「チョコレートらしきもの」


 雲一つ無い、正に休日に相応しい青空の下。
 町は夕食の準備のせいか、多くの人のざわめきで埋め尽くされている。

「やっほぉ〜」
 ぴったりなようで何処かずれているナギサの挨拶が、共に旅をしている男たちの部屋に響き渡った。
「……随分ご機嫌だな」
 返事をしたのは、剣の手入れをしている呆れた表情のラザ。
 ちなみにトラッドは買出しの為、今ここにいない。
「まぁね。だって、今日は……何の日か分かってるわよね?」
 ナギサは今までくるくる回って金髪と黒いコートを翻させていたが、急に動きを止め、真剣な眼差しで彼を見据える。
「何の日って……宿屋中にあれだけ書かれていれば誰でも分かる」
「……分からない奴もいるのよ。意味だって知らないと思うし」
 夜の内に準備をしたのか、宿屋の中は赤や緑で色とりどりに飾り付けられていた。
 更に白い鮮やかな文字でバレンタインと書かれてあれば、嫌でも分かってしまう。
「……ああ、確かに」
 しかし、ラザはナギサの呟きに、この場にいない銀髪の青年の顔を思い出した。
 おそらく彼女の脳裏にも同じ人物が浮かんでいるに違いない。
「で、どうしたんだ? まさかそれだけを言いに来たわけじゃないだろ?」
 トラッドが不憫に思えたのか、それ以外の理由なのか、ラザは取り合えずといった感じで話題を変える。
 バレンタインの事を聞いても、ナギサが用意しているとは考えていないようだった。
「え? それだけよ?」
「…………そうか」
 確率の低い予想が当たってしまい、彼は脱力しながら納得する。
 だが、ナギサは全く違う解釈で受け止めたらしく、
「……もしかして、期待してた?」
 と、相も変わらず無邪気な笑顔で問いかけた。
 ラザは平静を装って首を横に振るが、胸中ではこんな事を考えていた。
(有り得ないな……)
 ナギサも女性なので失礼ではある。しかし、的を得ているのもまた確かだった。
「というのは、冗談で」
「…………は?」
 中断していた剣の手入れを始めようとした矢先、思わぬ彼女の言葉にまた手が止まる。
「……何が冗談なんだ?」
「どれがいい?」
「……訊くなよ」
「あら、選択肢があるのって幸せじゃない?」
「時と場合による」
 微かにでも期待してしまったラザは、自分の未熟さを呪って、今度こそ剣の手入れに戻ろうとした。
「……ラザ」
「何だ?」
 しかし、また呼びかけられると、少し苛立った様子で手を止めてナギサの方を見る。
 そこには頬を染めている彼女の貴重な表情があった。
「…………目、閉じて」
「……え?」
「いいから」
「あ、ああ……?」
 熱を帯びた口調。わずかに潤んだ碧眼。そして、恥ずかしそうに震える身体。
 ラザは今まで見た事が無いナギサの様子に鼓動を早めながら、ゆっくり目を閉じた。
「……口、開けて」
「…………」
 まるで魔法をかけられたかのように、彼は無言で言われた通りにする。
(…………まさか)
 警鐘が鳴り響く頭の中とは裏腹に、心は甘い期待に侵食されていった。
 そして緊張が最高潮に達した時、

「……えいっ♪」
「がっ――――!?」

 開かれた口の中に何かが炸裂した。

 パニックに陥ったラザは、とにかく何とかしようと口を閉じる。
 すると、パキッという固い音と共に、苦さの混じった甘味が舌の上で溶けていった。
「げほっ……けほっ……何をした!?」
 彼は口から固い物を取り出し、珍しく声を荒げてナギサに叫ぶ。
 しかし、彼女はきょんとした顔で、
「何って……チョコを食べさせただけよ?」
「チョコなのは解……って、そうじゃない」
「もう、何よ?」
 ようやく落ち着きを取り戻したラザは、今口から取り出した物に視線を移した。
「……これは?」
「ハリセン型チョコレートよ。折角だからそれらしく食べさせてみたの」
 彼が噛み砕いたので多少欠けてはいるが、確かに見慣れた形をしている。
「……何処でこんな物を」
 あっけらかんと言うナギサに、ラザは小さくない怒りを込めた口調で問いかける。
「町で会ったお菓子職人に作ってもらったのよ。可愛いでしょ?」
「……ちゃんと食べさせてもらえれば、そう思うかもな」
「不満?」
「これで満足する奴がいると思うか?」
 そこでナギサは少し考えた後、
「……お菓子職人は満足してたわよ?」
 これを作ったという人物を例に挙げた。
「試したのか……」
「当たり前よ。何でも試行錯誤を繰り返さないと、ねっ?」
「…………」
 返す言葉もないラザは、とりあえず手に持ったままのハリセンチョコを食べ始める。
「……味はいいんだけどな」
「そうなの?」
 彼の反応に、ナギサは懐から赤いリボンがついた緑の紙袋を取り出した。
 そして更に中から同じハリセンチョコを出して、少しだけ口に含む。
「可愛さに負けない美味しさね」
「……何個あるんだ?」
「残念だけど、これで最後よ」
「…………そうか」
 ラザは呆れか安堵か判別のつかない声で、そう返事をするだけであった。



「……こんなものか」
 ナギサと嵐のようなやり取りを終えた後、ラザは剣の手入れに没頭していた。
 そして、ふと窓の外を見ると、空はすっかり夕闇に染まっている。
(もうそんな時間か)
 彼は何気に剣を掲げ、沈みゆく太陽の光を当てた。
 すると磨き上げられた刀身は下ろし立ての様な輝きを放ち、赤い瞳を自然と細めさせた。
(ナギサは……いないか)
 幾分上機嫌な彼は剣を鞘にしまい、数時間前に訪れていた彼女の姿を捜す。
 しかし、好奇心旺盛なナギサがじっといるはずもない。
(……そろそろ夕食だな)
 苦笑いを浮かべたラザは立ち上がって、うんと背伸びをするが、
「っと……」
 長時間座り込んでいたせいか、覚束ない足取りになって転びかけた。
 そうして思わず備え付けのテーブルに手をついて、どうにか身体を支える。
「ん?」
 その時、彼はテーブルの上に何かが置かれている事に気がついた。
「……何だ?」
 そこにあったのは、緑色の袋に包まれた掌ぐらいの物体。
 中からは微かに甘い匂いが漂ってくる。
「まさか……な」
 剣の手入れを始めた時には存在していなかった物。
 つまり、これをここに置いたのは、あの騒がしい彼女以外に考えられないという事である。
 ラザは念の為、周囲の気配を探った後、おそるおそる袋を開いた。
「……チョコレート」
 出てきたのは、丸とも四角とも言い難い妙な形のチョコレート。
 表面には少し大きなナッツが顔を覗かせている。
「全く……人の気も知らないで」
 呆れた言葉とは裏腹に、ラザは嬉しそうな様子でチョコレートを口の中に放り込んだ。
 ハリセンチョコよりも強い苦味と遠慮しているような甘さが広がっていく。
(……こっちの方が好みだな)
 とても買ってきた物とは思えない歪な形から、ナギサの手作りだと容易に想像出来た。
 その事にわずかな驚きを感じながらも、彼はごくりとチョコレートを飲み込む。

 ………………………

「………っ!?」
 数秒後。夕食へ行こうと歩き出したラザの身体に、強烈な目眩と痺れが駆け抜けていった。
(何が……?)
 彼は今にも旅立ちそうな意識を必死で繋ぎとめようと試みるが、それよりも早く全身の力が失われていく。
(……お、俺は……今何を食べたんだ……?)
 何とかしようと、ラザは自分の両頬を掌で叩いた。
 しかし、そんな努力の甲斐も無く、彼はベッドにどさりと倒れ込むのだった。



「……熱?」
「ああ」
 数時間後、ラザは買出しから帰ってきたトラッドに発見される。
 最初は寝ているだけだと思っていた彼だったが、あまりに苦しそうな呻き声が気になって近づいた所、異常な量の汗が目に付いた。
「朝食の時は元気そうだったのにな……」
 トラッドが不思議そうな顔で呟くと、ナギサは呑気な声で返事をする。
「何かおかしな物でも食べたんじゃない?」
「ラザが?」
「ええ。凄くお腹が空いてたから、つい」
「……考えにくいな」
 どうやら彼女は自分が原因だとは夢にも思っていないらしい。
 更に、リノとトラッドもナギサがチョコレートを作る可能性を微塵も考えなかった。
「明日には治ってるわよ」
「……だと、いいけど」
 こうしてラザは一晩中、謎の高熱にうなされる事になる。


 それからしばらく、彼がナギサから手渡された物を食べなくなったのは――――言うまでもない。



※後書き
 バレンタインSSその2、私の中では『地獄編?』と名づけられています。
 リクエスト(兼ネタ振り)して下さいましたM様、本当にありがとうございます♪
 今回はリノがナギサに相談していた為、ラザに全部災難が降りかかってしまいました(笑)

 本編では(多分)慎重なラザですが、どうも姐さんが絡むと油断してしまうみたいです。
 何だかんだでいつもトラッドなので、たまには良いのではないでしょうか(良くない)

 それにしても普段これだけの事に耐えているトラッドって……(汗)
 ラザが修行不足なだけかもしれませんけど。





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