛いんだから」
 しかし、嘘偽りのない感想と共に、彼女の頭を撫で、黒髪を指で梳き始めたナギサは、
「……それでね。何となく、なんだけど」
 艶やかな唇を耳元に寄せた後、
「他にも何か"理由"があるのかな、って思ったから……どうしてもそれが知りたくなったの」
 優しく、温かく――それでいて甘い音色で、そっ、と囁いた。
「…………」
 だが、答えはない。
「ヤヨイちゃん?」
 おまけに大人しい――いや、違う。
「あら?」
 正確に言うと彼女は、
「……ふみゅう」
「んー……ちょっと刺激が強すぎたかしら?」
 くるくると目を回しながら、真っ赤な顔で茹で上がっているのであった。


 そして、数分後。


「えっと、ですね」
「……うん」
「嬉しいことは事実なんですけど、過剰な行動を伴った愛情表現は……その……出来る限り控えて下さい」
 意識と我を取り戻したヤヨイに、ナギサは怒られていた。
「……返す言葉もありません」
 極めて珍しい状況のせいか、さすがの彼女も珍しく丁寧に謝罪をしている。
「ナギサさんは、もう少し自分の"素敵みりょく"を自覚するべきです」
「自覚って言われても……私は、そういうのとは無縁だと思うけど?」
「本当に無縁だったら、私が気絶してません」
「だから、ごめんってば」
「まぁ……嬉しいからいいんですけど」
 確かに謝ってはいるのだが、
(元はと言えば、ヤヨイちゃんが可愛いのが悪いのよねぇ……いや、それ自体はどこも悪くないし、むしろ良いことなんだけど)
 胸中とはいえ、ちゃっかり本音を漏らしている辺り、反省はしていないようだったが、ヤヨイも本気で怒っているわけではないので、結局のところは問題なかった。
 兎にも角にも、
「それで、理由は?」
 脱線していた話は数分ぶりに再開される。
 さて、問いかけられた当初は、動揺に言葉を詰まらせていたヤヨイだったが、
「……夢を叶えるため、です」
 短くはない空白の時間があったからか、今ではすっかり落ち着いている。
「夢?」
「はい」
 同時に、ヤヨイはふと思った。
 眼前に佇む憧れの女性は、もしや自分を落ち着かせるために一芝居打ったのではないか、と。
「……両親に会いたいんです」
 少々勢いが良すぎた感は否めないものの、それは彼女なりの愛情表現であって。
「多分、リノさんのことだからお話してないと思いますけど……私がここに残った理由は、トバリさんのお手伝いがしたい、だけじゃなくて……町が大きくなれば、お父さんとお母さんに会えるかもしれない、と思ったからでもあるんです」
 加えて、結果だけ見れば大成功で。
「返事をする前に思いついた時、悩みました。こんな気持ちで手伝ってもいいのかな、って……でも」
 だから、やっぱり憧れてしまう。
「トバリさんは、こう仰って下さいました――夢が叶う町を創りたい。町に住む人たちはもちろん、町を創る人たちの夢も叶う町を――って……その言葉もあったから、ここに残る決心ができたんです」
 だから、願ってしまう――こんな素敵な女性になりたい、と。
「ここでは両親に会えませんでしたけど……いつか出会えるって信じてます――私もこの町の住人ですし」
 ヤヨイは、それに、と前置くと、
「皆さんと無事に再会する、という"夢"も叶いましたから」
 さすがに胸中の憧憬はひた隠しにしたが、向日葵を思わせる眩しい笑顔で告げた。
「……ヤヨイちゃん」
「なんですか?」
 それを受けて、ナギサは呟く。
「もっかいだきついてもいい?」
 全力で方向性の間違った、台無しな一言を。
 にも拘わらず、ヤヨイは笑顔を絶やさない――理解しているのだ。
 言葉で伝えきれない"気持ち"を行動で示そうとしている、と。
 しかし、理解していながらもヤヨイは、くすっ、と小さく笑った後、弾んだ音色でこう紡ぐ。
「その役目は他の方にお譲りしますね」
 きっと伝わらないだろう、と赤い髪の彼を思い浮かべながらも。


 それから、数十分後。


 適度に拓け、適度に澄み、適度に夜風が吹き抜ける、木々たちの生活空間では。
 幾つものたわいもない話を楽しく終えた二人が、同時に一息吐いた直後、
「そろそろ戻ります?」
 ヤヨイは余韻の覚めやらぬ顔を右に向け、瞳は更に右の、要は右斜め後ろに浅く向け、そう尋ねた。だが、ナギサの姿は彼女の右隣には存在せず、
「……そうね」
 おまけに声は、頭の上から心地良く響いてくる――当然である。
 ヤヨイは今、足を広げて座るナギサの真ん中に、ちょこん、と座り、心身共に遠慮なく委ねているのだから。
 敢えて名付けるなら"悠々自適ナギサ型椅子チェアー"といったところ。ちなみに、絶対に有り得ない話だが、もしトラッドが座る事になれば、名称はきっと"全自動兼全方位型一閃炸裂椅子"とでもなるのだろう。
 ともあれ、ナギサの静かな肯定に、ヤヨイは立ち上がりかけた――のだが。
「ヤヨイちゃんっ」
「はわっ!?」
 それよりも早く、柔らかな背後からの抱擁で遮ったナギサは、
「もう一つ、きいていい?」
 突然の出来事に驚く少女の首を、声と零れる吐息で撫でるように、だが、行動と一致しない真剣な音色で囁く。
「……え? あ、はい」
 一方のヤヨイは頬を染め、茫然自失の状態でありながらも、頷いた。
 そして、しばしの沈黙を経て。
「さっき話してくれた理由について、だけど」
 ナギサは、問いかける。
「逢いたい人は、もう一人いるんじゃないかしら?」
 それは何故か酷く楽しげな声で、しかも何一つとして脈絡がなかった。
「えっ……」
 だが、ヤヨイは咄嗟に口を噤んでしまい、別の意味で頬に朱を走らせてしまった。
 致命的な隙、と彼女は一秒以内に気がついたが、時既に遅し。
 例え根拠がなく、例え否定が容易いとしても――――相手は、ナギサ。
 言葉の端々。
 表情の変化。
 些細な仕草。
 それら全てを観察し、それを基に思考し、ひたすらに推測を重ね、時には直感も働かせて、回答を導き――最後に答え合わせをする。
 決して"読心術"を扱えるわけではない。
 しかし、彼女の"それ"は読心術と称しても差し支えがないほど、洗練されていた。
「……いつ気づかれたんですか?」
 だからこそ、ヤヨイは誤魔化す事を諦める。
「確信したのは、トバリさんの話を聞き終える直前、かな。再会した時も何となく引っ掛かってはいたけど……ほら、理由が思い当たらなかったから」
 当の本人も何食わぬ顔で質問に答える。
 そう。彼女にとっては、これが"普通"なのだ。
「本当に鋭いですよね、ナギサさんって」
「まぁ……気になることが放っておけないだけなんだけどね」
 だが、負に類する感情は一向に沸いてこない。
「そういうところも素敵だと思います」
「ふふ、ありがとっ」
 むしろ、ヤヨイは嬉しく思い、楽しそうに微笑んでいた。
 やはり理解しているのである。
 好奇心や探求心、悪戯心もないとは言えないが、一番大きな理由は――心配。
 今回の状況では若干大げさな物言いになるが、要するに彼女は、いつも"最悪を回避する"ために思考する。
 だから、ヤヨイは嬉しく思ってしまうし、ますます憧れてしまうのだった。
 そんな少女の想いなど露知らず、
「ねぇねぇ、それでそれで? ヤヨイちゃんはどう想ってるの?」
 ナギサは両の碧眼一杯に好奇心を輝かせ、ウサギが踊り跳ねるような声で尋ねてくる。
 微塵も心配など窺えないが、それは信頼の裏返しだろう。
 ヤヨイは答える。
「……好きですよ」
 照れや惑いこそ微かに含まれてはいるものの、真っ直ぐに。
「ふと気がつけば、その人のことを考えちゃってるくらい――……大好き、です」
 澱みも迷いもない穏やかな声で、彼女は告白した。
「そ、そうなんだ」
 ナギサが逆に困惑するほどに。きっと彼女は、リノのような反応を想像していたに違いない。
「どんな人なの?」
 しかし、素早く立ち直ったナギサは、次なる質問をすかさず投げる。
 当然で自然な、それゆえに必然の問い。もちろん、ヤヨイも予想していた――のだが。
「そう、ですね」
 彼女は少しだけ考え、しばらくは沈黙を避けるように唸った後、
「私もよくは知らないんですけど……多分、ラザさんよりも年上で、話し方はぶっきらぼうで、私のことは色々聞いて下さるのに、自分のことは全然お話してくれないんですけど……」
 やがて桜色の唇を上下に、また律動的リズミカルに別ち、とつとつ、と言葉を紡ぎ始めた。
「……けど?」
 不安げに、ナギサ。
 だが、不意を突いて、ぴょこん、と立ち上がったヤヨイは、ふわっ、と元気に両手を広げながらも可憐に振り返ると、

「出会ったばかりの私のことを心配してくれる――すごく優しいひと、ですっ」

 恋する少女の愛らしい笑顔で、自信満々にそう告げた。
 たった一つだけ、確信を伏せて。
「素敵なひと、なのね」
「はいっ!」
 これには、さすがのナギサも気づかなかった――
「……そういえば」
 ――が。
「今の話を聞いて思い出したんだけど……ヤヨイちゃん、覚えてる?」
 その代わりに何かが引っ掛かったらしいナギサは、唇を右人差し指でなぞりながら、呟いた。
「カンダタのこと」
「……え?」
 少女にとっては、衝撃的な人物の名前を。
「えっと……ちょっと待って下さい」
 しかし、ヤヨイは黒瞳を固く閉ざして、考え込む――フリをする。そして、夜空を泳ぐ満月を三秒ほど仰ぎ見た後、
「カンダタさんって……あのカンダタさん、ですよね?」
 耳にしたと同時に浮かんでいた回答を、まるで確かめるような口調で解答に置き換えた。
「ええ、そのカンダタさんよ」
 ナギサは少し微笑みながら首肯。どうやら気づかれなかったようだ。
「それでカンダタさんが、どうかしたんですか?」
 安堵によって平常心を取り戻したヤヨイは、すかさず問い返す。純粋に疑問を覚えていた事もあって、その音色は極めて自然だった。
 だが、それも束の間。
「気にしてたわよ」
「え?」
 何故なら、ナギサが続けた言葉は。
「あのバンダナを巻いた嬢ちゃんはどうした、ってね」
 とても信じられない、けれど。
 とても優しくて、
 とても温かくて、

「……今度逢ったら、お礼を言わなきゃダメですね」

 もしかすると、再会は"偶然"じゃなかったのかもしれない――とも思える事実なのだから。



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