「平穏な日々と、熱を帯びた変化」


 ※あらすじ
 一週間――七日後の夜にまたここで、とリノは言った。
 目的地も、立ち向かうべき敵もはっきりしているのだから、本来は必要ない。
 だからこそ、誰も彼も言葉の意味を理解していた。
 悔いのない選択を彼女が望んでいて、また彼女自身は既に心を決めているのだ、と。
 ゆえに他の三人も立ち止まるつもりはなかった――のだが。

 たとえどのような選択をしたとしても、するべき事は存在する。

 それを知る三人は、神妙な面持ちで頷くのであった。

 一日目。
 トラッド、ナギサ、ラザの三人はすぐに出発するつもりだったのだが、レイヴンとの約束を思い出したリノの言葉により、四人は夜を待ってから彼女の元へと向かった。
 大勢と騒ぎ、酒を飲んで過ごした時間は心地良いもので、だからこそ四人はゾーマに立ち向かう決意を、より一層強くした。

 二日目。
 ナギサはムオルへ、ラザはカザーブへと帰り、トラッドもサマンオサへ帰るものだと思っていたのだが――出発前。
 彼はリノに、父親の墓に行くだけで後のことは考えていない、と告げた。
 すると彼女は、トラッドを暗に引き止めながらも、しばらくは迷い、悩んでいたのだが、
「トラッドがよかったら、なんだけど……私の家に、来る?」
 程なくして、そう提案した。
 一緒に来て欲しい、とは願っている。だが、それを決めるのは彼であって、自分ではない。
 などと一緒にいられなく可能性を考えたリノは、その間に想いを伝えられれば、と思ったのだ。
 トラッドはしばし返答に窮したが、やがては頷き、リノは喜んだ。
 そして、それから彼はサマンオサへと向かったのである。

 父親の墓標で、彼は報告する。
 カンダタへの誤解が解けたこと、現実を受け入れたこと、これからも強く生きていくこと――そして、リノが好きなことを。
 トラッドは言葉で伝えられる限りの想いを、精一杯の言葉で告白した。
 とその時。
 偶然、サマンオサに帰っていたカンダタと出会う。
 話を聞かれて恥ずかしく思ったものの、これからを見据えたトラッドは彼にアレフガルドの事を言い、今までの事を謝罪した。
 しかし、この時。トラッドは微塵も気づいていなかったが。
 カンダタ――彼もまた"選択"していた。

 三日目、四日目、と。
 リノと彼女の家族に迎えられたトラッドは、底知れぬ不安から一旦遠ざかり、平穏な日々を過ごす。
 今から綴られる物語は、そんな二人のささやかな日常。
 その一幕である。



 ※本編
 三日目のこと。
 リノとトラッドが寝食を共にするようになってから、二日が過ぎた。
 最初の日こそ、こんなどこの馬の骨とも知れん男を泊めるなどとんでもない、と祖父はあらん限りの敵意をぶつけていたのだが。
 一体何があったのか。
 翌朝の祖父は、すっかりトラッドを気に入っていた。
 母メリルによると、二人は昨晩お酒を交えて語り明かす内に仲良くなったのだ、と言う。
 とはいえ、いくら喜ばしい事であっても、リノには全く理解できなかったのだが、
「男の人ってそういうものなのよ。サイモンさんやトラッドくんのお父さん……それにあの人とだって、おじいちゃんはそうだったんだから」
 謎の説得力を帯びた母の説明に、まぁいいか、と結局は事実を受け入れるのであった。
 そんなこんなで、昼食後。
 積極的に手伝いを申し出るトラッドが、食材の買い出しに出掛けた時の事である。
 カチャカチャと小気味よく食器を洗っていたリノは、隣で本日のおやつを作っていたメリルに、こう訊ねられた。
「リノはトラッドくんのこと、どう想ってるの?」
「……えっ!?」
 突然だったせいか、リノは明らかに動揺した声を上げる。それから少しの間、うんうん、と唸って考え込んでしまうものの、
「どうって言われても……」
「何とも思ってない?」
「そ、そんなこと! ……ない、けど」
「じゃあ、教えて。ねっ?」
 答えを急かすメリルに根負けし、渋々と話し始めた。
「えっと……トラッド、は」
「トラッドくんは?」
「物知りで、頼りになって、料理が上手で、手際もよくて、いつも助けてくれて……時々は無茶したり、鈍感だったりするけど…………すごく、優しいの」
 それを聞いたメリルは、穏やかに微笑みながら、うんうん、としきりに頷いた後。
「それじゃあ――」
 唐突に、何の前触れもなく、

「トラッドくんのお嫁さんになったらどう?」

 とんでもない言葉を口にした。
「……………………………………………………………………………………
 ……………………………………………………………………
 ………………………………………………………………………………え?」
 リノが理解に要した時間は、たっぷり三十二秒。
 そして、理解に追いついた時にはもう、彼女の顔は耳まで真っ赤で、
「か、かか、母さん!?」
 上下に分かたれた唇から飛び出す音色は、半ば叫びに近いものであった。
「なあに?」
 だが、大胆な発言をした当のメリルは至って平然としており、
「ど……どうして、そんなこと訊くの!?」
「そうね。ふと気になったから、かしら?」
「気になったから、って……そんなの、おかしいよ」
「どうしておかしいの?」
「だって……だって……!」
「お母さんは、トラッドくんがリノをお嫁さんにしてくれればいいのになぁ、って思ったんだけど?」
 リノがどれほど取り乱し、何度反論しようとしても、次から次へと質問を浴びせ、
「で、でも!」
「でも?」
「それはトラッドが決めることだから……ッ!」
 そして、リノのこの至極真っ当な意見を耳にした瞬間。
「ふぅん……じゃあ、リノはトラッドくんが"リノをお嫁さんにしたい"って言ったら、構わないのね?」
 確信を持って、核心に迫る言葉を口にした。
 しばしの、沈黙。
「……え?」
 然る後、間を置いてからの、間の抜けた疑問の声。
 そこでメリルは、不意に柔らかく微笑むと、
「ふふっ……トラッドくんのこと、大好きなのね」
 問いかけとは異なる口調で、優しく、嬉しそうに呟いた。
「……うん」
「じゃあ、頑張りなさい。お母さんはもちろん、おじいちゃんもきっと応援してくれるから」
「…………うんっ」
 それから母の心強い声援を受け、二度頷いたリノ――だったが。
 意識するあまり、トラッドが舌鼓を打っているおやつや夕食の味がまるで分からず、そのまま一日を終えるのであった。



 あくる、四日目。
 今日はリノの番ね、と呟いたメリルはメモとカゴを渡し、娘を外へ出掛けさせた。
 しかし、そうなると身の置き所に困るのは、トラッド。自分の家だと思ってくれていい、と言われてもくつろげないのが彼である。よって必然的に、トラッドは自分にできる仕事を探し求めたのだが。
「そうね……じゃあ、少しお話してもいいかしら?」
 実はそれを待っていたメリルは、既に準備していた紅茶を淹れ、彼を食卓に座らせるのであった。
「それでお話というのは……?」
 最初におずおずと口を開いたのは、トラッド。
 メリルとしては、もっと気軽に接して欲しいと思うし、実際にそう言ったのだが、変わる気配はない。とはいえ、それは性格の問題なので、メリルも決して強制するつもりはなかった。
「うん。実はずっと前から訊きたかったんだけど……」
 ともあれ、まずはそんな言葉で前置いた後。
「トラッドくんはリノのこと、どう想ってるの?」
 娘の時と全く同じ問いを投げた。
「……えっ!?」
 返答は巨大な疑問。それも明らかに動揺から出たものだ。別の言い方をすれば、昨日のリノと同一の反応であり、それが微笑ましい。
「どうって言われましても……」
 更に、次の言葉も予想通り。違いは言葉遣いぐらいである。
「何とも思ってない?」
「そ、そんなこと! ……ない、ですけど」
「じゃあ、教えて欲しいな。ねっ?」
 すっかり自分のペースである事を実感したメリルは、一口紅茶を飲んだ後、楽しそうに続きを促した。
「えっと……リノは」
「リノは?」
 ちなみに彼、最初は"リノさん"と言い辛そうにしていたのだが、さん付けじゃなくていい、とリノやメリル、祖父に言われたため、いつも通りに呼んでいる。
「真っ直ぐで、純粋で、向上心があって、料理もどんどん上手くなるから教え甲斐があって、いつも助けてくれて……時々、無茶しすぎることもあるんですけど……すごく優しい女の子、と思ってます」
 そんな彼が紡いだ感想は、娘を良く想ってくれているだけでなく、気遣いもあって、母であるメリルにとっては嬉しいものだった。
「トラッドくん……ありがとう」
 だからこそ、彼女の手は自然とトラッドの掌を、きゅっ、と包み込んでいて。
「い、いえ……思ったことを言っただけですから」
 それを振り払うわけにもいかない彼は、頬を上気させながら顔を伏せた。
 そうして、程なくして手を引っ込めたメリルは、
「それじゃあ、もしトラッドくんがよかったらなんだけど――」
 やはり突然に、何の兆しもなく、
「リノのこと、末永くお願いしてもいいかしら?」
 とんでもない言葉を口にした。
「………………………………………………………………………………
 ……………………………………………………
 …………………………………………え?」
 トラッドが理解に要した時間は、二十四秒。リノよりは少し短い。
「えっと……それは、どういう……?」
 しかし、肝心の内容は理解していない。娘の言った"鈍感"という事実は、決して間違いではないようだ。

「ええと、分かりやすく言うと……トラッドくんのお嫁さんにうちのリノはどう? ってところね」

 そこでメリルは、控え目な苦笑を織り混ぜながらも、今度は明確に告げた。
「……………………………………………………………
 ………………………
 ……………………………………え?」
 今度の空白は十七秒。合わせて、四十一秒。最初に言葉を選んだからこその結果ではあるものの、彼が鈍い事にやはり変わりはない。
「え、あ……メ、メリルさん!?」
 ともあれ、ようやく状況に追いついた彼は、酷く困惑した声で問い返す。
「なあに?」
 だが、それはここまでの流れで、既に予想済みで。
「その……どうして急にそんなことを!?」
「そうね。以前、ここに来てくれた時から気になってたから、かな」
「ですけど……いくらなんでも、やっぱり変ですよ」
「どうして?」
「それは……えと」
「私は、トラッドくんならリノのことを幸せにしてくれる、って思ったんだけどなぁ」
 動揺に動揺を重ねたトラッドが、何度反論しようとしても、メリルは次から次へと質問を投げかけ、
「で、ですけど!」
「なあに?」
「それはリノが決めることですから……ッ!」
 そして、彼のこの至極真っ当な意見を、しかと聞き届けた瞬間。
「つまり……トラッドくんはリノが"お嫁さんにして欲しい"って言ったら、構わないのね?」
 昨日と同じ確信を持って、核心に迫る言葉を紡いだ。
 しばしの、沈黙。
「……え?」
 然る後、間を置いてからの、間の抜けた疑問の声。
 本当によく似ている、と嬉しそうに笑ったメリルは、
「……トラッドくん」
「は、はい」
「あの娘、トラッドくんと出会ってから、本当に――……本当に、よく、笑うようになったの」
「……メリル、さん」
「だから、その時はリノのこと……あの娘のこと、どうかよろしくお願いします」
 深々と頭を下げ、彼に自分の娘を託した。
「……はい」
「私と、それにおじいちゃんもトラッドくんなら大歓迎だから」
「…………はいっ」
 それからトラッドは力強く頷き、改めて想いを伝える決意をしたのだが――夕食時。
 昨日とは打って変わって料理を楽しむリノの隣で、彼は味が分からずに苦しんだまま、一日を終えるのであった。



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