|
※あらすじ 話は少し遡って、二日目のこと。 レイヴンたちとの宴を楽しんだ後、ナギサとラザはそれぞれの故郷へと帰っていた。 いや、正確には帰ったわけではない。 ムオルに戻ったナギサは、祖父の墓標へ。 カザーブに戻ったラザは、両親の元へ。 訪れるかもしれない"永い別離"を告げに行ったのである。 それほどまでに強大だったのだ――あの"ゾーマ"と名乗った闇は。 二人はその懐かしく、思い出深い場所で二日の時を過ごした。 そして、四日目のこと。 ナギサは夜になってからカザーブへと向かった。 だが、けしてラザに逢いに行ったわけではない。 彼女は師匠に――伝説の武闘家と呼ばれる幽霊に会いに行ったのだ。 本当ならもう一人の師匠、ケイチにも一言、と考えていたのだが、彼は放浪の身。昼の間にサマンオサを訪れてはみたものの、その姿を見つける事はできなかった。 よって彼女は、早々に諦めてカザーブへと発ったのだが。 これより綴る物語は、偶然――否、必然的な再会を果たしたナギサとラザの物語。 二人の心が触れ合う瞬間と。 その結果、彼女の心に予期せぬ変化が訪れた際の一幕である。 ※本編 ロマリアとノアニールの中間にある村、カザーブ。その位置関係だけを知る者にとっては、この村に過ごしやすい印象を持つかもしれないが、実際はそうでもない。けして過ごしにくくはないものの、この二つの村と一つの国には、圧倒的な開きがあった。 冬、そして夜の寒さだ。 最北に近いノアニールは兎も角、ロマリアとカザーブでも防寒具が必要なぐらいの差があるのだ。 もっとも、世界中を踏破せんとする旅人たちにとっては、それも微々たるものなので、以前にリノたちが訪れた時も、徒歩で身体が温まっていたため、さほど苦にはならなかった。確かに、その程度。そして、それだけの話である。 ともあれ、そんなカザーブでは。 寝静まった村の風景を横目に歩く、二人の姿があった。 ナギサとラザである。 とはいえ、特に約束をしていたわけではない。再会は全くの偶然であった。ただ、ナギサの方はこの可能性を予想してもいた。此処はラザの故郷なのだから、もしかすると、ぐらいには考えていた。それは事実だ。だからこそ彼女は、夜にしか現れないという条件を利用し、師匠である"伝説の武闘家"の幽霊に挨拶をした後、ラザに会う前にダーマへ向かう予定だった。 一旦は別れた手前、何となく――本当に何となくだが、顔を合わせ辛かったのである。 そう。紛れもなく、そう思っていたはずだった。 (……どうして、だろ) にも拘わらず。 (ラザが隣に、いる) 改めて認識し直す必要もない厳然たる事実を、何度も。 ほんの数秒の間に何度も何度も、幾度となく、その揺るぎない事実を無為に確認し続けるナギサの心は、 (それだけ……ただそれだけのこと、なのに) どきどき、と自分でも信じられないぐらい緊張していた。 これからの事に対し、自身が想像している以上の不安を覚えていたからだろうか。 もしくは、そんな不安が一人でいる間に心を蝕んでいたからだろうか。 毎日のように一緒だった彼の顔を、二日振りに見たからだろうか。 それとも――とナギサの脳裏を四つ目の可能性が掠めた刹那。彼女は激しく首を横に振るだけでなく、 「そ、そんなわけないじゃないっ!」 夜というのも忘れ、はっきりと、凜と通る声で否定していた。 「…………ナギサ?」 「なによ!?」 だが、傍から見れば、ただの叫び。不審以外の何者でもない。 更には驚きを持ち前の平常心で押し殺し、心配そうに訊ねた当の本人にまで、がうっ、と噛みつく始末。 「とにかく、なんでもないの!」 「そうか」 したがって、一連の流れを見ていたラザには訝しく首を傾げるのが精一杯で、何も意味が分からず――そもそも、何一つさえも解るはずがなかった。 人と人が意志の疎通を図る必要最低限の手段。 すなわち、明確な言葉というものが一切ないのだから。 「……にしても、本当にいるとはな」 「ふぇ? なにが?」 「あの幽霊だ」 そこでラザは、空白もそこそこに雰囲気の変換を試みた。話題としては、二人が再会するキッカケとなった幽霊――彼女の師匠であり、彼の先祖に当たる"伝説の武闘家"の事だ。 「ああ、師匠のこと……なによ、信じてなかったの?」 とはいえ。 「……まぁな」 本音を言うと、決して信じていなかったわけではなく、むしろナギサなら有り得る、と固く、また頑なに信じていた。ただでさえ不思議が満ちたこの世界、加えてナギサである。彼女と世界がある一定の条件で邂逅を果たせば、何かが起こる。奇跡的な軌跡を経て、輝石を連想させる美しさで編み出された規則正しき計算式は、一種の幻想的反応を巻き起こし、ある意味では何もかもが起こり、不可視で不可解な"何か"を何か起こさざるを得ない状態へと容易く到達させる。 それは既に一つの真理。 世界の隣に潜む、真相――いわば、真実。 そして、真実が真に真実たるならば、いずれ顕現するのが世の常。 つまりは、必然。 例え偶然のようであっても、必然に他ならないのである。 などと、深く考えていたわけでもないのだが。 「相手は幽霊だからな。実際に見るまでは手放しで信じる方が難しい……それに」 「それに?」 いかについ先刻の出来事であれ、彼がわざわざこの事に触れたのは、 「一体どうやって教わっていたんだ?」 やはりつい先刻、単純に疑問を覚えたからであった。 鍛錬とは、空虚に向かってひたすらに突きや蹴りなどを繰り出し続けるだけではない。確かに動作自体は繰り返す事によって無駄が省かれ、流麗に洗練の一途を辿るものではあるが、あくまで洗練されるだけ。ただそれだけの、それだけに過ぎない事。その洗練された一挙手一頭足がどのような結果をもたらすかは、また別の話ではあるものの、単に威力を知るだけなら、岩や木などの形ある物質を相手に放てばいい。 しかし、一撃がどれほど洗練されようと、放つべき瞬間までは見極められない。自分と対峙する相手を知り、同時に同調させる必要が生じる。当然、それは一長一短で身に付くものではなく、数多の経験を経て初めて習得に至る技術であり、無数の生物や個性、それぞれの"個"を形成する環境や状況、或いは条件が存在する以上、終着はない。敢えて終着を定めるのであれば、終着だと思った瞬間が終着になるのだろうが、それはもはや停止に等しい停滞、もしくはただの諦念である。 ゆえに実戦を模した訓練があり、実践が何よりの訓練とも言われる所以――なのだが。 幽霊を師匠とするナギサには、その要素が欠けているように思えたのだ。 一歩村を出て、またキメラの翼を使って魔物相手に実戦経験を積む事はできるのかもしれないが、いきなり師匠の助力もなしに飛び込んで何かしらをある程度見極める事は難しいように感じたのだが、 「んー……特別なことは何もしてない、と思うけど」 彼女は事も無げに言う。 「結局は全部繋がってるのかもしれないわね」 「繋がっている?」 澄んだ碧眼で、吸い込まれそうな夜空を見つめながら。 「幽霊が師匠だから相手にしても手応えはないし、もしそういった魔物がいたとしても活用する機会は狭い範囲に限られているわ。でも、魔物だって生きてるし、幽霊だって昔は生きていたし、今私たちがいる世界だって生きている。実体のない魔物だって、例え意思がなくても目的はあるんだから、それはある意味生きていることと同じだと思うの。だから、後は自分次第――経験を積んで、きちんと活かせば、結構どうにかなるものだと思うけど?」 真っ直ぐに、そう言い放った。 当たり前と言えば、当たり前かもしれない。 だが、物事は単純であればあるほど実行が難しく、それを明確に意識していたからこそ今の彼女がある。 ラザは彼女の強さを垣間見たような気がした。 「なるほど……勉強になった」 同時に"才能"を言い訳にした昔の自分を改めて恥じる。 一方、そんな彼の胸中を知る由もないナギサは、 「どういたしまして。何か参考になったのなら…………」 大した事は言ってない、という意の言葉を、いつもより柔らかい音色と表情で告げようとした――刹那。 「ふぃ……くちゅんっ」 妙にしおらしくて、異様に可愛らしいくしゃみが辺りにこだました。 『…………』 数瞬の沈黙。 「……えっと」 まず最初に、その場しのぎな声を発したのはナギサ。今の今まで真面目な話をしていただけに、微塵も雰囲気にそぐわないくしゃみは、彼女の面持ちを問答無用で気まずくさせる。 とはいえ、カザーブの夜はそれなりに冷えるのだから、仕方がないと言えば仕方がない。これはもう、立派な不可抗力である。そしてラザも、一瞬は不意打ちに驚いたものの、とっくに理解している。 ゆえに二人の間を行き交う、ある意味もどかしいとも表現できる空気はすぐに和らぎ、 「ナギサ、寒いのか?」 「ちょっと、ね……あははー」 会話は事も無げに再開される――はず、だったのだが。 「俺の上着を使うか? それとも、もう宿に帰るか?」 ラザとの付き合いが長い彼女なら、容易に想像できそうな気遣いの言葉に対し、 「……えっ」 どくん、と。 これまでは少し鼓動が速かっただけの心臓が一際大きく跳ねた、かと思えば。 「う、ううん! 寒いのは寒いけど大丈夫だから!」 一旦は酷く慌てた声で、彼の申し出を断ったナギサは。 「そうか。もし必要になったら遠慮は要らないからな」 本当に、何故。 一体、どうしてだろう。 くるりと背中を向け、両腕を組んだ彼女は、 「で、でも、ラザもまだまだねっ」 「は?」 呆然と疑問符を浮かべたラザを気にも留めず、こう呟いた。 「私みたいな美人が"寒い"って言ってるんだから、抱き寄せて温めるぐらいすればいいのに」 冗談のつもり、だった。 精一杯の虚勢を含み、少なからず基づいてもいる――そんな、軽い冗談。 だが、それは自分でも信じられないような冗談で。 「……ふむ」 更には、しばし思案に暮れたラザが、 「こういう風にか?」 その"冗談"だったはずの言葉を、本当に実行へと移したため。 「え――……きゃっ」 瞬時に沸点へ達したナギサの思考回路は――爆ぜた。 「な、なな、なに、を……!?」 だが、一瞬。 「……たまには冗談に乗ろうと思っただけなんだが」 彼女の身体を柔らかく抱き寄せ、優しく肩を抱いていた手は、言葉よりも早く遠ざかる。 離れる。 ささやかな温もりが、中空を漂うだけの掌へと意味を変換させる。 もう、いつでも別離できる。 だから後は、ナギサが離れるだけ。 足を後ろに動かし、かつん、とヒールを鳴らしてもいいし、とん、と彼の身体を押してもいい。 そうすれば、ほら――もう元通り。 ただそれだけの、それだけでしかない話だというのに。 身体が、動かない。 「どうした、ナギサ?」 不思議に思ったらしいラザの問いかけ。 沈黙。 コンマ数秒の静寂、を乗り越えて。 ナギサは呟き始める。 「あ、えと……その」 本当とウソが混ざり合い、絶えず割合が変化している言葉を。 「予想以上に、あったかかった、から」 (予想以上に、居心地が良かったから) 「……えっと」 (……だから) 「ちょっと、離れづらくなって」 (どうしても離れたく、なくて) 「なんでこんなに……あったかいのよ」 (なんでこんなに、あったかいんだろ) そうして、二つの言葉を隣り合わせで呟き続ける内に。 (……あ、あれ) 彼女は、不意に気づく。 (私、もしかすると) 心の最奥。 無意識の最果てで、手が差し伸べられる刻を待ち焦がれていた想いに。 (本当に"そういう意味"で――) ――ラザの、ことが。 そう気づき、両手を彼の背中に回しかけた――刹那。 (っあ……!?) 再び――爆ぜる。 思考が、回路が。 脳裏を駆け巡る、電気信号の波が。 氾濫し。反乱し。 溶ける。熔ける。融ける。 分離。分解。しかるのち、攪拌。ただし、歪曲。 崩壊。構築は――不可。 できない。何もできない。 ただ。ただ、ひたすらに。 無限に繰り返される崩落を、眼前に。 過去は、過去。 ゆえに現在、未来とは関係ない。 そうやって切り離したはずの記憶が――否。 実体が掴めない以上、既に記憶とは呼べない記録が。 痛みへと変質し、警鐘を掻き鳴らす。 思い出してはいけない。 思い出してはならない。 思い出す必要は、ない。 彼女の意志や気持ちを無視して、脳髄に訴えかけてくる。 それはまるであの時の、際限のない再現。 痛い。苦しい。もう、考えたくない。 「っ……!!」 ゆえにナギサは、弾かれたように遠ざかり、苦悶に満ちた表情を見られぬよう背中を向けた。 「……ナギサ?」 当然、ラザは声を掛ける。 追撃とも追求とも違う、身を案じるだけの意味しかない優しい声で。 それは温かい。 いつの間にか好きになっていた、音色。 だが、寒さ以外の理由で、しばし身体を震わせたナギサは、 「やっぱり、もう宿に戻るわ」 見えない敵と戦うように。 正体不明の攻撃に堪えるように、冷静を装った口調でそう呟いた。 「え?」 そして、至極真っ当に滲んだ疑問符に対し、 「明日の朝にはアーニーのところに行きたいし……ラザだって行くでしょ?」 「それは、まぁ」 「だったら、そろそろ眠った方が、ね?」 「……そうだな」 けして嘘ではないものの、今すぐに告げる必要はない理由を口にした。 「だから……おやすみ」 「ああ、また明日な」 そして、ラザの言葉を聞いた後、彼女は普段よりも足早に歩き出す。 それは何処か逃げるようだった。 だが、ラザは自身の行き過ぎた行為を反省するだけで、まだ何も気づいていなかった。 次の話 |