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世界の南に位置する国――アリアハン。 穏やかな気候と豊かな緑に彩られる島国であり。数年前、魔王を倒すために一人の勇者が立ち上がった場所でもある。 更に、勇者――オルテガが志半ばにして倒れ、数年の月日が流れた頃。 この地より再び、新たな勇者が旅立とうとしていた。 「はぁ……」 緑色の草原。ため息を吐きながら歩く銀髪の男が一人。 空はそんな彼の気分などお構いなしに、嫌味なくらいに晴れ渡っている。 銀髪は太陽を受けてキラキラと輝いていたが、珍しいトパーズの瞳は眩しさに細まっていた。 (何でこうなるかな……) 彼はアリアハンを出るつもりでいた。そもそもここに来たことすら間違いだった。 (聞いたことはあったけど……あれがまさか旅の扉だったなんて) ここから遥か北にあるロマリア。南にある建物の中で、彼は小さな泉を見つけた。 飲んでも大丈夫そうだと判断して触れた瞬間、彼の身体が引き込まれ、見知らぬ洞窟へと飛ばされてしまったのである。 それも問題なのだが、好奇心の強い彼はそのまま引き返さず、ここがどんな所か確かめるために外へ出た。 うっかり触れてしまった事も、後の行動もうかつだった。 (……洞窟が塞がるなんて、普通思わないよな) それから三日後、アリアハンを巡った彼が帰ろうと試みた時、急拵えの壁が洞窟にできていた。 つまり、運悪く閉じ込められた形となる。 落ち込んだ足取りで洞窟から一番近いレーベに戻ったが、帰る方法を探すなら町の方が、と思ってアリアハンを目指した。 そんな道のりの途中。 (ちょっと休むか) 前方、少し離れた所に気持ち良さそうな風が草を揺らす丘を見つける。 肉体的にも精神的にも疲労を感じていた彼は、休憩しようと道を外れてそこを目指した。 (あれ?) 心中で上がる疑問の声と共に彼は足を止める。 理由は――先客がいたからだ。 (あの丘って……確か) 普通ならおかしい所はない。だが、少し前にアリアハンへ行った時、こんな話を耳にしていた。 心地良い太陽の光とそびえ立つ大きな木の影は、一眠りするにはちょうど良い場所。 そのため、昔は憩いの場になっていたが、今は―――― (モンスターが増えたから、誰も来ない……って聞いたんだけど) だが、眼前に広がる風景には人影が見える。一つだけ、確かに。 「また物好きな……」 自分の事を棚に上げ、つい感想を漏らすものの、同時に興味も沸いたらしく、気配を殺して近づく。幸いにも向こうはまだ気づいていない。おまけに側には大木もあったので、とりあえずそこに身を潜めた。 (男……だよな?) 話す相手のいない彼は、疑問を自分の心に投げた。 そう思ったのは、少し離れた所に座っている男の横顔があまりに綺麗だったからだ。 目を細めて更に注意深く見ると、彼の顔は身に纏う空気よりも幼かった。 青年、というよりは少年といった方がしっくりくる。 髪の色は不思議と惹きつけられる深い黒。同じく黒の瞳は、ただ周りの景色を見つめていた。 「…………」 右手の側に置かれているのは、小さな身体には不釣り合いに長い剣。 まるで作り物か一枚の絵のように見える少年の姿は、自然と風景に溶け込んでいる。 それが彼のトパーズの瞳には、どこか儚げに映っていた。 (世にいう美少年っていうのは、ああいうのを言――) ともあれ、胸中で呟きかけた刹那。不意に意識を向けられ、息を呑んでしまった。 しかも、殺気に近い。だが、何故。自問する彼は、己の行動を振り返る。 だが、自分は物陰から眺めていただけ。少なくとも、殺意などは抱いていない。 「誰だ?」 抑揚のない冷たい声。怒りは感じられないが、右手は剣に添えられたままだ。 興味はある。だが、同時に身の危険も感じている。 (このまま出るか、それとも……って……え?) しかし、その迷いはすぐに打ち消された。 何故なら――少年が剣を抜きながら、こちらへ真っ直ぐ歩いてきたからだった。 「えっと……ごめん」 銀髪の彼は両手を挙げ、謝りながらゆっくりと姿を現す。 「…………」 「あ、いや……ちょっとここで休もうと思っただけなんだけど……」 曖昧な答え。しかし、少年はそれで納得したのか、剣を鞘に戻してから元の場所に座る。 そして、何事もなかったかのようにまた景色を眺め始めた。 (……何だ、今の殺気) 改めて見た少年の横顔は、やはり幼い。自分より年下だろう。彼はそんなことを思いながら、無造作に少年の隣へ寝転がった。 「…………」 その時、少年の黒い瞳が微かに揺れ、側に置いていた剣に再び手が添えられる。 が、すぐさま気づいた銀髪の彼は、 「ん? ああ、折角だから隣で休もうと思ったんだけど………迷惑か?」 正直な気持ちを、何気なく呟いた。そもそも、嘘をついた所で何も得などないのである。 少年は不可解そうに眉をひそめていたが、その一言に納得したのか、構えを解いて視線を戻した。 衣擦れの音で察した彼は、ふと思い浮かんだ疑問を口にする。 「町に住んでるん……だよな?」 「……」 「何を見てるんだ?」 「…………」 「モンスターが増えて危ないって聞いたんだけど……よくここに来るのか?」 「………………」 「……えっと」 続けて、いくつか質問をするが、少年が一向に答えようとしない。結果、口を噤んでしまう。 今まで旅をしていて、ここまで反応の無かった人間は一人もいない。 (無視か……まぁ、いいけど) だが、怒りを感じる事もなく、むしろ妙に居心地が良かった。 「ふ……わぁ」 ざらついた空気の中にも関わらず、自然と欠伸が零れ落ちる。伴って、疲れがどっと押し寄せ、瞼は成す術もなく、ゆっくりと下がっていく。 「…………」 変化に気づいた少年は横目で見たが、突然の来訪者は既に寝息を立てていた。 「ん……?」 それから、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。 目を覚ました彼は銀髪をくしゃくしゃとしながら辺りを見渡した。 (……まだいたのか) すると少年は、眠る前と同じ姿勢で遠くを眺めている。色濃い柑橘系に染まった空と少し冷たくなった風の中で。 「帰ってなかったのか?」 思わず零れる問いかけ。反応を示した少年は横目で彼を見るが、すぐに視線を戻す。 何かをする気配は、やはり感じられない。 (やっぱり話す気はない、か) 彼は苦笑を噛み殺しつつ、ゆるやかに立ち上がった後。 「俺はもう行くけど……その、世話になったな」 一応の礼を告げる。ただ返事がないので、独り言めいてはいたが。 そのことに彼は苦笑いを浮かべながら歩き出したが、すぐに振り返ってこう言った。 「またな」 少年は素早く顔を上げたが、相も変わらず表情は皆無だった。 丘からアリアハンは遠くなかったため、日が暮れる前に辿り着いた。 そして周囲を見渡すと、すぐ左にあったジョッキの看板が目に止まった。 「……お腹空いたな」 急に空腹を思い出した彼は、情報を集めることも考えて酒場へと足を向けた。 年季の入った木製のドアを右手で開くと、酒の匂いが鼻腔をくすぐる。 「いらっしゃい……あら、初めてね?」 「あ……はい」 カウンター越しから出迎えたのは、金髪の女主人。 出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいるという艶っぽい身体つき。 落ち着いた声の割に、顔立ちは少し幼かったが、綺麗なことには違いない。 女性に免疫がない彼は、かろうじて首肯だけを返した。 「今は……カウンターしか空いてないけどいい?」 重ねて、こくりと。彼はぎこちなく頷き、勧められた席へ座る。 女主人の顔が近くなり、先程までは意識していなかった赤い唇が視界に飛び込んできた。 彼は顔を赤くすると、まるで助けを求めるようにメニューを手に取った。 「注文が決まったら言ってね」 「あ、はい」 相手の顔を見ずに言葉を返すと、彼はメニューの滑らかな手触りを確かめながら、ようやく夕食のことを考え始めた。 「お待たせ」 彼はとりあえず名前から姿が想像できる物を頼む。 それからしばらく辺りの様子を伺っていると、想像通りの料理が運ばれてきた。 真っ白な皿の上に置かれたのは、程よく火の通った鶏肉料理。 漂い昇る香りに、空腹を思い出した彼はすぐに手をつけ始める。 それを半分ほど平らげた時だった。 「ねぇ、アリアハンに来た目的って……やっぱりアレ?」 「ふへぇ?」 口をもごもご動かしている時に話しかけられ、彼は間の抜けた声で問い返す。 「……あれ? じゃあ、もしかして何か食べにきただけ?」 「……まぁ、それもあるけど」 ようやく鶏肉を飲み込んだ彼は、一旦水を飲んでから更に言葉を紡いだ。 「ロマリアへ戻る方法を聞こうと思って」 「戻る? ふーん……良かったら話を聞かせてもらえない?」 彼女はその一言に興味を示したのか、カウンターに身を乗り出してきた。 「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私はこの酒場の名前通り、ルイーダって言うの」 言われて気がついた彼は、あっ、という顔をするとすぐに自分の名前を告げる。 「あ、俺はトラッドって言います」 「トラッド君ね。じゃあ、お願いしていい?」 それからようやく彼は、これまでの経緯を説明を始めるのであった。 (……さすがに聞き上手だな) トラッドは区切りのいい所で話を止めてから、ふと思った。 時折、打つ相槌。質問をするタイミング。どれを取っても話をしやすくする配慮が見える。 「ふうん……やっぱり道は塞がってなかったのね」 「え?」 一方、話を聞き終えたルイーダが、独り言のようにひっそり呟いた。 しかし、余りに小さな声だったため、内容までは届いていない。 「ううん、こっちの話」 「…………」 何かある、それだけは分かったものの、彼には問い詰める理由も興味もない。 その様子にホッとしたのか、彼女は空になったグラスにお酒を注いだ。 「あの、別に頼んでないんですけど……」 「サービスよ。それにしても、こんな時だからてっきり……」 「そういえばさっきも……何かあるんですか?」 トラッドは尋ねながら、改めて周囲の喧騒を意識した。 (……島国の酒場がここまで賑わうのも珍しいな) そんな彼の考えている事を察したのか、ルイーダは真剣味を帯びた瞳を携え、頷く。 「…………知りたい?」 「え……っと、まぁ」 急に眼差しを向けられたトラッドは、耳まで赤くなり、つい顔を逸らしてしまった。 「あなたって、本当に可愛いわね」 「か、からかわないで下さい……!」 その反応が気に入ったのか、ルイーダはご機嫌に微笑んでいる。 だが、後に紡がれた言葉は、 「実はね……一週間後、勇者が旅立つの」 「……勇者? でも、確か――」 彼に集中を取り戻させ、興味を惹かせるには十分だった。 あらゆる場所で耳にしていたからだ。 世界を救う、と誰もが信じていた一人の男が、命を落とした、と。 ルイーダは首を横に振ってから、更に続ける。 「旅立つのは、その子供よ」 「……随分と勇敢なんだな」 彼の口から零れ落ちたのは、感心の言葉。 モンスターが増えて、安全に旅することも叶わない世界。 しかも、かつて勇者と呼ばれた男が目指したのは、そのモンスターを束ねている魔王だ。 それを倒そうとするのだから、勇敢か無謀としか言いようがない。 「ええ……自分から言い出したぐらいだし……」 トラッドはその言葉で、ようやくこの酒場が賑わっている理由を察した。 「……だから、ここに来る冒険者が多いんだな」 彼の言葉にルイーダが頷いた時、一瞬だけ陰が差し込んで見えた。 気のせいとも思えるほどの短い時間だったが、拒絶するような空気はまだ微かに残っている。 「…………ごちそうさまです」 そうして、互いに話すことがなくなった後。 トラッドは残っていた酒を一気に飲み干し、酒場を出た。 「手掛かりはなしか……」 雲一つない空に輝く黄金色の月の下。 寝静まった城下町を歩くトラッドは、白い吐息と共に残念そうな声を落とす。 (勇者……か) その時、ふと先ほどルイーダが言っていた噂と、周りで酒盛りをしていた冒険者たちを思い出した。 (どうも嫌な感じだな) そう感じたのは勇者にではなく、冒険者の方。 自分に人を見る目があるとは思わないが、彼らの中には頼りになりそうな人間はいなかった。 それどころか、自分の命が危なくなると逃げ出しそうな予感すらしてくる。 (確かアリアハンは十六歳で成人らしいけど……) トラッドは十八歳だが、まだまだ自分のことを大人とは思っていない。 だから、その歳で旅立つという勇者は、どうしても子供のように思えてしまう。 (……まぁ、俺には関係ないけど) ともあれ、いつの間にか止まっていた足を動かし、宿屋へ向かおうと考えた矢先。 (そういえばあいつ……多分、アリアハンの人間だよな) ふと、丘の上で出会った少年の、綺麗な横顔を思い出した。 特に何かを話したわけでもない。どころか、いきなり剣を抜くぐらいの危険な相手である。 変わり者だと思ったものの、あの少年に興味を持つ自分も人の事は言えない、とトラッドは苦笑いを浮かべた。 (また……行ってみるか) 何となくそう思った彼は、今度こそ宿屋へと歩き始める。 それは、勇者が旅立つ、ちょうど一週間前の事であった。 次の話へ |