|
※あらすじ 満身創痍だった。身体ではなく、心が傷だらけだった。 ルビスが語った神々の罪。 それを聞いたリノは、人の命を弄んだ事に激しい怒りを覚えていた。 だが、叫びはなかった。言葉を紡ぐ事すらできなかった。 悲しみが、無力感が、絶望が。 容赦なく彼女の心を打ち砕いたからだ。 しかし、リノは立ち上がる事ができた。 トラッドが、ナギサが、ラザが、話を聞いたヤヨイが、代わりに怒ってくれたから。 だから、彼女は立ち上がる事ができた。 大好きな人たちのおかげで、立ち向かうだけの勇気と理由を、小さな身体に取り戻す事ができた。 だが、リノは再び思い知らされる。 抗えない絶望の深さを。 同時に、初めて知る事にもなる。 ――――――――――――――――――を。 ※本編 マイラに戻った翌日。世界が闇に包まれているせいで実感はないが、時計と感覚が狂っていなければ、一般的に朝と呼ばれる時間帯。リノたちはヤヨイの元へと向かった。 何をするにしても、まず彼女の元に顔を出す事に代わりはないのだが、今日は特別な理由があった。 "王者の剣"を受け取る、という大切な理由が。 四人がそれを知ったのは、昨日。精霊神ルビスが封印されていた塔から帰還した際、村の入口で待ち焦がれていたヤヨイに、明るく弾んだ声で告げられたのである。 それを聞いた時、リノは確かに活力を取り戻した。 しかし、一瞬。 彼女の身体は、彼女が想像する以上に疲れていた上に、 『"勇者の盾"や"光の鎧"と同じように"王者の剣"も消えてしまうのではないか』 という不安が脳裏を掠めていたのだ。 リノにとってその事実は、自分を"ロトのまがいもの"と思わせるには十分過ぎる出来事で、もし本当にそうなってしまえば、それは現実と変わり果ててしまう。 怖かった。 立ち上がる気力や旅をする理由が奪われしまいそうで、恐かった。 したがって、彼女の表情は必然的に翳りを帯びる。 にも拘わらず、ヤヨイはこう言った。 「あ、でも、お疲れですよね。じゃあ、また明日にしましょう。王者の剣は逃げませんから」 笑顔を一片も曇らせる事なく、冗談混じりで呟くと共に、リノの手を引いて宿へと連れて行ってくれた。 申し訳なさは、当然あった。 だが、それ以上に嬉しくて――だからこそ、思った。 世界という漠然としたものではなく、この世界に生きる大切な人たちを守りたい、と。 より一層強く誓う事ができたからこそ、リノは立ち直る事ができたのだった。 やがて店に辿り着くと、真っ先にヤヨイが、続けて彼女の両親が、三者三様の明るい笑顔でリノたちを歓迎した。ヤヨイとはしばらく離れていたため、念願の再会を果たした後にどのような会話があったのかは分からないが、それでも幸せである事は明らかで、四人の表情も自然と笑顔になった。 温かくて、優しい雰囲気。 「リノさん、早速ですがこちらを」 そんな中、刀鍛冶であるヤヨイの父親が、すっ、と剣を差し出す。 海とも空とも違う光沢を放つ、澄んだ蒼色の鞘に収まった一本の剣。鍔の部分は不死鳥を模した形状で、それはリノの持つ"聖なる守り"と全く同じであった。 偶然、だろうか――いや、間違いなく必然。根拠はないが、確信はあった。 世界に一つしかない金属"オリハルコン"から生み出された、世界に一つしかない一振りの刃。何よりも見るだけで、言葉にできない神々しさが伝わってくるのだから、それは当たり前のように思えた。 つまり、この剣こそが――"王者の剣"。 リノは顔を強張らせるものの、ほんの数秒。すぐさま足を踏み出した彼女は、きゅ、と瞳を閉じてから、おそるおそる手を伸ばす。 そして、消えないように、と切に願いながら触れた――刹那。 世界に二つとない不思議な手応えが、手袋をしていない掌を通して、じん、と伝わってくる。身体の芯まで届いたかと思えば、奥底で音もなく鳴り響き、神秘的な残響が繰り返される。 そんな心地良い感触に浸される中、リノがゆっくりと瞼を持ち上げると、"王者の剣"は此処に在った。 消えていない。消える気配も、今はない。 彼女は安堵した。つられて、事情を知っているトラッドたちも、密かに胸を撫で下ろした。 「リノさん、外で試し斬りしてみますか?」 「……うん」 それからリノは、ヤヨイに促されるまま外へ出た。 歩を進めた先は、村のはずれ。方角的には西で、ちょうど内と外を隔てる高い塀の内側である。 「これを使って下さい」 そこでヤヨイが用意したのは、直径十センチぐらいの木の棒だった。 何でもこの棒とこの場所は、武器を買った、もしくは彼女の父親に剣を修理してもらった戦士がその感触を確かめるためにあるらしい。"王者の剣"の完成を心待ちにするあまり、いてもたってもいられなくなったヤヨイは、予め母親に話を聞いていたのである。 その心遣いに感謝しつつ、リノは大地に突き刺さった木の棒と向かい合い、剣を抜き始めた。 見た事もない輝きを携えた、力強き刀身。 この時、リノは先ほどまで胸中でわだかまっていた不安を忘れていた――のだが。 剣を抜き、両手で構えた瞬間。 「――――っ!?」 ずしり、と。 外見に相応しくない重量に、彼女は転びそうになった。 「リノ?」 トラッドが疑問の声を上げ、ナギサとラザ、ヤヨイは言われなければ分からないぐらいに小さく、無意識に眉をひそめる。 しかし、当のリノは返事をせず、改めて柄を固く握り締めた。 まるで拒絶するような、重く忌々しい手応え。 彼女は忘れかけていた不安を思い出す。だが、持ち上げられないほどではない。 「……だいじょうぶ」 自身に言い聞かせるようなか細い声で呟いたリノは、 「っ……!」 歯を食いしばって、構えを取った後。 一歩、二歩、と木の棒との距離を詰め、三歩目を右足で踏み込み、身体を逆時計回りに転身させながら、渾身の力で"王者の剣"を右上から振り下ろした―― ――だが。 「……え?」 十分な勢いと角度で閃いたはずの"王者の剣"は、 ほんの一ミリも、木の棒を斬り裂いていなかった。 「ぁ……」 リノの唇から呆然とした音が、掌から"王者の剣"が零れ落ちる。 堪え難い重量と失意によって、音もなく地に落下し、その反動で束の間波打った――直後。 「あ…………あああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああ……!」 悲痛に掠れた声で叫んだリノは、逃げるように森の奥へと走り出し、 「リノ!?」 真っ先に彼女の豹変――否、絶望に気づいたトラッドが後を追った。 そして、取り残された三人は、しばし"王者の剣"を訝しげに見つめていたが、 「……リノさんを追わないと……!」 焦燥に満ちた声と共にヤヨイが駆け出そうとした時、ナギサとラザもようやく我に返る――しかし。 「待って、ヤヨイちゃん!」 「え? わ、わわっ」 ナギサは彼女の腕を掴んで、行動を阻止するや否や、 「でも――」 「トラッドに任せましょう」 咄嗟に反論しようとした彼女に対して、冷静に告げた後、 「…………それが一番、リノちゃんのためになると思うから」 ラザを横目に少し悔しそうな面持ちで、そう呟くのであった。 マイラの北にも広がる、鬱蒼とした森の中。 「リノ……リノ!」 トラッドは塀を左に、何度も彼女の名前を叫びながら、走る。 気を抜けばすぐに遠ざかり、小さくなってしまう、ただでさえ小さな彼女の背中を必死で追いかけていた。 だが、終わりは程なくして訪れる。 進んだ先が行き止まりだった上に、何も考えずに走っていたせいで、リノの体力と気力が早々に尽きたのである。 トラッドは、乱れた呼吸を整えつつ速度を落とし、 「……リノ」 五歩ほど離れた辺りまで近づくと同時に、彼女の名前を呼んだ。 「…………こないで」 しかし、返ってきたのは、か細くて儚いながらも、はっきりとした―― 「おねがい、だから……こないで」 ――拒絶。 強く、鮮明な拒否の言葉。 じくり、と心が痛む。 そうして気づいた時にはもう、トラッドの足は彼女の傍まで歩み寄っていて、両掌は小さな身体に触れていた。 「やっ……!」 リノは暴れて、その手を振り払う。 逃げ場がない行き止まりの中で、存在しない逃げ場所を渇望し、 「リノ!」 「……こない……で……!」 彼の手を、優しさを、大好きな温もりを、ただひたすらに遠ざけようとした。 「私は……"できそこない"だから」 そして、吐露する。 「盾も鎧も消えて、残った剣も扱えない……そんな"できそこない"だから……!」 旅を始めてから――いや。 「そんなこと――」 「だって……だって、私は勇者でもロトでもなければ――……人間ですら、ないん、だから」 旅に出る前から、ずっと抱えていた"絶望"を震えた声で吐き出した。 刹那、流れる。 彼女の澄んだ 零れ落ちて。 そんな少女を見た瞬間。 「リノ……!」 言葉を選ぶための思考と感情を失い、頭の中が真っ白になったトラッドは、尚も必死に抵抗し続けるリノを強引に振り向かせた後。 「――――っ!?」 自ら唇を重ねていた。 (……トラッドの顔が、近い) 呆然と目を見開き、 (あの時みたいに……すごく、近くて……熱くて) 脳裏で状況を確認するリノだったが、 (トラッドが、好――――……えっ) 理解が追いつくと同時に我へ返ると、すぐに引き離そうとする。 しかし、トラッドの身体は動かない。 強い力に成す術もなく、微塵も動かす事ができな――違う。 そもそも力が入らないのだ。 絡められた掌。密着した身体。そして、唇を通して伝わってくる温もりが――熱いぐらいの想いが、ずっと秘めていた彼女自身の想いと溶け合って、混ざり合って、離れようとする決心を鈍らせていた。 触れ合う、唇。 大好きな彼の、確かな感触。 何も、考えられない。 考えようとすればするほど、何もかもが漂白の一途を辿る。 考えようとする事自体を、忘れる。 いつしか彼女は、抵抗を放棄していた。 いつしか彼女は、目を閉じていた。 いつしか彼女は、身を――心を委ねていた。 そうして長いようで短く、当人たちには長いか短いかも分からない時間が過ぎ去った頃。 トラッドは身体を遠ざけた。 『はぁ……っ』 伴って零れた酷く熱い二つの吐息が、一瞬だけ絡まった後、中空に溶けて消える。 しかし、身体は未だに熱を帯びたままで。 顔は耳まで真っ赤で。 それは何処か切ないのに、何故か心地良くて。 ずっとこのままでいたい、とさえ思ったのだが、 「どうして……こんな、こと」 彼だけでなく、全てを直視できなかったリノは、図らずも今の行為を曖昧にするかのような疑問を紡いでしまう。 しかし、トラッドは。 「……き、だから」 「えっ?」 既に行動を起こした彼は、真っ直ぐにリノを見据え、 「リノのことが……好き、だから」 「えっ……」 「勇者とかロトとか、そんなの関係ない――リノが"リノ"だから、好きなんだ」 わずかに頬を上気させつつも、確かな言葉で想いを伝えると、もう一度彼女を抱き締めた。 (トラッドが、私を……好き……?) リノの頭は、再び真っ白になる。 (私を……こんな、私のこと、を……好き) また、何も、考えられなく、なる。 それでも答えようとした。 自分もトラッドが好き、と応えようとした。 「……ごめん」 だが、それよりも早く。 「好きだからって、リノの気持ちも考えずにあんなことして…………本当に、ごめん」 彼女の身体を優しく遠ざけたトラッドが、仄暗い表情を伏せて謝罪する。 そこで彼女は、初めて知った。 自分の身勝手な行動が、どれほど傷つけ、どれほど追い詰めて。 その結果、他でもない自分がより深く彼を傷つけてしまった、と。 彼女は、今更ながらそれを理解し――だからこそ。 返事ができなかった。 そして、この時。 どくん。 「……あれ?」 「どうしたの、ヤヨイちゃん?」 「えっと、何か気配を感じたような気がしたんですけど……気のせい、みたいです」 鞘に収まり、今はヤヨイに抱えられている"王者の剣"が。 たった一度だけ、まるで人間のように脈動した事は、まだ誰も気づいていなかった。 次の話 |