|
『……え?』 『うん。だから先に行ってて』 『だが――』 『大丈夫よ、ちゃんと帰ってくるから――ラザの隣に、ねっ』 『は?』 『あ、もしかして胸の中の方がよかった?』 『なっ!?』 『ふふふー照れてる照れてるー』 『……そういうナギサこそ、顔が赤いぞ』 『え? まぁ……うん。でも、しばらくは会えなくなるわけだし……』 『ナギサ……』 『だから、ね……ぎゅ、ってして欲しいな』 ……………………………………………… 『……ありがと』 『もう行くのか?』 『ええ。どれだけ時間が掛かるか分からないしね』 『いつから考えてた?』 『五日ぐらい前、かな。キッカケは七日前だけど』 『……なら、止めるわけにはいかないな』 『ふふ、ありがと。じゃあ……えっと……いって、きます?』 『ああ。いってらっしゃい』 「どう思う?」 自身と、そしてラザと向かい合い、互いに気持ちを告げた翌日。ナギサは一人、ダーマ神殿のアーニーの元を訪れていた。 いくらアレフガルドと繋がっているとはいえ、まだ戻れるのかどうか不安ではあったが、キメラの翼はまだ有効であるようだった。かといって、引き返す、という選択肢は持ち合わせていなかったが。 ともあれ、久々に目の当たりにする太陽の光に碧眼を細めつつも、彼女はアーニーに"あるもの"を手渡す。 そう、老人から譲り受けた例の不思議な本である。 それが何であるかは半ば確信していたものの、やはりそれを識る者の確認が必要だと考えたのだ。 「……うん。多分、そうだと思う」 対してアーニーも、彼女が予想した通りの回答を示す。 ただし、表情は明るくない。というより、疑問を覚えているようだった――何故なら。 「でも……少し違う気もする」 賢者である彼女でさえ、読む事ができなかったのだから。 悟りの書。 授かった二日後に、ナギサが辿り着いた結論だった。 では何故、アレフガルドに"悟りの書"があったのか――その理由についても、いくつか推測はある。 例えば、迷い込んだ誰かが持ち込み、それを老人の息子夫婦に授けた。一見有り得ないようにも思えるが、世界が繋がる前にリノの父親、オルテガ辿り着いていた、という事実もある。可能性は高いと言えないが、決してゼロではない。 もしくは、もっと単純に、元々アレフガルドにもあった、と考える事もできる。 しかし、ナギサに読めて、アーニーに読めない理由が分からない。 否、全く分からないわけではない。 この"悟りの書"が、彼女らの知る"悟りの書"と似て非なるモノ、という推測もなくはなかった。 だが、どれほど思考したところで、それは単なる推測。 そもそも答えを知る術はなく、いずれにしても些末事であった。 アーニーに読めなくても、ナギサには読む事ができる。 すなわち、約束を果たす事ができるかもしれない、という可能性の前では、ただそれだけの、それだけに過ぎない事なのだ。 したがって、問題は別にある。 「それでアーニー……私の、身体のこと、なんだけど」 賢者になれたとしても、呪文を扱えるかどうか――という最大の難題が。 「……うん」 アーニーは眼鏡の奥の双眸を細め、じっ、とナギサを見据える。 「以前よりも回復してる……けど」 しかし、面持ちには翳りがある。 「……まだ難しいと、思う」 分かり切っていた事だった。 自分の身体の事は、自分が一番よく解っている。 それでも敢えてアーニーを訪ね、問いかけたのは、何かしら咲くが見つかるかもしれない、と そして、それは叶わなかった。 この結末もやはり、それだけの、それだけでしかない事実であり、現実。 非情や無慈悲とは程遠い、当然の対価であり――代償。 ゆえに悔いはなかった。 ただ、自分でも驚くほど潔く諦める事ができた。もしかすると、赤い髪の彼が"真実"に立ち向かう勇気をくれたからかもしれない。 などと想った途端、ぼっ、と頬が上気した。 「ありがと。忙しいのに相談に乗ってくれて」 ともあれナギサは、ぱたぱたと顔を扇ぎつつも礼を言って立ち上がり、そのまま部屋を後にしようとした――その時。 「あ、ナギサちゃん!」 続いて、加えて慌てて立ち上がったアーニーは、彼女のコートの裾を掴―― 「にゃわ!?」 ――もうとして、こけた。 何もないところにも拘わらず、盛大に。おまけに、放たれた奇声は明確に言語化する事が規制されているように、全く以て既成的ではない。それでも眼鏡は、レンズを含めて傷一つついておらず、相変わらずの絶対的な硬度を誇示するかの如く、誇らしげに輝いている始末。 本当に何でできているのだろうか、とナギサは今更ながら思った。 兎にも角にも、くるり、と軽やかに振り返った彼女は、苦笑混じりでアーニーを助け起こす。状況は違えど、過去に何度もあった事なので、すっかり手慣れたものなのだが、変わってしまう事が多い中、変わらないものもあるという事実に落ち着きを覚えもした。 しかし、今までなら真っ先に謝罪と感謝の気持ちを述べるであろう彼女は、 「一つだけ、方法があるかも」 よっぽど伝えたかったのか、まずそんな言葉を告げた。 えっ、という声こそ出なかったが、ナギサは丸く見開いた双眸と口の形で疑問を露わにする。 そして、一方のアーニーは、部屋の片隅まで歩を進めると一本の杖を手に取り、常の天然っぷりを微塵も感じさせない凛々しい表情でそれを構えた。 「……杖?」 再度浮遊する疑問符。 「うんっ。ナギサちゃんだって持ってるよね?」 「まぁ……持ってる、けど」 言葉の意味も、杖を使えばいい、という意図も分かる。確かに杖――魔道士の杖といかづちの杖――も二本持っている。 だが、それを敢えて口にした理由が解らない。 何故なら、杖には"封じ込めた構成を瞬時に展開する"役割しかないからだ。しかも、その数は一つ。ないよりはあった方がいいとしても、それで十分とは到底言い難い。また、一応は鈍器として扱う事もできなくはなく、その方面に特化した"理力の杖"なる武器も存在するが、この状況でアーニーがその事を示唆するとも思えない。 などと、ナギサが首を傾げた姿勢で固まっていると、 「杖にはね、もう一つ役割があるの」 彼女は胸裏に浮かぶ疑問を見通した口調で、自信満々に呟いた。 「もう一つの……役割?」 「うん――使用者の負担を軽減する、っていう力がね」 更に、ナギサちゃんには必要なかったから知らないかも知れないけど、と付け加えて、彼女は続ける。 「例えば……ナギサちゃんの得意なイオナズン。ナギサちゃんは魔力が強いから他の呪文と同じように使えちゃうんだけど、本当は凄く身体に負担が掛かるんだよ? 少なくとも私だったら、疲れて座り込んじゃうんじゃないかな」 そこでナギサは少し考え、 「要するに……負担に堪えられない今の私でも呪文が使えるようになる、ってこと?」 すらすらと澱みなく答える。その間、約二秒。培った努力と積んだ経験が成せる理解力である。 「うん。もちろん、どの杖でも、ってわけじゃないけどね。元々、魔道士の杖は呪文を勉強し始めた人に、一番簡単な"メラ"の構成や展開、発動を実感してもらうための物だし……あと、いかづちの杖も、見る限りそういった目的で作られてないみたいだから」 「へぇ……」 つまり、ナギサの魔力を補えるだけの杖さえあれば、可能性は十二分にあるという事らしい。 問題はそれだけの杖が何処にあるかなのだが、何処にも存在しないわけではない。見つけるのは多少骨が折れるだろうが、紛れもなく希望はある――と思った直後。 「……ただ、杖を使いこなすには、使用者に馴染むだけの時間が必要なんだけど――」 というアーニーの説明に、ナギサは焦燥を募らせかけたのだが、 「――うん、それも大丈夫だねっ」 先刻の言葉とは裏腹に、彼女は曇りのない魅力的な笑顔を見せた。 しばし、呆然。 当然の、自失――が、無理もない。 「ちょ、ちょっとアーニー」 「なあに?」 「私……そんな杖持ってないわよ?」 何故なら、ナギサには全く身に覚えがないのだから。 にも拘わらず、アーニーは――ナギサの事をよく知る大親友の少女は、告げる。 「ううん。ナギサちゃんはちゃんと持ってるよ。それも肌身離さず、ね」 それでも思い当たる節がない。だが、引っ掛かる部分はあった。 (肌身、離さず……?) よって必然的に至り、気づく。 「…………まさか」 起きている時はもちろん、眠る時でも手放した記憶が殆どない――そんな" 「いつか必要になるかも、と思って念のために渡したんだけど……よかった」 「アーニー……!」 「わ、わわっ」 ナギサは思わず、彼女に抱き着いてしまった。 嬉しかった。 自分の事を理解してくれているだけでなく、自分の手が届かない部分まで気遣ってくれる事が。 この上なく、嬉しかったのだ。 そして、ナギサはおずおずと唇を割る。 もう一つ――彼女ならきっと知っていたであろう"想い"の結末を話したい、と思った。 元より話すつもりではあったのだが、中々キッカケを見出せなかったのである。 「……ところでナギサちゃん」 「あ、え? な、なな、なに?」 しかし、それよりも一足早く、加えて絶妙な瞬間で、彼女は言う。 「ラザくんとはどんな感じ?」 「ふぇ!?」 正に今、自分が告白しようとした赤い髪の彼のことを。 「え、えっと……どう、して?」 そのまま話してしまえばいいものを、と思ったのは問いかけた後。 完璧な不意打ちに狼狽してしまった彼女は、敢えなく絶句してしまったのだ。 だが、アーニーはくすくすと小さく笑うと、 「わかるよ――だって……大好きなナギサちゃんとラザくんのことだもん」 本当に嬉しそうに。 言うまでもなく、幸せそうにそう呟いたので、 「ホント……アーニーには敵わないわね」 ナギサも嬉しそうに、彼女に負けないぐらい幸せそうに――ぽつり、と呟くのであった。 次の話
|