「束の間の休息と新たなる闇・後編」


 外から見れば、恋人同士。
 内から見れば、親友同士。
 けれど本当は、親友以上――恋人未満。
 おそらくはそういった表現が相応しいであろうナギサとラザが、何処かぎこちなくも自然な笑顔を零しながら踊っている最中、少し離れた場所から、そんな二人を温かく見守る視線があった。
 トパーズ色の双眸。ラザと同じく、タキシードを初めて身に纏ったトラッドである。
 とはいえ、たった今気づいたわけではない。実際は数十分前、具体的には会話し始めた時からずっと、彼は二人の事を見ていたのだ。
 場に馴染めずに彷徨っていた彼は、ラザが推測した通りの心細い思いをしていたので、密かに仲間の姿を捜していたのである。
 ゆえに本音を言えば、ラザの姿を見つけた時は、駆け寄ってでも話しかけようと考えた。一刻も早く、安堵に身を委ねたかった。しかし、トラッドよりも近くにいたらしいナギサが先に話しかけ、気づいたラザも自分が欲した安堵を滲ませながら言葉を紡ぎ始め――そこまではまだ良かったのだが、次第に特有な、あの二人だけだからこその特別な雰囲気が出来上がっていたため、
(うん……邪魔になるよなぁ)
 それを察したトラッドには、とても話しかけられなくなってしまったのである。
 かといって、悪い事ではない。むしろ、喜ばしい事――ネクロゴンドへ向かう前の二人を知っていれば、尚更である。よって彼は、ようやく忘れられそうだった退屈を思い出してしまい、また時間を持て余し始めるのだった。
 だが、何もせずに過ごすわけにもいかない。というのも先刻よりしばしば、明らかに高貴な身分である女性に何度か踊りに誘われるからだ。彼もまた、ラザと同じく踊った事などない。それができれば、状況は幾分マシになったのかもしれないが、彼がそんなことをできるはずもない。そもそも、たとえ控え目でもラザのように、最初から"断ろう"という意志を滲ませられなかったのが、主な原因とも言える。
 ともあれ、今度はリノを捜そうと考えた――ものの。
 周囲には、人、人、人、と。
 とにかく人が多く、溢れ返っている。おまけに女性は誰彼も色鮮やかなドレスを纏っているので、徐々に目が眩んでゆく。いくら見知った顔であっても、この中からはとても見つけられそうにない。
「…………はぁ」
 つい溜め息を落としてしまったトラッドは、ダメだダメだ、と首を横に振った後、気分転換に外の空気を吸おう、とバルコニーへと足を向けた。
 角がなく、また過度に存在を主張しない、真円の月。雲を探す事が困難な、満天の星空。何処までも澄み切り、もしかすると世界中の空を見渡せるのではないか、と錯覚してしまいそうなぐらいに透き通った空気。少し肌寒くはあるが、やがては微睡みを覚えかねない退屈を紛らわせるには、絶好の環境――などと、真っ先に夜天を仰ぎ見たからだろうか。
 たった、一人。
 または、独り。
 トラッドが、ぽつり、と手摺りにもたれかかっている少女の存在に気づいたのは、
「……え?」
 聞き慣れ、耳馴染み、いつしか愛おしく想うようになっていた。
「リノ……」
 そんな彼女の、不意を突かれたがゆえの真っ白な疑問の音色を耳にした後だった。
 どうしてすぐに気がつけなかったのだろう。それが少し悔しい。
「トラッド……!」
 しかし、当のリノはといえば、彼とは対照的な愛らしい笑顔で名前を呼んでくる。やはりラザの推測通り、彼女も心細く思っていたようで、だからこそ宴から少し離れたバルコニーに避難していたのだろう――が、それも束の間。
 一旦は駆け寄ろうとしたはずの彼女だったが、
「え、あ――……わっ、わわ……ッ!」
 すぐさま何かに気づき、酷く取り乱すと、慌ただしく背中を向けてしまった。
 しばらくは呆然と自失していたトラッドは、その声で我に返り、俯いた彼女の表情を左側から覗き込む。
 ぷい。
 次に右側。
 ぷい。
 左。右。左。右。左、と見せかけて、右。
 ぷい。ぷい。ぷい。ぷい。ぷ、ぷい。
 左、ぷい。
 更に、右――と回り込んだ時。
「っ……リノ!」
 掠れた声を上げると共に両腕まで伸ばして、リノの回避行動を阻止した彼は、そこで初めて気がついた。
「あ……」
 彼女の顔が、朱よりも紅い"赤"に染め上げられている事に。
「その……ご、ごめん」
 反射的に謝罪したトラッドは、その細くて真っ白な少女の身体から手を離す。
 だが、リノは怒るでも、逃げるのでもなく。
 ただ、顔を伏せたまま。
「やっぱりおかしい、よね……トラッドはすごく似合ってるのに」
 ただ、ぽつり、と酷く哀しげな音色で、そう呟いた。
 ゆえに彼は、ようやく理解――いや、違う。
 とっくに解っていた。
 何故なら、たとえ束の間でも彼が現実を忘れていたのは――

 ――初めて目の当たりにしたリノの真っ白なドレス姿に心を奪われてしまったから、それだけなのだから。

 つまり、先ほど彼女が顔を逸らし、尚も視線を逸らし続けているのは、今の自分が恥ずかしいからなのである。
 雲よりも雪よりも真っ白い、純白のドレス。
 薔薇を模した刺繍が施されているが、肌の露出は全体的に控え目で、胸元も開いていなければスリットもなく、裾も足の殆どを覆い隠してしまうほど長い。加えて、彼女自身もあまり化粧をしておらず、宝飾品と呼べる物もトパーズが填め込まれたペンダントだけである。
 しかし、だからこそリノ自身の魅力を一片も損なう事なく、清楚に纏まっていた。
「おかしく、ない」
「え……」
 気づけばトラッドは、彼女の事を抱き寄せ――そして、そっ、と耳元でこう囁く。
「俺なんかより……すごく、似合ってる」
 リノに負けず劣らずの、真っ赤に染まった顔で。
「……嬉しい」
 だから、だろうか。
「トラッドにそう言ってもらえるのが……一番、嬉しい」
 それを受けて呟いた彼女の言葉は、まるで気持ちを告白しているようでもあり、その途端、これまで何処か強張っていた空気は、心地良い緊張を帯びた温かなものへと徐々に、だが確かに移り変わっていった。
 しかし、それはほんの数瞬。
 唐突に現在の"寄り添っている"という状況を意識した二人は、どちらからともなく弾かれたように身を遠ざけた。
『…………』
 そうして流れ、緩やかに夜気へと溶けるは刹那の沈黙。
 続けて、互いに息を飲み合った後。
「……そ、そういえば!」
 先に唇を割ったのは、トラッド。
「えっと、リノは……どうして外に? やっぱり、その……馴染めなかったから、か?」
 更に紡がれた言葉は、浮かんだばかりな上に雰囲気をぼやけさせるような内容だったが、素朴で正直な疑問でもあった。
「うん……それもあるけど」
 対してリノは、一度は小さく頷いたものの、程なくして翳らせた表情でこう続けた。
「本当は怖かった、から」
 その瞳は少し遠くて、幽かに儚くて、僅かに潤んで――過去の事を思い出しているのは、明らかだった。
 ルザミで知った、アリアハンが犯した赦されざる罪。だが、許しを請う様子もない。彼らにとって"そんな事実"は存在していないのだから。
「……でも」
 にも拘わらず、その罪に一番苦しんできたはずのリノは言う。
「今はみんな幸せそうだから……それが一番かな」
 照れたような、けれども美しい笑顔だった。
 だからこそ、トラッドもつられて笑う。そして、リノの笑顔も少しずつ屈託がなくなっていく。
 普段とは違う、いつもの時間――とその時。
「……しゅんっ」
 くしゃみがした。リノである。辺りが静まり返っているせいで音はよく響き、彼女は頬に朱を走らせながら顔を伏せた。
 だが、現在の彼女は旅装束ではなく、両肩が露わになったドレスを着ている。タキシードのトラッドですら少し肌寒く感じるのだから、リノがくしゃみをしてしまったのも無理からぬ事であった。
 心配になったトラッドは、すぐさま自分の上着を掛けようと試みたのだが。
「い、いいよ。そんなの、悪いし」
「俺のことは気にしなくていいから……風邪を引いてからだと遅いんだぞ?」
 彼女は首と両手を忙しなく振って断るどころか、
「でも、それでトラッドが風邪を引いたら……ほら、サマンオサの時みたいに」
 彼にとっては耳の痛い話まで持ち出してくる始末。こうなったが最後、頑固なところのあるリノは、間違いなく受け取らないだろう。
 そこでトラッドは、深々と眉と眉の間に根を張りつつ、しばらくは思案に暮れた後。
「だ、大丈夫だからっ」
 突然、彼女の制止を振り切って、左半身だけ上着を脱いだかと思えば、
「……リノ」
「わ――……えっ」
 そのまま左腕で彼女を抱き寄せ、二人一緒にくるまった。
「あの……ト、ラッド?」
「こ、こうすれば二人ともあったかいだろ?」
「それはそう、だけど」
「迷惑だったら、やめるけど」
 しかし、彼の不安と動揺が滲みつつも思い切った言葉に対し、リノは告げる。
「う、ううん……このままが、いい」
 もちろん恥ずかしそうではあるのだが、この上なく嬉しそうな表情で。
 すぐ傍から聞こえてくる、吐息。衣服を通して伝わってくる、体温。
 それは目に視えない"幸福"の、カタチある証明だった。
 明確な、誰彼の目にも明らかな幸せ――本当に夢のような、ひととき。
 だが、二人は同時に、また不意に気づく。

 いくら自分が相手を深く想っていようと、相手にとっては大切な仲間に過ぎず。
 バラモス討伐を果たした今、二人は共に旅をする仲間ではなかった。
 つまり、もう一緒にいる理由がない。
 リノはアリアハンに帰り、トラッドはサマンオサに帰る。
 自分がどれだけ望もうとも。  何か別の、特別な理由がない限り。

 彼とは。
 彼女とは。

 もう、一緒に、いられない。
 だから、自然と。

 "好き"

 という、たった二文字の言葉おもいを紡ぐために、唇は開いた――が。

『あ、あの……!』

 間の悪い事に。
 逆に言えば、互いが互いを強く想うがゆえに、二人の言葉は寸分違わず重なってしまう。
「ご、ごめん」
「ここ、こっちこそ、ごめん」
「えっと……その」
「あの、えと」
「私は後でもいい、から、うん……トラッドから先に――」
「い、いや、俺も後でいいから、リノから先に言って、いいぞ」
 そして、互いに順番を譲り合った後。
「それじゃあ……うん」
 頑固なようで、彼の言葉には時々弱いリノが、
「あの……あの、ね」
 ほんのりと頬を上気させながらも、潤んだ瞳で彼を見つめ、
「私……わ、わたし……ね」

 "トラッドのことが、好き"

 ずっと温めていた想いを伝えようとした、刹那。


 その音は、響いた。


 雷を装った、不穏な轟きと不吉な地鳴り。
「リノ!」
「……うん!」
 二人は一瞬だけ瞳を交錯させた後、すぐさま駆け出す。
 昏い、忘れかけていた絶望を想起させる音の発生源――城の中へと。
 そして、ほんの数秒で辿り着いた時、訪れた平和に酔いしれていた城内は。
 床という床は、宴を豪勢に彩っていた料理やワインがぶちまけられた後で。
 人という人は、恥も外聞もなく悲鳴を上げながら城外へと逃げ去った後で。
 兵という兵は、不快な嘔吐感を促す死臭を、一帯に撒き散らし始めた後で。
 取り残されていたのは、王と大臣。
 自らの意志でかろうじて留まる事ができたのは、ナギサとラザの二人だけだった。
「ナギサ! ラザ! 一体何が……!?」
 リノは駆け寄りながら、真っ先に現状を問い質す。しかし、いつもなら多少の間を置いてでも、すぐに何かしらの答えを返してくれるはずのナギサは、
「リノ、ちゃん……?」
 曖昧然と、冷静さを失った声で彼女の名前を呼んだ後、
「……わからない」
 らしくない呟きを、力なく落とした。
 それが精一杯である事は――ナギサの想像を凌駕する"何か"が起きた事は、明白だった。
 だが、回答をすぐに告げられる。
「え――きゃっ!?」
 再び下された漆黒の雷鳴と。耳を貫く轟音と。

『バラモスを――我が配下の一人を倒した勇者諸君、おめでとう』

 闇を闇で塗り尽くし、更に闇で塗り潰したような"闇"そのものとも言える声によって。

 剣がない状態で身構えたリノは、勇ましく問いかける。
「誰……!? それに――」
 配下の一人、って。
 しかし、声は喉に張り付くのが限界で、それ以上は言葉という明確な形にはならず。

『我が名は、ゾーマ』

 その代わりに、視えない"闇"が続ける。

『既にアレフガルドは闇へと成り果て、精霊神ルビスも我が手中に堕ちた。この世界もじきに闇に閉ざされるであろう』

『そなたらの希望はもう、ない。どこにも存在しない』

『そなたらの得た平穏とやらは、もはや幻想。ただのまやかしに過ぎぬ』

『それでも、わしを止めよう、などと愚かな考えを、叶わぬ夢を見るのであれば……ふむ……追ってくるがよい』


『ギアガの大穴より通ずる――アレフガルドへと』


「アレフ、ガルド……?」
 そこでようやく忘れていた言葉を、それを紡ぐ方法を思い出したリノは、問う。
 何故そんなことを教えるのか、と。

『理由か? 決まっておろう』

 それを察した、ゾーマと名乗る"闇"は答える。

『人間どもが縋るありもしない希望を打ち砕き、これ以上ない絶望として突きつける――それこそが我の糧になるのだからな』

 まるで全ての"光"を消失させてしまうような。
 そんな、圧倒的な"こえ"で。

 呆然と、なすがままに、成す術もなく。
 無力感に苛まされる事しかできないリノたちに、宣告した後。

 酷く冷たい嗤い声と共に、音も形もなく。
 ただ、自身の爪痕だけを残して――去って行くのであった。



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