「ラザの一日・A.M編+α」


 見た目通りの、青。文字通りの、蒼。
 耳を澄ませば、からっ、という音が聴こえてきそうな――つまりは、晴天。
 もちろん、音云々は紛れもなく幻聴の類だが、そういった些末事などまるで気にならないほどに空は晴れ渡っていた。

その1 『わんわんぱにっく』

 さて、そんな日のそんな中のそんな時。
 ラザは一人、面白くなさそうではなくとも面白味には若干欠ける冷静沈着な表情で、宿屋の廊下を歩いていた。
 目的地は外。抽象的には手頃な場所で、具体的には剣が振るえるぐらいの広い空間だ。
 早くに目が覚めてしまったものの、惰眠を貪るのは良くない。なら、朝食前に軽い鍛錬でも、という考えがそもそものキッカケである。
 かといって、特に急いているわけでもない。そのため、歩調は至って穏やかなものだったが。
「ラザさーん」
 背後から迫り来る声の主が鳴らす足音は、対照的に賑やかであった。
 一応、時間帯を考慮して声と共に潜まってはいるものの、彼女の気質がそう思わせるのだろう。現に耳を澄ませば、ぱたぱた、と子犬が駆け寄ってくるような音が聴こえてきそうである。
 もちろん、幻聴だが。
 ともあれ、ラザが振り返った先では。
「おはようございますっ」
 おひさま笑顔のよく似合うジパング少女――ヤヨイが朝の挨拶を口ずさんでいた。
「ああ、おはよう」
 つられたラザも柔らかな微笑みで応え。応えつつも。
『随分と慌てているようだが、何かあったのか?』
 と、至極真っ当な質問を投げかけようとしたのだが――それよりも早く。
「実はラザさんにお尋ねしたいことがあるんです!」
 幾分熱の入った口調で、彼女は理由を明らかにした。
「尋ねたいこと?」
 対して彼は、疑問符を供に聞き返しながらも、つい身構えてしまう――が、無理もない。
 ヤヨイの言動にはナギサに勝るとも劣らない"突拍子の無さ"が有るのだ。
 さすがに警戒する必要はない。
 確かに無いのだが、慎重さを身に纏うに越した事はない、と思うのも道理ではあった。
「……何だ?」
 ゆえに彼は、可能な限りの可能性を考慮し。
「"犬に噛まれたものと思って"って言葉、ありますよね?」
「ああ、あるな」
 十分。いや、十二分。否、十五分は覚悟を決めた――ものの。
「あれって、どの程度までなら使っても大丈夫なんですか?」
「…………」
 やはり突拍子が見当たらないどころか、その影も形も痕跡すらもない問いかけだった。"突拍子"などというモノは目に見えないと分かっていながらも、目を凝らして探してみたくなるほどに、だ。
 そんな混乱と混沌が充ち満ちた心境が具現化した結果、なのか。
「…………はぃ?」
 彼の唇からは、寸分の狂いもなく変な域に位置する声が、どうしようもなく零れ落ちた。
 しかし、ヤヨイは待っている。
 何を言うでもなく、何かを言ってもらえると。
 期待と期待と期待――といった風に"期待"以外は含まれていないであろう輝かしい瞳で。
 ラザの答えを待ち侘びていた。
 一方、朝早くから難題を浴びせられた本人は。

 彼女はそれを何処で使うつもりなのか。
 朝早くから尋ねなくてはいけなかったのか。

 という疑問を胸中に抑え込みつつ、
「トラッド……師匠に聞くのが一番じゃないか?」
 この場にいない人物へ解答する権利を譲渡した。押しつけた、とも言う。
 だが、ヤヨイは束の間思案に暮れた後。
「……そうですね。師匠とお話しする良い機会にもなりますし」
 うんうん、と力強く納得した――かと思えば、
「それに師匠も詳しそうです」
 何気に酷い言葉で締め括った、ような気がした。
「じゃあ、あとで訊いてみます。ラザさん、ありがとうございました」
 そこでヤヨイは、間髪入れずに踵を返す。
「あ、ああ」
 ラザもそれをぎこちなく見送った。師匠"も"という響きがもたらす胸騒ぎと共に。
 しかし、彼女は再び向き直ると同時に唇を割る――が。
「やっぱり"ラザりん"ってお呼びし」
「頼むからやめてくれ」
 不穏な内容が全貌を表すよりも早くラザが遮ると、
「うーん……可愛いと思うんですけど」
 物騒な独り言を残念そうに呟きながら、今度こそ去っていった。
(こういう状況のことを言うのかもしれない……が)
 そして、ようやく解放された彼は思う。

 どんな犬であっても噛まれれば少なからず痛い、と。



その2 『びゅーてぃふる・きゅーてぃくる』

 楽しく、つつがなく。賑やかに、華やかに。
 朝食は無事終わりを迎えた。
 あくまで、トラッドの明らかに複雑な表情を抜きにすれば、の話だが。
 その事に関しては罪悪感を覚えなくもないが、やはり弟子と師匠の心温まる交流は大切である――などと自分に言い聞かせるラザは部屋へ戻り、いそいそと剣の手入れを始めた。
 趣味と呼んでも差し支えがないこの日課は、彼が最も落ち着ける時間の一つである。
 日課――そう、確かに日課で趣味には違いない
 が、本人は無意識に選択したつもりでも、本当は忘れたかったのかもしれない。
 今朝のやり取りそのもの、というよりは、幸いにも未だ浸透していない"妙な愛称"を。
 兎にも角にも、彼の集中力が研ぎ澄まされ始めた直後。
「……ラザ、いる?」
 控え目なノックに相応しい控え目な声が、扉の向こう側から聞こえてきた。
「ああ」
「入っても……大丈夫?」
 私的で素敵な時間に影響を与える、突然の来訪者。
「構わない」
 しかし、ラザは微塵も機嫌を損ねずに快く歓迎する。
 そもそも彼の中には存在しないのだ――仲間を相手に不機嫌を覚える理由など、何処にも。
 常日頃から、力になりたい、と思っている彼女であれば、尚更だ。
 などと彼が考えている間に、おそるおそる足を踏み入れてきたのは。
「じゃ、じゃあ……うん」
 確信に満ちた予想通りの人物――リノ、だった。
「どうかしたのか?」
 彼女が遠慮がちに部屋を訪ねる時は、決まって相談事がある時だ。
 とはいえ、この推測はまだ序の口。本当の難題は内容を聞き出す事に、ある。
「……あ、あの」
 そのはず、なのだが。
「ラ、ラザって髪が長いけど……手入れとかどうしてるのかな、って」
 黒髪の少女は頬を上気させつつも、思いの外あっさりと目的を告げた。
 完全なる予想外の行動だったが、
(……そうか)
 ラザは胸中密かに納得する。
 サマンオサの一件――身近で大切なヒトの"死"を仲間と共に乗り越えた彼女は。
 これまで以上に心を許しているのだ、と。
 それは喜ばしい出来事だった。自然と笑みが零れてしまうほどに。
 ただ、脳裏の片隅では。
(後は……少しぐらい進展してくれればいいんだが)
 そこまで望むのは贅沢か、とも思っていたが。
「……ラザ?」
 とその時、不意にリノが名前を呼ぶ。
「え? あ、ああ、髪の話だったな」
 急に黙ってしまった彼に、一抹の不安を抱いたらしい。
「うん……やっぱり後の方が、よかった?」
「いや、大丈夫だ」
 すぐさま我に返ったラザは、ようやく本題に取り掛かった――のだが。
「……リノ」
 よくよく考えてみれば、特別な事をしている記憶がない。
「なに?」
「どうして俺のところへ?」
 ゆえに彼は、わざわざ自分を選んだ理由についてを尋ねてみた。
 するとリノは、しばし彼をじっと見つめた後。
「……ラザの髪、きれいだし」
 彼が照れてしまうような感想を真っ直ぐに告げ――更に。
「ナギサやヤヨイに訊くと……大変なことになりそうだった、から」
「……なるほど」
 彼が苦笑し、納得せざるを得ない想像を、ぽつぽつり続けた。
 確かに、あの二人なら髪の手入れ"だけ"で終わるとは、やはり考えにくい。化粧のみならず、今すぐにでも女の子らしい服を買いに行こう、と善意や使命感から言い出しかねない。当然、内気なリノの都合などおかまいなしに、だ。
 付け加えれば、トラッドも――彼女の性格を考えれば、聞けるはずもない。
 何故なら、あの鈍すぎる銀髪の青年は。
(一番見せたい相手……だろうしな)
 彼女の"想い人"に他ならないのだから。
 とはいえ、ラザは正解を持ち合わせていない。
 本来ならナギサやヤヨイが適任に違いないが、それ以上に危険が大きすぎる。
 なら、どう答えたものか、とラザは唸り声もなく悩んでいたが。
「……今のままでもいいんじゃないか?」
「え?」
 ふと気づく。正確には、思い出した、と言うべきか。
 リノとナギサが揃って姿を見せる時は、もちろん。
「毎日髪を梳いてはいるのだろう?」
「う、うん……一応、は」
 最近はそうでない時も行動の痕跡が窺える――しかも頻繁に、だ。
 更に、ナギサの話によれば。
 彼女はこっそり自分の櫛を購入していただけでなく、鏡を見る機会も増えているらしい。
「だったら今はそれで十分……と俺は思うが」
 それは以前よりずっと、気を遣うようになったから、ではないのか。
「でも――」
「焦る必要はない」
 そう考えたラザは、彼女の不安げな音色を穏やかな音色で遮った。
 無理に背伸びをしなくても十分に魅力的――とは、自分の告げるべき言葉ではなかったため、さすがに胸中へ押し留めたが。
 ただし、こうも添えてしまう。
「そもそも俺には教えられることがない……特別に何もしていないからな」
 根が正直者なのである、彼は。
 しかし、リノが驚きに珍しく目を丸くしたのも、わずか一瞬。すぐさま内容を理解し、淡く頬を染めた彼女は、感謝の言葉を残して部屋を後にした。
 自分なりに"何か"を汲み取った結果、なのだろう。
 だが、こうして。
 日常のささやかで密やかな会話を経た彼は。

 いまも、いつも、これからも。
 変わり続ける不器用な少女に、慌ただしい背伸びはやはり似合わない。
 即ち――自分の感想を間違っていなかった、と。

 改めてそう思った後、剣の手入れに戻った。



その0.7ぐらい 『眼鏡ひかりのゆくえ』

 少し時間を遡った、とある別の日、のこと。
「ラーザーく〜ん」
 世界で最も賢者と修験者が多く集まる場所――ダーマにて。
 早朝。鍛錬に励むべく歩を進めていたラザの背中に、ゆるゆると間延びした声がふんわり直撃する。
 果たして誰のものか、とは考えるまでもない。
 幼い頃からよく知っている少女――のはず、だが。
「おはよう、アー……ニー……?」
 振り返った彼の返事は酷くぎこちなかった。しかし、それも無理はない。
 何故なら、彼女は。
「私のメガネ知らない?」
 睡眠と入浴以外は外さない"丸メガネ"をつけていなかったからである。
 その影響で、目つきは細く鋭くなっていたのだが。
(……不思議な話だな)
 ラザが疑問符を浮かべる通り、決して悪くはなっていない。
 むしろ、ぽよっ。
 または、ぽやっ。
 そんな音が幻実に聴こえてきそうなほど、アーニーの雰囲気は非常に和むものがあった。
 日常いつもと異なっていても平常いつも通り、とは全く持って不思議な話である。

 それはさておき。

 正体不明の先人曰く、こういう時のメガネは大抵"頭"に乗っかっている、らしい。
 そしてラザも、アーニーに限っては有り得る、と頑なに信じていた。
 平たく言えば――過去に何度も遭遇しているからだ。

 "頭に眼鏡なそういった"彼女に。

 実際のところ、このような現象については常々不思議に思っていた。
 だが、彼は眼鏡をつけた経験がない。
 "ねぇねぇ"と目新しい物に興味を示した後、"あれはなぁに?"と呟く事が九割を占める子供の頃にも、好奇心で手を出したりはしなかった。
 目の悪い人が眼鏡を掛けるのは良い事でも、遊び半分で取り上げて迷惑を掛けるのは悪い事。そんな思考を自然と身に着けていた、在りし日のラザ少年は――
 ――つまり、良い子だったのである。
 だから、頭と心の片隅ではひっそりと視野に入れていた。
 もしかすると彼女だけじゃないのかもしれない、という極小な可能性を。

 それもさておき。

「むー……起きた時はちゃんと掛けてたはずなのに」
 未だ混乱と困惑に彩られ、存在しない心当たりを追い求める彼女に、
「……アーニー」
 ラザは苦笑いで名前を呼びつつも静かに歩み寄る。
 そして、すっ、と細い両肩に両腕を伸ばすと。
「ほら」
「わわっ……わ?」
 常とは逆に、耳からぶら下がっていた眼鏡を――定位置に戻した。
「次からは身の回りも……いや、顔の回りももっと探すようにな」
「……う、うん」
 対してアーニーは、今回は頭の上も探したのになぁ、と少し悔しそうである。そもそもの問題点が、激しくズレている気もするが。
 ともあれ、この分なら。
 眼鏡自身が巧妙に隠れでもしなければ、眼鏡を探し回らずに済む日も近い。
「……そういえば」
 などと安堵しつつも、彼女に負けず劣らずのズレた不安を抱いた――直後。
「あんな遠くから、どうして俺だって判ったんだ?」
 些細な疑問が一つ、ラザの脳裏に兆しもなく浮上した。
 そう――彼女は目が悪いからこそ眼鏡を掛けている。本来なら先にこちらが気づく距離でもなければ、相手を判別できないはずなのである。
「え? ……もう」
 しかし、アーニーは呆れたように告げる。
「それぐらい、わかるよ」
 眼鏡の微調整を小刻みに繰り返し。
 淡く頬を染めながらも、とびきり嬉しそうな上目遣いで。
「……だって」
 たどたどしく。ぎこちなく。

「だって…………ラザくんは私のお兄ちゃん、だもん」

 にも拘わらず、あっけらかんとそう呟いた後。
「じゃ、じゃあ……私、もう行くね」
 わたわたと忙しなく駆けていった。
 一方、取り残されたラザはというと。

「えっと……転ぶんじゃないぞ?」

 訳も分からず、いつものような言葉を返すだけで精一杯だった。



※A.M編の後書き
 というわけで。
『夏だ、一番! ラザえもん祭り!』という名前でもない、ラザなSS・A.M編です。
 本当は本編を書こうと思っていたのですが。
 ネタが思いついてしまった上に、半年ぶりの1stが不安だったもので……つい(汗)
 ともあれ、各パートに簡単な一言を。

「わんわんぱにっく」
 ヤヨイに少し"突拍子の無さ"が足りなかったかもしれません。。。
 ちなみに、タイトルの元ネタはもちろんアレです(笑)

「びゅーてぃふる・きゅーてぃくる」
 実は今後の展開に少し関係がある、リノのお話。
 タイトルは単純に語呂で決めました。

「眼鏡(ひかり)のゆくえ」
 実は突発。ベタを乗算しつつもアットホームな感じを目指した、アーニーのお話。
 タイトルの元ネタが分かる方、是非とも盟友と呼ばせて下さい。
 ……ところで眼鏡って光りますよね?(汗)

 以上です。読んで下さった方々、ありがとうございました!



P.M編へ

目次へ