「言葉に出来ない夜」


※注意
 今回のお話は、トラッドがリノを女と知った後のお話です。
 特にネタバレはありませんが、ご覧になる際は心に留めて頂けると幸いでございます。

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 雲が多い、ある晴れた日の事。空はすっかり夕焼け色に染まっている。
「……うーん……」
 リノは道具屋の中のある一角で、ずっと難しい表情で何かを考え込んでいた。
「これ……いや、でも……やっぱりこっち……でも……」
 彼女の目の前にあるのは、青色の包装紙に包まれた四角い物体。
 側にある張り紙には、丸い字でチョコレートと書かれている。
 リノは飾られているチョコレートを見比べては1つ手に取り、また戻すという行動を繰り返していた。
(……どうしよ……)
 数え切れない程吐いたため息が、また1つ零れ落ちた。
 その度に、リノは心の中で自分にこう問いかける。

(トラッドって……どういうのが好きなんだろ……?)

 彼女は床に落ちていた視線を再びチョコレートへ戻し、今朝交わしたナギサとの会話を思い出すのだった。



「ナギサ」
 朝食を終えてすぐの事だった。リノは部屋へ戻ろうとした彼女を呼び止める。
「あら、リノちゃん。どうかしたの?」
「うん、ちょっと聞きたい事があって」
「なあに?」
 何かを話そうとしたリノだったが、さっと表情を曇らせて俯いてしまった。
「……悩み事?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……」
 ナギサの瞳には彼女が困っている様に見える。だが、それ以上に気になったのは――――心なし赤くなっている顔。
 リノは両の拳をぎゅっと握り締め、意を決して口を開いた。

「バレンタイン……って、どういう日?」

 それに対して、ナギサはふっと微笑んだが、逆にこう問い返す。
「ずっと前に言わなかったっけ?」
「……あれは何か違う気がする」
「…………」
 以前、ナギサに教えて貰ったバレンタインというのは、
『日頃お世話になっている人に、感謝の気持ちを込めて戦いを挑んで勝利してから、チョコを食べさせる』
 という内容だった。
 過去にリノはそれを信じ込んで、トラッドに実行している。
 しかし、その時の彼が言うには騙されてるんじゃないか、という事だった。
 今まですっかり忘れていたが、リノも最近になってようやくおかしいと感じ始めていた。
「チョコレートを渡すっていうのは、間違って無いわよ」
「やっぱり他は嘘だったんだ……」
「まぁまぁ、もう過ぎた事だし……ね?」
「……いいけど」
 考えてみればいつもの事である、そう思ったリノは諦めたように呟く。
「それでバレンタインだけど……その前に訊いていい?」
「何?」
 今まで誤魔化す為に笑っていたナギサは、急に真剣な眼差しでリノに見据えると、こう尋ねた。

「リノちゃんは、トラッドの事どう思ってるの?」

「ト、トラッドの……こと……? 急にそう言われても……」
 彼女はわずかに頬を染めて、戸惑いの色が浮かぶ顔を下に向けた。
 その反応を見れば、誰でも――――いや、当の本人たち以外は答えが分かるに違いない。
 しかし、リノは上手く言葉に出来ないのか、返事が返ってこなかった。
「じゃあ……トラッドと一緒にいる時って、どんな感じ?」
「え……?」
 そこでナギサが質問を変えると、彼女はきょとんとした表情になる。
「勿論、2人だけの時よ?」
「う、うん……」
 リノはゆっくり目を閉じて、深く深呼吸をした。
 すると、彼女の白い肌は見ただけで分かるほど赤くなっていく。
「どう?」
 ナギサがやはり楽しそうな様子で再び問いかけると、リノは俯いたまま、ぽつりとこう呟いた。

「落ち着くような……落ち着かないような…………変な感じがする」

「顔も熱かったりする?」
「……うん」
 今の気持ちをどう言うのか、きっと彼女はまだ知らない。
 しかし、ナギサにはその答えで十分だったらしく、リノの頬を両の掌で包み込みながら言った。
「バレンタインのチョコレートはね……そういう人にあげるものなの」
「……そうなの?」
「うん。もし、私やラザだったら、そんな風にならないでしょ?」
 まだ赤い顔をしている彼女は、こくりと頷く。
「じゃあ、行ってくる」
「あ、そうだ」
 早速、チョコレートを買いに行こうとしたリノだったが、ナギサはポンと手を叩いて呼び止めた。
 そして、振り返った彼女の耳元で何かを囁く。
「……え?」
「うん、折角だし」
「でも……」
「トラッド、きっと喜ぶわよ?」
「…………じゃあ、考えておく」
 すっかりいつもの顔に戻っていたリノだったが、ナギサの言葉に再び頬を染めると、足早に宿屋を後にした。



(……あれ?)
 ふとリノはチョコレートを手に持ったまま、オレンジ色に染まった窓の外の風景を見る。
(もう……こんな時間なんだ)
 彼女が道具屋を訪れたのは、まだ昼にもなっていなかった。
 つまり、ほぼ一日中この場所で悩んでいた事になる。
(そういえばご飯も食べてない……)
 わずかに焦りと動揺を感じたリノは、数種類のチョコレートの中からたった一つだけを取った。
「お決まりですか?」
 その時、カウンターにいたはずの女性に横から話しかけられる。
 不意を突かれて驚いたリノは、瞳に不安の色を浮かべながら頷いた。
「ちょっと貸して頂けますか?」
「あ、はい」
 女性はリノからチョコレートを受け取ると、毛糸の並ぶ棚へと足を運ぶ。
「お渡しする人って、どんな色のイメージがありますか?」
「え……っと…………トパーズ」
「優しそうな人ですね。じゃあ……これかな」
 彼女は沢山並ぶ毛糸の中から、トラッドの瞳に似た色の物を手に取り、それを持ってカウンターの奥へ歩いていった。
「あ、あの……」
「少し待って下さいね。すぐに出来上がりますから……」
「…………はい」

 ……………………………

 それから数十分後。
「はい、どうぞ」
 青色の包装紙で包まれたチョコレートは、トパーズ色の毛糸の袋に姿を変えていた。
 口の所には真っ赤なリボンが付けられており、何とも可愛く仕上がっている。
「えっと……」
「少しでも気持ちが伝わるように、というおまじないです。まぁ、私のお節介なんですけどね」
 暖炉で暖かくなった店の中とは、違った温もりを感じさせる毛糸の袋。
 自分には出来そうにない、とリノは感心すると同時に羨ましくもあった。
「あ……ありがとう……」
 彼女はぎこちなく礼を述べると、微笑む女性に見送られて店を出るのだった。



「ちょっと休むか……」
 夕食を終えて、2時間が過ぎた頃。トラッドは明日の準備をする手を止めて立ち上がる。
 ちなみにラザは原因不明の高熱に苦しんでおり、先ほどナギサが医者に連れて行った所だった。
 つまり、部屋には彼一人しかいないという事になる。
(……そういえば、今日はあんまりリノの姿を見なかったな)
 会ったのは、朝食と夕食の2回のみ。
 昔と違って部屋も別々になっているのだから、そういう時もないとは限らない。
(様子……見に行くか。何だか元気も無かったみたいだし)
 いつもなら行き先を伝える彼女だったが、今日に限ってナギサも何も聞いていなかったらしい。
 更に食事の量も普段より少なめで、少し顔が赤くなっていた。
 それが妙に気にかかっていたトラッドは、リノを訪ねようと自分の部屋のドアを開ける。
「わ……!」
「…………リノ?」
 その時、目の前には今正にドアを叩こうとしていた彼女が、驚いた顔のまま立ち尽くしていた。
「ど、何処か行くのか?」
 そしてリノは緊張した声で、顔を逸らしながら尋ねてくる。
「あ、いや……ちょうどリノの所に行こうと思ってたんだけど……どうかしたのか?」
 それが伝わったのか、トラッドの口調も何処かたどたどしくなっていた。
「えっ、と……その……」
 だが、彼女は足元に視線を落としたまま、一向に話そうとしない。
「良かったら入るか?」
「…………う、うん」
 リノは彼の言葉に返事をし、部屋の中へ足を踏み入れた。
「……何、持ってるんだ?」
 その時、トラッドがずっと背中に回されている彼女の両腕に気付く。
 ハッとなったリノは、慌てて身体を彼の方に向け、不自然な横歩きでベッドに足を運んだ。
「……まぁ、いいけど」
 結局、トラッドは諦めたらしく、もう一つのベッドへ腰を下ろす。
 しかし、気になってはいるようで、先ほどから幾度と無くリノに視線を向けていた。
(どうやって切り出せばいいんだろ……)
 一方、彼女はというと違う意味で彼の一挙一動を気にかけていた。
 背中にあるのは、彼に買ってきたチョコレートで、部屋に入る前はすぐにでも渡すつもりだった。
 だが、トラッドの顔を見た途端、頭が真っ白になってしまい、思わず隠してしまったのだ。

 そうして互いに何も言えないまま、数分の時が過ぎる。

(…………渡さなきゃ)
 ようやく決意を固めたリノは大きく深呼吸をすると、ゆっくりとした足取りでトラッドの方へ歩いていった。
「リノ?」
 それに気付いた彼が顔を上げる。
「…………あれ?」
 しかし、それに構わずチョコレートを渡そうとした時、
「……無い」
「何が?」
 リノは自分が何も持っていない事に気がついた。
「あれ? あれ?」
 部屋に入った時は、まだ手に持っていたのは間違いない。
 しかし、いつ落としたのか見当がつかず、慌てた様子で床を見回す。
「何探してるんだ?」
「……チョコレート……」
「へ?」
「トラッドにあげようと思って、買ってきたのに……」
「俺、に……?」
「……うん……バレンタイン、だから」
「……そっか」
 トラッドは落胆しているリノの頭を撫でようとした時、
「……あれは?」
 先ほどまで彼女が座っていたベッドに、見慣れぬ物体があるのに気がついた。
「あった……」
 どうやら動揺していたせいで、全く目に入っていなかったらしい。
 リノは一瞬だけ嬉しそうに笑ったが、すぐに我に返ると、真っ赤になりながらそれを手に取る。
「……ごめん」
「あ、いや……その……ありがとう」
 そして彼女は改めてトラッドに近づくと、トパーズ色の毛糸で編まれた袋を差し出した。
「開けていいのか?」
「……うん」
 彼は律儀に確認を取ると、リボンを解いて中のチョコレートを取り出し、青い包装紙を丁寧に取り払う。
 箱になっていたので、トラッドは更に蓋を取った。
 中から出てきたのは、一口で食べれそうなぐらいの球状のチョコレート。
 そこで彼はもう一度リノの顔を見て、頷いたのを確認してからそれを一つだけ指で掴む。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
 すぐ口に入れようとしたトラッドだったが、何かを思い出したような彼女の声に手の動きを止めた。
「……隣、座っていい?」
「え? ああ、いいけど……?」
 その言葉を合図にリノは音も無く、彼の右側に座る。
 そして細く白い指で、トラッドが持っていたチョコレートをつまんだ。
(……リノも食べたかったのかな)
 それにしては妙だ、と思っていた彼だったが、気を取り直して別のチョコレートを取ろうとした時、
「……目、閉じてもらっていい?」
「え? う、うん……?」
 再び話しかけられると、彼はぴたりと動きを止め、言われた通りに瞼を下ろす。
「リノ……何をするつもりだ?」
 すると彼女は恥ずかしそうな様子でこう答えた。

「えっと……食べさせてあげようと思って」

「…………は?」
 トラッドは言葉の意味が理解出来ず、瞳をパッと開け、間の抜けた声を洩らす。
 しかし、それを否定的な意味で捉えたのか、リノは落ち込んだ口調で問いかけた。
「……ダメ?」
「いや、そんな事……ない、けど……」
 彼女は少し潤んだ上目遣いで、一心に彼を見つめている。
(…………可愛い)
 その仕草に、思わずトラッドは彼女を抱き締めようと手を伸ばしかけたが、ふと違和感を感じて我に返った。
「えっと……リノ?」
「何?」
「……どうして、そうしようと思ったんだ?」
「…………え?」
 よくよく考えてみれば、リノが突拍子も無い行動をする時には理由がある。
 それは大抵――――あの金髪の彼女が絡んでいる事が多い。
「トラッドが喜ぶ、って聞いたから……」
「ナギサに?」
「……うん」
 どうやら予想通りだったようで、彼女は不思議そうな顔で頷き、落ち込んだ様子で尋ねてくる。
「……やっぱり、嫌?」
「そうじゃない。むしろ……嬉しいぐらいだし」
「じゃあ、どうして?」
 リノには彼の断る理由が想像出来ないようだった。
 そしてトラッド自身もよく分かっていないのか、複雑な表情で言葉を紡ぎ始めた。
「何ていうか……そういうのは、何か違うような気がする」
「……そうなんだ?」
 理由は分からないが、違うという事だけははっきりしている。
 そんな想いを込めて、トラッドはゆっくりと首を縦に振った。
「でも、ありがとな」
「え?」
 彼は俯いたリノの頭を撫でながら、少し恥ずかしそうにお礼を言う。
「リノにそういう風に思って貰えるのは……やっぱり凄く嬉しい」
「……うん」
 一体彼女は何に対して頷いたのか、それは本人にも今一つ分かっていないようだった。
「一つ、もらうな」
「あ、うん」
 トラッドは箱に収められていたチョコレートを一つ口の中に放り込み、甘味を十分に堪能する。
「美味しい?」
「ああ。リノも食べてみれば?」
「…………うん」
 最初は微かな戸惑いが見えたが、彼女は素直に頷くと指で持ったままのチョコレートを口に入れた。
「……甘い」
「…………そうだな」
 その率直な感想が面白かったのか、トラッドは苦笑いを浮かべてもう一つチョコレートを食べる。
 つられてリノも微笑むと、同じくチョコレートをまた一つ食べた。


 部屋中に甘い香りが漂う中、リノとトラッドはいつもより距離が近い事にも気付かず、他愛も無い話をする。
 曖昧で言葉には出来なかったが、2人の気持ちに何かが芽生えた夜は、こうして穏やかに過ぎていくのだった。



※後書き
 バレンタインSSその1、ほのぼの編(希望)です。
 リクエストして下さいましたY様ともう1名様、本当にありがとうございました♪
 ご期待にお応え出来ていれば良いんですけど……(汗)
 穏やか、というのを目指したので、今回はリノが女と知られた後のお話です。
 ……本編も早くそこまで辿り着けるよう頑張ります(涙)

 ちなみに描写はありませんが、
 ナギサはリノと話した後、トラッドをハリセンで叩いてます(笑)
 どうしても書き加える事が出来ませんでした(涙)





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