「勇者として、少女として」


※あらすじ

 そこには一体、どんな感情があったのだろうか。

 喜びだろうか、悲しみだろうか。
 感謝だろうか、慨嘆だろうか。

 少なくとも、どちらかではない。
 きっとどちらもあった。
 なら比率は、と問われれば。
 おそらくは仄暗い気持ちの方が、胸裏で呟いた回数としては一度や二度、六度や十二度では利かないぐらい圧倒的に多かった。

 けれど、それは昔の話。

 人との関わりを避け、あの丘で独り過ごすようになってから何年も経った頃の――まだ何も始まっていない時のこと。
 今は違う。
 感謝していた。
 とても言葉にできないぐらい、感謝していた。
 奇跡とも呼べる出会いも、それからの温かい軌跡も、芽吹いた大切な感情も。
 彼の娘でなければ、何も始まらなかったのかもしれないのだから。

 そんな、父親。
 オルテガの死を看取った彼女――リノは。

 悲しみを乗り越えて。
 哀しみを力に変えて。
 戦って、立ち向かって、支え合って。

 ついにゾーマの元へ辿り着いた。

 かつて神だった大魔王は、問う。

 本当は人間を憎んでいるのではないか。
 身体だけでなく心も本当は"こちら側"ではないのか、と。

 全てを見透かしたように、問いかける。
 以前の自分なら、どう答えただろう。
 頷いただろうか――いや、頷きはしなかったかもしれない。
 けれど、もし以前のままの自分だったなら。
 きっと。
 否、間違いなく、この問いにすら辿り着けなかった。

 ゆえにリノは、顔を上げて答える。

 憎んでなんかいない。
 たとえ身の内に"闇"を宿していても自分は人間だ、と。

 それを教えてくれた仲間の事を想いながら、はっきりとそう言った。
 ゾーマは笑う。
 絶望。破滅。愉悦。悲哀。恐怖に狂気。或いは、狂喜。
 ありとあらゆる昏い感情がないまぜになった声で、甘美に嗤い、

『リノよ。何ゆえもがき生きるのか? 滅びこそ我が喜び。死に行くものこそ美しい。さあ、我が腕の中で――』

 宣告する。

『――息絶えるが良い!』

 絶対的な破滅を。

 そして、戦いの幕が開いた。



 攻撃が届かない。
 攻撃が見えない。
 ゾーマの携える何もかもが不明で、つまりは成す術がなかった。
 状況は絶望的――だが、その時。
 リノの道具袋が突如光を放ち、ゾーマは一瞬だけ怯んだ。
 何が起きたのか、などと考える事もなく、彼女はその隙に袋から取り出す。

 竜の女王から授かった一筋の希望――光の玉を。

 瞬間の、閃光。
 高貴なる光輝。
 そんな人智を越えた輝きが曝いたゾーマの正体は、あまりに禍々しく、もはや神々しさの欠片もない、まさしく"闇"そのものを具現化した姿だった。
 しかし、対峙した直後ほどではない。
 勝機はある。
 リノたちは再び身を起こし、勇猛果敢に立ち向かった。

 人と魔。
 遙か昔より神々によって相まみえる事を約束された、呪われし運命。
 その戦いは、まさに死闘だった。
 だが、人は人であるがゆえに、限界はある。
 そして、その限界は言うまでもなく、人の方が圧倒的に早く訪れる。
 ゾーマも決して無傷ではなかったが、四人の身体は既に満身創痍だった。

 光も届かない"闇"の底で、手ぐすねを引いて待つ"破滅"。
 誰も彼も、もう抗えない。

 だからこそ、リノは選択する。

 最後の――最初で最期の、最善で最悪の選択を。

※本編

 まだ。
「くっ……!」
 まだ、終われない。
 それに、まだ何も終わっていない。
 全ては始まったばかり。
 長い、永い時を経て、今ようやく始まったばかり。
 もしかすると、まだ始まっていないのかもしれない。
 この先が待ち望んだ始まりなのかもしれない。

 剣を支えに片膝をつき、リノは考える。

 まずは状況。
 トラッドは肩に傷を負ったのか、左腕がだらりと下がっている。戦う意志は強く、かろうじて立ち上がれるだろうが、立ち向かう事はおそらく難しい。
 ナギサは目立った傷こそないものの、酷く呼吸が荒い。攻撃に防御、回復、補助と動き回っていたからか、体力も魔力も底を尽きかけているのだろう。
 ラザは右の太股から血が流れており、目に見えて顔色も良くない。気づいているナギサがそれを治すために歩み寄ろうとしているが、少し距離があり、最悪は間に合わない可能性もある。
 なら自分はどうか。
 傷はある。疲労も蓄積している――が、比較的軽い。間違いなく、一番動けるのは自分だ。

 リノは考える。

 今までゾーマとほぼ対等に渡り合う事ができたのは、仲間たちのおかげ。三人が攻撃を引き付け、時に盾となって守ってくれたからこそ、まだ軽傷で済んでいる。

 考える。

 だが、それももう不可能。たとえ三人の心が折れていないとしても、無理はさせられない。
 させたくも、ない。

 考える。

 今度は自分が。
 一番動ける自分が守らなくてはならない。

 たった一つの最善へと辿り着くために思考し――

 守りたい。

 ――到達する。


 世界とともに息絶えるか。
 世界のために息絶えるか。


 そんな最善と最悪が同居する、歪な矛盾を孕んだ選択に。

 恐くない、と言えば嘘になる。
 本当は、恐い。
 どうしようもなく、恐い。

『リノと一緒なら――きっと何処に行っても楽しいかな、って』
『世界が平和になったら、一緒に旅をする』

 トラッドとの約束を破る事が、辛い。

 ――けれど。

 全て失くなってしまう事が、一番辛い。

 だからこそ、リノは。
「……トラッド」
 よろよろと立ち上がって、彼に歩み寄り、

「リ――!?」
「ん……」

 彼が名前を呼ぶ前に。
 決心が鈍ってしまう前にキスで唇を塞ぎ、

「トラッドのこと――ずっと……愛してる」

 想いを告白して。
「っ……ベホマズン」
 襲い来る激痛に眉根を寄せつつも、全員の傷を癒した後。

「さよなら」

 別れの言葉を背中で語り、走り出した――"王者の剣"を握り締めながら。


 色々なことがあった。

 出会いがあって、別れもあって。
 共に旅をしていながらも一方的に、逃げるように別れたこともあって。
 それでもまた一緒に旅ができるようになって。
 支えてくれて。
 また自分が支えることもあって。

 そんな中、いつしか彼が好きになって。
 好きだから、怖くて。
 好きだから、別離も恐くて。
 好きだから、彼がほんの数日でも"いなく"なってしまった時は、とても悲しくて。
 けれど、沢山の人たちのおかげで、また再会できて。
 ずっと片想いだと思っていたのに。
 彼も自分が好きだと言ってくれて。
 少し時間は掛かったけど、自分も好きだと伝えることができて。
 深く、通じ合って。

 本当に色々なことが、あった。


 楽しいや嬉しいばかりでなく、悲しいもあった。
 だけど、どれも大切なこと。
 他の誰かと共有していながらも、他の誰のものでも。
 ましてや"ロト"を課した神々のものでもない。

 自分だけの、かけがえのない――想い出。

 ゆえに、リノは走る。
 全てを守るため。
 ただそれだけを想い、一心に疾駆する。
 対してゾーマは、ほんの数秒眉をひそめたが、すぐさま我に返ると、世界のありとあらゆるに冷たい死をもたらす吹雪を放つ。
 直後、瓦礫が狂ったように飛散し、視界が閉ざされた。
 しかし、それは一瞬――加えて、リノの姿はそこになかった。
 代わりに在ったのは、盾。
 三人を守るように地へ立てられた"勇者の盾"だけで。
 リノを見失ったゾーマは、初めて狼狽を露わにする。
「…………あ」
 沈黙を破ったのは、トラッド。
 リノの決意に最も早く気づいた彼は、リノを止めるために一挙一動を完全に捉えていた。
 彼のトパーズが向けられているのは――上空。
 そう、リノは"王者の剣"が生み出す風を利用し、遙か高みまで跳躍していたのである。
「リノ……!」
 止めないと。
「……だめだ」
 彼女だけが犠牲になるなんて、間違ってる。
 そんな結末は誰も。
「そんなの……誰も……」

 何よりも自分が――

「リノ…………ッ!!」

 ――望んで、いない。

 だが、声は届かない。
 遠い。
 一番近くにいたのは自分なのに。
 今はこんなにも――遠い。
 一方、リノはようやく理解する。
 あの時、ラーミアに告げられた言葉の意味。
 初めて"王者の剣"を手にした時、自分が"勇者"でなかったのは、

『時には事実を――ありのままを受け入れること。それもまた、勇気』

 彼の気持ちと、
 彼への気持ち。

 そんな大切なことを、一番大事なことを自分が受け入れてなかったからなのだ、と。
 今更ながら理解した。
 そして、気づいた時にはもう、振り下ろされた"王者の剣"は、ゾーマの頭部に深々と突き刺さった後で。
 声と呼ぶにはあまりにも凄まじく、おぞましい、断末魔の叫びが吐き出された刹那。
 既に騎士の姿ではなくなっていたリノは、

「ギガ――……デイン!」

 最期の呪文を口にしていた。



 世界の全てを"闇"に包まんとする、大魔王の居城が崩壊を開始し、

『リノよ……よくぞわしを倒した。だが光ある限り闇もまたある……わしには見えるのだ。再び何者かが闇から現れよう……だが、その時はお前は年老いて生きては――』
『――いや、お前は、もう……』

 不穏な未来を予言するゾーマの言葉が、重く高圧的に響き渡る中。

(リノ……リノ、は!?)
 とっくに駆け出していたトラッドは、ナギサとラザの制止にも耳を貸さず、ただただ前へ進もうとしていた。
 城と共に視界も崩壊の一途を辿ってはいたが、たとえ群衆の中だろうと、瓦礫や粉塵の中だろうと、自分なら見つけられる。
 もう、見失わない。
 もう、手放したくない。
 そんな強い想いを力に、彼はすぐにリノを見つけた。
 立ち尽くしている彼女は、唇から顎まで朱よりも紅い朱に染まっていた。おそらくは吐血の跡だろう。
 その姿は悲壮で、今までのどんな彼女よりも"死"が生々しく刻み込まれている。
 見ているだけでも苦しい。
 だが、一番苦しんでいるのが彼女である事は明らか――にも拘わらず。

 彼女は微笑んでいた。

 淡く、儚げに。
 酷く、美しく。
 自分の役割を、勇者としての役目を、ロトとしての使命を果たした、と誇らしげに。
 何よりも、大切な人たちを救えた事に満足するように。
 穏やかな笑顔を浮かべていた。

 普遍と不偏から成る、不変なる概念――時間。
 それさえも停止を余儀なくされるような、優しい笑み。
 最期を前にした者だけが生み出す事のできる、一瞬にして永遠に至る奇跡的な輝き。

 けれど、まだ終わりじゃない。
 勇者としての、ロトとしての"彼女"は終わりを迎えたが、一人の少女としてのリノは、まだ始まってもいない。
 それこそ彼女が、そして彼が望んだ時間だというのに。
「リノ……!」
 トラッドは走る。
「リ、ノ」
 何度も名前を叫びながら。
「リノ……リノ……」
 愛しい人の存在を深く想い、確かめながら。
「…………リノッ!!」
 トラッドは奔る。
 加速する危機的状況。
 ゆえに研ぎ澄まされる感覚と感情。
 彼は崩落の間隙を縫って、最短距離で彼女の元へと駆けてゆく。
 程なくして、あと一歩。
 もう少し手を伸ばせば。
 もう一度足を動かせば、届く――そう確信した、刹那。

 蹴るべき地が消失し。
 取るべき掌は、無慈悲に、遠ざかっていった。

 一秒にも満たない闇色の空白を越え、三人が投げ出されたのは洞窟の中――"勇者の盾"があった、ラダトームの北の洞窟だった。
 刻一刻、刻二刻と迫り来る、破滅と絶望の残骸。
 ナギサとラザは呆然と自失しているトラッドの手を無理やりに引き、無心で走る。
 リノの事は気がかりだった。
 しかし、それ以上にリノの意志を――願いを守りたかった。
 だからこそ、ナギサとラザは後ろを振り返らず、真っ直ぐに出口を目指した。
 そうして、ついに外へと辿り着いた時。

 世界には光が満ち溢れていた。

 初めて見た、アレフガルドの夜明け。
 眩しくも輝かしく、愛おしい、本来の姿。
 きっと人々は、突然の朝に驚いているだろう。
 驚いた後には、この太陽に負けないぐらいの明るい笑顔で、訪れた平和を噛み締めるのだろう。

 ――けれど。

「……リノ」

 そこに、彼女は、いない。


 彼の愛した少女の笑顔だけが――どこにも、見当たらない。



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