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朝。 昼。 夜。 陽。 月。 光。 空。 海。 風。 ――――そして、船。 世界に息づく多彩な事象に。つまりは、世界の断片に揺られること、約七日。付け加えて言えば、此処を目指す理由が人知れず芽吹いてから、約十一日が過ぎた頃。 四人を乗せた船は、到着していた。 かつて、ヤヨイと別れた――彼女の新たな旅立ちを快く見送った"町"が近くにある海岸に。 港はある。入港が拒否される理由も、ない。だが、港には直接向かわなかった。 起こった事態から、現在の状況を推測したナギサの判断である。 さすがに、誰も彼もが、とは思っていない。 しかし、一人の少女に罪を着せ、独りの囚人に変えた人物がいるのも、また事実。 警戒するに越したことはない、というわけだった。 そのはず、だったのだが。 あまりにのどかな、それでいて活気の満ちた喧騒を前に。 「……あれ?」 「ナギサ、これはどういう――」 「破ッ!」 状況を尋ねようとしたトラッドから、しゅぱぁん、という鋭くも景気の良い音が鳴り響いた。何も悪い事はしていないはずなのだが、きっと何かがナギサの逆鱗に触れたのだろう。 しかし、彼女から理由を語る気配は窺えず、 「それにしても……平和ね」 どころか、何事もなかった、という状況を、さも当然のような表情と言葉で騙る始末。 結局、呆れつつも諦めたトラッドは、改めて周囲の様子を観察し始めた。 数多の船が泊まる港は、屈強な男たちによって次々と荷が下ろされる光景が広がっており、少し穿った見方をしてみたところで、誰かの表情に不穏や不吉を感じさせる翳りもなく――要するに、町は異常ではなく正常によって機能している。 つまり、ナギサの立てた予測は結果的に外れた事になるのだが、それは別段悪い事でもない。むしろ、良い事と言えるだろう。ただ、耳にした情報を踏まえて考えると、彼女でなくても腑に落ちない。それだけの話である。 だが、思考に留めるだけでは話が進まないのも事実で。 このままだとトラッドが何度ハリセンの餌食になるか分からない、というのも哀しい現実。 「とりあえず、誰かに話を――」 そう思ったラザが、全員に情報集めを促しつつも周囲を見渡した――刹那。 「――ん?」 「……あっ」 よく見知った少女と、目が合い。 「皆さん……!」 「ヤヨイ、ちゃん?」 すぐさま駆け寄ってきた少女と、思いがけない形で再会を果たした。 「はいっ――」 と同時に。 「お久しぶりでにゃわっ!?」 何処かで、しかも最近見た覚えのある光景が、眼前で繰り広げられた。 「…………えーっと」 しばし沈黙、のち困惑。ところにより、呆然自失。ちなみに、今日の天気は晴れ時々曇り。幼さから逸脱したものの、あどけなさは未だに抜けきっていない――そんな晴天。 それはさておき。 「だ、大丈夫か……?」 いち早く我に返ったトラッドは、何もないところでつまづいた彼女に手を差し伸べる。 そして、その手を取って立ち上がった少女――ヤヨイは、 「改めましてお久しぶりです、皆さん」 少し恥ずかしそうに、ではあるものの、結局は屈託のない笑顔で告げた。 ヤヨイに案内されて辿り着いたのは、 「よく、きてくれた」 町を作ろうと最初に考えた真の創始者、トバリの家。 「それなのに、すまん」 彼は四人の来訪を簡素に歓迎した後、相変わらずの口調で謝罪した。 「いいわよ、気にしなくても」 町の発展に伴って外装は劇的に変わっているものの、内装には面影が色濃く残る木造の住居。最初から此処を思い浮かべていれば、キメラの翼も使用できただろうが――家に激突する事を想像すると、やはり現実的な方法で訪れざるを得ない場所。 「ヤヨイちゃんが無事だったなら、それが一番だもの」 そんな中、リノとナギサ、ラザ、ヤヨイ、トバリは木製の四角いテーブルに置かれた紅茶を楽しんでいる。ちなみに、紅茶を用意したのはトラッド。ヤヨイとトバリから話を聞く必要があるため、ナギサは"ハリセンをちらつかせて"彼に命じたのである。 聞き取れるから構わないものの、中々に酷い話であった。 「それで一体どういう状況だったの?」 兎にも角にも、トバリの話によると。 数日前、町に一人の旅人――"カルロス"と名乗る男が現れ、策を示したらしい。 囚われたヤヨイの救出と、予期せぬ方向へ堕落しかけた町をあるべき姿に戻す、という二つの大事を兼ね備えた方法。即ち、"革命"という名の最悪にして最後の手段を。 本意ではなかった。例え、そうするしか道がない手遅れの状況だったとしても。 ゆえに、誰一人として踏み出す事ができずにいた。 だが、カルロスはそんな彼らを、明瞭な言葉ではなく明確な態度で、暗に叱咤した。 だからこそ、立ち上がる事ができた――それが、二日前の出来事。 トバリは四人にそう説明し、 「ですから先ほど転んだのは……その、久しぶりに走ったからです、よ?」 ヤヨイは何故か疑問符混じりで、そう付け加えた。 (……あら?) そこでふと、ナギサは彼女の頬が少し上気している事に気づく。全くというほどではないが、さほど喋っていないにも拘わらず、だ。 直後、ナギサの脳裏に幾つかの推測がよぎる。 (転んだのが恥ずかしかった、から?) 真っ先に浮かんだのは、ヤヨイの言葉を受けての可能性。転んだ理由に矛盾はなくとも、恥ずかしいものは恥ずかしいのかもしれない、と考えたのだ。 しかし、彼女は言われなければ分からないほど、小さく首を横に振って、それを即座に打ち消す。実は意外と切り替えの早いヤヨイの印象に、何処かそぐわないのである。 かといって、緊張や感動の類にも見えない。 再会を果たした直後はともかく、此処に来るまでの彼女は至って自然体だった。 不自然は、ない――今、頬が微かに朱く染まっている事以外は、何も。 (となると……?) 確信はすぐに、浮かぶ。 ナギサが知るヤヨイのこと。今耳にしたばかりの町のこと。 その中で一つだけ。 たった、一つだけ――自分の知らない事があったからだ。 (なるほど、ね) そして、確信とはいえ推測に過ぎない推測を推測のまま納得し、改めて理解する。 彼女が――再会した少女に明らかな"変化"があった事に。 だが、さすがのナギサも気づいていない。 理由の推察にこそ至らなかったものの、 (ヤヨイ……?) 実はリノが"誰よりも早く"違和感を覚えていたとは、全く考えていなかった。 その日の夜は、ささやかながらも賑やかな宴が開かれた。 無事に再会を果たせたからか。町が再び理想に向かって進み始めたからか――いや。 きっと、何もない。 嬉しいことや楽しいことに理由なんて――必要、なかった。 そんな中、ヤヨイは外にいた。 立ち尽くしてはいない。だが、単に歩いているというわけでもない。 一歩。また一歩、と。 長い事だけが共通する不規則な間隔で、まるで何かを確かめるように――足場以外の"何か"に対する理解を深めるように、ゆっくりと両足を踏み出し続けている。 頬は微かに赤く、零れる吐息は白く、どちらも熱っぽい。 傍目から見れば、風邪を引いているのでは、と勘違いしかねないほどに。 だが、黒い双眸はそれらを否定するように強く、凜と輝いていた。 そう――彼女は決めていた。 (私は……どうしたいのかな) 胸中では決めかねているように呟いていても、既に一つの回答を導き出していた。 告げる言葉も。 告げる覚悟も。 告げる、心も。 全てにおいて、揺らぎはなかった。 (……でも) ただ一つ、自分ではどうする事もできない不安を除けば。 とその時。 「だ〜れだっ?」 「わっ!?」 不意に視界が、夜を凌駕する闇に包まれた。 だが、惑いは一瞬で。 「えっと……ナギサさん」 「大・正・解」 すぐに言い当てたヤヨイは、 「もう……びっくりさせないで下さい」 苦笑いを浮かべながら、くるり、と飛び跳ねるように振り返る。 「ごめんごめん……でも、ヤヨイちゃんもいけないのよ?」 しかし、ナギサに反省の色はない。二人の仲を考えれば、そもそも反省するような事でもないのだが。 「どうしてですか?」 「主役が途中でいなくなっちゃダメでしょ?」 「でも、主役は私だけじゃないですよ?」 「じゃあ他に一体誰が主役なのかしら?」 「そうですね――」 兎にも角にも、ヤヨイは穏やかに微笑んで言う。 「――全員が主役です」 「あら、素敵な答えね」 対してナギサは本心から言葉を紡ぎ、笑みを零した。 束の間、静寂。 「……そういえば」 先に破ったのは、ヤヨイ。 「なあに?」 「師匠とリノさん、少し変わりましたね?」 「やっぱり解る?」 一方のナギサが、待ってました、とばかりに答えると、 「はいっ、一目で分かっちゃいました」 二人はどちらともなく笑顔を浮かべた。 「師匠は接し方が少し柔らかくなってますし、リノさんに至っては髪型まで変わってて……さすがに分かりますよー」 「そうそう、リノちゃん。私も驚いたわ」 「と言いますと?」 「うん。あの髪、最初は私が結ったんだけど……」 「やっぱりナギサさんなんですねっ!」 「ええ、もちろん。リノちゃんの可愛さを目の当たりにする回数は二番目だけど、引き出すことに関しては――と、それはともかく……一日だけかな、って思ってたのよ」 「まぁ……リノさんってそういうの苦手そうですしね」 「でも、今は毎日。それも三日ぐらい前からはリノちゃんが自分で頑張ってるから……私はほんの少しお手伝いするだけよ」 「きっと師匠に"可愛い"って言ってもらえて、それがよっぽど嬉しかったんですね」 「ふふ……案外、それも毎日かもしれないわね。最近は、特によく一緒にいるみたいだし」 「ということは、もう?」 「ううん、それはまだ……だから、見てる方は大変よ?」 「……心中、お察しします」 離れていた期間を埋めるように花咲く、恋の話。例え対象は自分たちの事でなくとも、それは何とも微笑ましく、女の子らしい雰囲気だった。 だが、ちょうど一区切りがついた頃。 「…………」 不意に考え込み、会話を途切れさせたナギサは、 「ナギサさん?」 ヤヨイの呼びかけにも応じず、代わりにウサギ耳を外して胸に抱いた後。 「……さっきは何を考えていたの?」 長くも短くもない間を置いて、唐突に問いかけた。今思いついたわけではない。人目を忍んで外へ出て行くヤヨイを見た時から、機を窺って尋ねようと考えていた事である。 「お酒の匂いに酔ったから外へ出た……ってわけじゃないでしょ?」 更には、先回りするように一言。 だが、ふと夜天――幼さやあどけなさが途絶え、浮き彫りになった老獪さだけが寒々しい夜空――に視線を移した彼女は、 「……少し先のこと」 ぽつり、頼りなげに呟き、 「ずっと先に繋がる、ほんの少し先のことです」 ぽつぽつり、そう付け加えた。 酷く曖昧で、漠然とした途方もない答えだった。 「例えば?」 「そうですね……」 ここでヤヨイは一度顔を伏せ、同時に十本の指で、きゅっ、と紅白の袖を摘む。よく見ると、微かに震えている。 明らかに緊張していた――待つ側も同じ心境に陥るほどに。 しかし、彼女は勢いよく顔を上げ、真剣な眼差しでナギサを見つめる。その表情は幾分固かったが、揺らいではいない。既に決意し、前へ進もうとする者だけが持ち得る、強い意志があった。 そうして、数十秒後。 「……今すぐ、は無理ですけど」 少し乾いた唇を割り、彼女は言った。 「もう一度、リノさんたちと一緒に……旅ができたら、って」 嬉しそうな。何処か照れたような。不安を滲ませつつも、未来を夢見るような。 そんな多種多様の感情が複雑に絡まりながらも、彼女は清々しい笑顔だった。 束の間、ナギサは考える。 町は十分に発展し、一時は雲行きが怪しかったものの、現在は見通しも明るく――何よりも、断る理由がない。むしろ、彼女とまた旅ができるのは、自分を含めた全員にとって喜ばしい事実だ。 「……どうして?」 「え?」 だが、はっきりさせておくべき事がある。 「確かに町は変わったわ。トバリさんと二人で始めた時とは違って、今は沢山の人がいる……例えヤヨイちゃんが離れても、誰かが支えられるぐらいにね」 それは――理由。 良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも。 嬉しい出会いも、哀しい別れも。 ヤヨイにとってはどれも大切な、けれど、記憶には到底留めきれない。 そんな素敵な"思い出"が沢山――それこそ、町に集まった人の数だけあったはずだ。 詳細を識る術はない。 長く離れていたナギサたちには識りようがないため、分からない。 分からない、が、 「でも、それはヤヨイちゃんが必要ないってことにはならないし……それに――」 それでも解る――わかって、しまう。 「この町のこと、好きなんでしょ?」 彼女が、この場所をどれほど愛し、どれほど愛おしく想っているのか。 表情や仕草、つまりは漂う雰囲気から――改めて問いかける必要もないぐらいに伝わってくる。 「……本当にそれでいいの?」 だからこそ、問い質す必要があった。 少女の決意した気持ちは――"それら"を手放すに足る理由なのか。 お節介だと知りながらも、見極めなければならない、と考えたのだ。 しかし、再度俯き、沈黙に伏していたヤヨイは、 …………………………………………………………………………………… ……………………………………… ……………………………………………………………… 長い、 …………………………………………………… ……………………………… 会話という行為においては、あまりにも永い、 …………………… 空白を経たあと、 はい、と。 今度は緩やかに顔を上げた少女は、深く、静かに頷き――応えた。 もしかすると、彼女はこうも理解しているのかもしれない。 自分の役割は、あくまで"町を創る手伝い"であって。 それが果たされた、今。 町が確固として存在している、という現在では。 此処に残る事は、ただの未練――甘えでしかない、と。 与えられた使命を十分に、否、十二分以上に理解しているこその決断、なのかもしれない。 もう一つの選択も、決して悪いモノではないというのに。 だが、その真っ直ぐさは彼女らしい、とも思えた。 「じゃあ、どうして?」 「えっ?」 そこでナギサは、最初の質問を繰り返す。 何故か、尋常ならざる好奇心に碧眼を輝かせつつも。 とはいえ、無理もない――実のところ、それが彼女にとって最大の本題だったのだから。 「もちろん、大歓迎よ? ヤヨイちゃんとまた一緒に過ごす日々に思いを馳せるだけで、しばらくはみんな夜も眠れそうにないぐらい喜ぶと思うわ」 「そ、それはさすがに……」 「ううん、絶対よ。現に私はそうだもの。酔いも一気に、それも爽快に覚めちゃったし」 絶対に酔っている、と彼女は思った。 「えと、あの……そ、その」 ともあれ、あまりの嬉しさと恥ずかしさに、ぼっ、と頬を上気させるヤヨイ。加えて、狼狽の声。 一方のナギサは、そんな年相応の少女らしい表情が、この上なくツボに入ったのか。 「えいっ」 「わっ……」 唐突に彼女を、ぎゅっ、と抱き締めた。 「……みゅー」 二度目の声は、酷く熱を帯びた謎の鳴き声だった。 「もう……いつまで経っても可愛いんだから」 しかし、嘘偽りのない感想と共に、彼女の頭を撫で、黒髪を指で梳き始めたナギサは、 「……それでね。何となく、なんだけど」 艶やかな唇を耳元に寄せた後、 「他にも何か"理由"があるのかな、って思ったから……どうしてもそれが知りたくなったの」 優しく、温かく――それでいて甘い音色で、そっ、と囁いた。 「…………」 だが、答えはない。 「ヤヨイちゃん?」 おまけに大人しい――いや、違う。 「あら?」 正確に言うと彼女は、 「……ふみゅう」 「んー……ちょっと刺激が強すぎたかしら?」 くるくると目を回しながら、真っ赤な顔で茹で上がっているのであった。 そして、数分後。 「えっと、ですね」 「……うん」 「嬉しいことは事実なんですけど、過剰な行動を伴った愛情表現は……その……出来る限り控えて下さい」 意識と我を取り戻したヤヨイに、ナギサは怒られていた。 「……返す言葉もありません」 極めて珍しい状況のせいか、さすがの彼女も珍しく丁寧に謝罪をしている。 「ナギサさんは、もう少し自分の" 「自覚って言われても……私は、そういうのとは無縁だと思うけど?」 「本当に無縁だったら、私が気絶してません」 「だから、ごめんってば」 「まぁ……嬉しいからいいんですけど」 確かに謝ってはいるのだが、 (元はと言えば、ヤヨイちゃんが可愛いのが悪いのよねぇ……いや、それ自体はどこも悪くないし、むしろ良いことなんだけど) 胸中とはいえ、ちゃっかり本音を漏らしている辺り、反省はしていないようだったが、ヤヨイも本気で怒っているわけではないので、結局のところは問題なかった。 兎にも角にも、 「それで、理由は?」 脱線していた話は数分ぶりに再開される。 さて、問いかけられた当初は、動揺に言葉を詰まらせていたヤヨイだったが、 「……夢を叶えるため、です」 短くはない空白の時間があったからか、今ではすっかり落ち着いている。 「夢?」 「はい」 同時に、ヤヨイはふと思った。 眼前に佇む憧れの女性は、もしや自分を落ち着かせるために一芝居打ったのではないか、と。 「……両親に会いたいんです」 少々勢いが良すぎた感は否めないものの、それは彼女なりの愛情表現であって。 「多分、リノさんのことだからお話してないと思いますけど……私がここに残った理由は、トバリさんのお手伝いがしたい、だけじゃなくて……町が大きくなれば、お父さんとお母さんに会えるかもしれない、と思ったからでもあるんです」 加えて、結果だけ見れば大成功で。 「返事をする前に思いついた時、悩みました。こんな気持ちで手伝ってもいいのかな、って……でも」 だから、やっぱり憧れてしまう。 「トバリさんは、こう仰って下さいました――夢が叶う町を創りたい。町に住む人たちはもちろん、町を創る人たちの夢も叶う町を――って……その言葉もあったから、ここに残る決心ができたんです」 だから、願ってしまう――こんな素敵な女性になりたい、と。 「ここでは両親に会えませんでしたけど……いつか出会えるって信じてます――私もこの町の住人ですし」 ヤヨイは、それに、と前置くと、 「皆さんと無事に再会する、という"夢"も叶いましたから」 さすがに胸中の憧憬はひた隠しにしたが、向日葵を思わせる眩しい笑顔で告げた。 「……ヤヨイちゃん」 「なんですか?」 それを受けて、ナギサは呟く。 「もっかいだきついてもいい?」 全力で方向性の間違った、台無しな一言を。 にも拘わらず、ヤヨイは笑顔を絶やさない――理解しているのだ。 言葉で伝えきれない"気持ち"を行動で示そうとしている、と。 しかし、理解していながらもヤヨイは、くすっ、と小さく笑った後、弾んだ音色でこう紡ぐ。 「その役目は他の方にお譲りしますね」 きっと伝わらないだろう、と赤い髪の彼を思い浮かべながらも。 それから、数十分後。 適度に拓け、適度に澄み、適度に夜風が吹き抜ける、木々たちの生活空間では。 幾つものたわいもない話を楽しく終えた二人が、同時に一息吐いた直後、 「そろそろ戻ります?」 ヤヨイは余韻の覚めやらぬ顔を右に向け、瞳は更に右の、要は右斜め後ろに浅く向け、そう尋ねた。だが、ナギサの姿は彼女の右隣には存在せず、 「……そうね」 おまけに声は、頭の上から心地良く響いてくる――当然である。 ヤヨイは今、足を広げて座るナギサの真ん中に、ちょこん、と座り、心身共に遠慮なく委ねているのだから。 敢えて名付けるなら"悠々自適ナギサ型 ともあれ、ナギサの静かな肯定に、ヤヨイは立ち上がりかけた――のだが。 「ヤヨイちゃんっ」 「はわっ!?」 それよりも早く、柔らかな背後からの抱擁で遮ったナギサは、 「もう一つ、きいていい?」 突然の出来事に驚く少女の首を、声と零れる吐息で撫でるように、だが、行動と一致しない真剣な音色で囁く。 「……え? あ、はい」 一方のヤヨイは頬を染め、茫然自失の状態でありながらも、頷いた。 そして、しばしの沈黙を経て。 「さっき話してくれた理由について、だけど」 ナギサは、問いかける。 「逢いたい人は、もう一人いるんじゃないかしら?」 それは何故か酷く楽しげな声で、しかも何一つとして脈絡がなかった。 「えっ……」 だが、ヤヨイは咄嗟に口を噤んでしまい、別の意味で頬に朱を走らせてしまった。 致命的な隙、と彼女は一秒以内に気がついたが、時既に遅し。 例え根拠がなく、例え否定が容易いとしても――――相手は、ナギサ。 言葉の端々。 表情の変化。 些細な仕草。 それら全てを観察し、それを基に思考し、ひたすらに推測を重ね、時には直感も働かせて、回答を導き――最後に答え合わせをする。 決して"読心術"を扱えるわけではない。 しかし、彼女の"それ"は読心術と称しても差し支えがないほど、洗練されていた。 「……いつ気づかれたんですか?」 だからこそ、ヤヨイは誤魔化す事を諦める。 「確信したのは、トバリさんの話を聞き終える直前、かな。再会した時も何となく引っ掛かってはいたけど……ほら、理由が思い当たらなかったから」 当の本人も何食わぬ顔で質問に答える。 そう。彼女にとっては、これが"普通"なのだ。 「本当に鋭いですよね、ナギサさんって」 「まぁ……気になることが放っておけないだけなんだけどね」 だが、負に類する感情は一向に沸いてこない。 「そういうところも素敵だと思います」 「ふふ、ありがとっ」 むしろ、ヤヨイは嬉しく思い、楽しそうに微笑んでいた。 やはり理解しているのである。 好奇心や探求心、悪戯心もないとは言えないが、一番大きな理由は――心配。 今回の状況では若干大げさな物言いになるが、要するに彼女は、いつも"最悪を回避する"ために思考する。 だから、ヤヨイは嬉しく思ってしまうし、ますます憧れてしまうのだった。 そんな少女の想いなど露知らず、 「ねぇねぇ、それでそれで? ヤヨイちゃんはどう想ってるの?」 ナギサは両の碧眼一杯に好奇心を輝かせ、ウサギが踊り跳ねるような声で尋ねてくる。 微塵も心配など窺えないが、それは信頼の裏返しだろう。 ヤヨイは答える。 「……好きですよ」 照れや惑いこそ微かに含まれてはいるものの、真っ直ぐに。 「ふと気がつけば、その人のことを考えちゃってるくらい――……大好き、です」 澱みも迷いもない穏やかな声で、彼女は告白した。 「そ、そうなんだ」 ナギサが逆に困惑するほどに。きっと彼女は、リノのような反応を想像していたに違いない。 「どんな人なの?」 しかし、素早く立ち直ったナギサは、次なる質問をすかさず投げる。 当然で自然な、それゆえに必然の問い。もちろん、ヤヨイも予想していた――のだが。 「そう、ですね」 彼女は少しだけ考え、しばらくは沈黙を避けるように唸った後、 「私もよくは知らないんですけど……多分、ラザさんよりも年上で、話し方はぶっきらぼうで、私のことは色々聞いて下さるのに、自分のことは全然お話してくれないんですけど……」 やがて桜色の唇を上下に、また 「……けど?」 不安げに、ナギサ。 だが、不意を突いて、ぴょこん、と立ち上がったヤヨイは、ふわっ、と元気に両手を広げながらも可憐に振り返ると、 「出会ったばかりの私のことを心配してくれる――すごく優しいひと、ですっ」 恋する少女の愛らしい笑顔で、自信満々にそう告げた。 たった一つだけ、確信を伏せて。 「素敵なひと、なのね」 「はいっ!」 これには、さすがのナギサも気づかなかった―― 「……そういえば」 ――が。 「今の話を聞いて思い出したんだけど……ヤヨイちゃん、覚えてる?」 その代わりに何かが引っ掛かったらしいナギサは、唇を右人差し指でなぞりながら、呟いた。 「カンダタのこと」 「……え?」 少女にとっては、衝撃的な人物の名前を。 「えっと……ちょっと待って下さい」 しかし、ヤヨイは黒瞳を固く閉ざして、考え込む――フリをする。そして、夜空を泳ぐ満月を三秒ほど仰ぎ見た後、 「カンダタさんって……あのカンダタさん、ですよね?」 耳にしたと同時に浮かんでいた回答を、まるで確かめるような口調で解答に置き換えた。 「ええ、そのカンダタさんよ」 ナギサは少し微笑みながら首肯。どうやら気づかれなかったようだ。 「それでカンダタさんが、どうかしたんですか?」 安堵によって平常心を取り戻したヤヨイは、すかさず問い返す。純粋に疑問を覚えていた事もあって、その音色は極めて自然だった。 だが、それも束の間。 「気にしてたわよ」 「え?」 何故なら、ナギサが続けた言葉は。 「あのバンダナを巻いた嬢ちゃんはどうした、ってね」 とても信じられない、けれど。 とても優しくて、 とても温かくて、 「……今度逢ったら、お礼を言わなきゃダメですね」 もしかすると、再会は"偶然"じゃなかったのかもしれない――とも思える事実なのだから。 次の話へ
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