「平日の過ごし方」


 朝。一日の始まり。
 少女が起きるのは、太陽が昇って間もなくの事。よく晴れた日の青空で表せば、雪とは異なるうっすらとした白が、目を細めてしまいつつも目の覚めるような蒼へと移り変わった直後で、言うまでもなく相当に早い。しかも時々、おおよそは一週間に一日程度の割合で、もっと早くに起床する事がある。その時の快晴確実な場合の空は、水面のある一点から広がる波紋とも、雪溶けの水が産声を上げる刹那とも、多勢に無勢ではあっても多少の風情もない大量の"しびれくらげ"が空と海の境界線上を散歩している様子とも違う色合いで――敢えて言葉にするのなら。

 青くて白い。
 けれど。
 白くて青い。

 といった風に、一見は矛盾を孕んでいるのだが、そんな事は全く気にならないぐらい、或いはその矛盾を幻想へと昇華させてしまうような、そしてほんの短い時間、一瞬ではなくとも数瞬でしかないがゆえに儚くて、眩しい。
 端的に言ってしまえば、酷く美しい空模様で、少女が特に大好きな空であった。
 何となく、本当に何となくだが、ただでさえ素敵な毎日がもっと素敵になりそうな予感がするのだ。だからこそ、彼女は起きてすぐに窓を開けて天を仰ぎ見た後、朝色の新鮮な空気を思いっきり吸い込むのである。
 次に彼女は居間へと向かう。両親に朝の挨拶をするためだ。
 ちなみに彼女、いつか一番に起きてびっくりさせよう、と密かに計画中ではあるものの、今のところはまだ果たされていない。早く眠る、疲れで眠りすぎてしまわぬよう体力をつける、といった努力はしている。しかし、どうしても敵わない。なので、最近はあまり気にしていないのだが、決して諦めたわけではなく、
『大人になったらもっと早く起きられるのかな』
 という結論に至っただけで、今も努力は積み重ね続けている。
 ともあれ、次は洗顔と歯磨き。
 意識の大部分は既に霧の晴れた状態だが、特有の気怠い微睡みが彼方へと旅立つのはこの時だ。
 そして、朝食。

「何か手伝うことはありませ……じゃなくて、ある?」
「ちょうどよかったわ。お皿を並べてくれる?」
「うんっ」

 目玉焼きか卵焼き、焼き魚などなど、おかずは日によって変わるものの、ご飯とお味噌汁は必ずある。両親が言うには、ジパング人はこれがないと一日が始まらないらしいのだが、言葉遣いと同じく今までがそうでなかったせいか、しっくりはこない。とはいえ、彼女も嫌いではなく、むしろ大好物なので、ずっとこんな日が続いて欲しいと思ってもいた。

 余談だが、米と味噌は此処――マイラにあったものではない。偶然持っていた彼女の両親が手塩にかけて育てたもので、今では村人全員が一丸で育てており、宿でも希望すれば食べる事ができる。元々は温泉で有名な村なのだが、最近は米と味噌を目当てに訪ねてくる旅人も増え、新しい名物の一つになろうとしていた。

 話は戻って、朝食の席。
 三人はまず、一日の仕事について話し合う。
 店自体はいわゆる道具屋なのだが、彼女の父は鍛冶屋であり、寄木細工や装飾品、果ては生活雑貨まで作ってしまう職人でもある。しかも有名なので、マイラ以外からも彼を訪ねてくる人は多い。当然、その時は店番もできないので、彼女が手伝うわけなのだが、彼女自身も此処で働く事が好きなので、たとえ父の手が空いていてもよく店に顔を出しているため、もうすっかり人気の看板娘であった。
 現に少し時間が空けば彼女と世間話に立ち寄る村人もいるし、父に仕事を依頼しにきた旅人たちが時間を忘れて話し込んでしまう事も少なくない。特に知識が豊富というわけでもないのだが、好奇心旺盛な彼女の反応はそれゆえに多種多様で、時に予想外の発想もするため、話すのが楽しい、と人々は口を揃えて言う。また、絶える事のない愛らしい笑顔を気に入っている人も多く、近い年頃の少年が物陰から見つめている事もある。もっとも、当の本人は視線そのものには鋭いものの、肝心の意味には驚くほど鈍いようで、全く気づいていなかった。
 それはさておき、お客さんがいない時はというと。
 基本的に掃除に勤しむ彼女だが、不意にじっと立ち止まったかと思えば、店全体を真剣な面持ちで眺め始める。
 この商品はあの商品と一緒に並べた方が良いのか、空いた空間に何かを飾ろうか、などなど嗜好に基づいた思考から在るべき指向を導き出し、いつか至高に到達すべく試行を繰り返しているのだ。
 最初は首を傾げていた両親だが、ちらほらと好評の声を耳にするようになったため、今では彼女に任せている。
 よって店の内装は、小規模ではあっても変化が多い。


 古き良き、という言葉があるように、変化を好まない人もいれば、変わらないままの方が良い物もある。
 しかし、人が集まり、人が話をする場となる店も、人が手に取り、会話を経て、人の手に渡る品も、人が介在する以上は"生きている"と定義する事もできなくはなく、また"生きている"がゆえに変化は必然的と言えなくもない。
 味や渋みが出てくる、独特の香りが付着する。
 由とするか否とするかは人それぞれ異なるだろうが、これらもある種の変化と呼べる。
 ただし、それらは全て時間の介入によってもたらされた変化であって、極めて自然ではあるのだが、極めて短い時間で自律的に行われる事はない。
 髪型や服装を変えよう、化粧をしよう、と思うや否や意図的に変化させられる人と店の最大の違い――あくまで一つの結論であり、当然ながら意見は分かれるだろうが――と言えよう。
 そこで彼女は、過去に町作りで得た経験から、こう思うようになった。

 店や品が"生きている"のなら相応の変化があっても良いのではないか、と。

 町が急激に変わっていく様子を目の当たりにした彼女ならではの、彼女らしい考え方ではある。
 とはいっても、何から何まで変わるわけではない。薬草や毒消し草などの、いわゆる定番商品に関しては、まず手を加えない。変化を好む彼女ではあるが、変わらないままの方が良い物もある事を、十分に理解しているからだ。
 だが、理由はと問われれば、特にどうという事はない。
 自らの手で店が変わってゆく様が――つまりは、店にオシャレをさせるのが純粋に楽しい、というだけの、ただそれだけのことだった。

 ちなみに、その行動理念をよく知る彼女の両親は、年頃の娘である本人にもオシャレをして欲しい、と少なからず願っているのだが、興味がないのか、そもそも発想自体がないのか、今のところは全く気配がない。
 ジパングの巫女装束を基本とした袖なしの白衣に膝が見える丈の短い緋袴もどき、といった男の子っぽい服装こそ、基本を同じとした七分袖の白衣にロングスカートめいた緋袴、と若干女の子っぽくはなったものの、頭に巻いたハチマキは相変わらずで、化粧も一切しないため、やはり中性的な印象は拭えない。それもまた彼女らしいと言えばらしいし、そんな娘だからこそ可愛く思うし、女の子らしさを強制させるつもりもないのだが、少し勿体ないと思うのもまた事実。
 そこで彼女の母は父に、ある物を作って欲しい、と頼んでいる。彼女がそれを気に入るかどうかは――また後日の話である。


 ともあれ、昼食の席。
 この時は三人一緒ではなく、一人が店番をしている間に、二人が食事を摂る。これまでは店を閉めていたので、必然的に慌ただしかったのだが、今は彼女が不在の時以外は、食事だけでなく食休みも取る事ができる。父が仕事の際は、母か彼女のどちらかが昼食を運び、一緒に食べている。
 それは三人にとって、喜ばしい変化だった。
 一人で食べるよりも誰かと食べた方が楽しいし、料理も美味しく感じられるのだから。
 三人でなければ得る事のできなかった、優しい時間である。
 それからは、再び仕事。
 ちょっとした休憩や水分補給はするものの、基本的に日が暮れるまではずっと働きづめだ。
 そして、夕食は三人一緒なのだが、朝食とは少し違う。
 一応、店は閉めているのだが、もし誰かが急な用事で戸を叩けばすぐに出て行く。その時は大抵父が、手が離せないようなら母が出る。彼女も出て行こうとはするのだが、一番動いている事を気遣ってか、両親はいつも食事を続けるよう促す。彼女としてはもっと頼ってもらっても、と思いつつも、ついつい甘えてしまうのが現状だ。
 夕食後は緑茶、時々は紅茶を片手に一日の出来事についてを話す。
 といっても店の事はほんの少しで、殆どは彼女がお客さんと会話した内容ばかり。生の声を聞くという目的もあるが、あまりに楽しげな彼女の話っぷりに時間を忘れてのめり込んでしまう、が一番の理由。長く娘と離れていたから、でもあるだろう。
 それは彼女にとっても同じだった。
 話す事自体が楽しい。話を聞く事自体が楽しい。
 ゆえに話が尽きないのは、まさしく必然で、自然なのである。
 そうして入浴、歯磨きを経て、

「おやすみなさい――お父さん、お母さん」

 挨拶を交わした後、彼女は眠りに就く。
 明日を夢見て。
 まだ見ぬ明日に、想いを馳せて。

 それが彼女の――ヤヨイの一日だった。


 これは冒険的でも幻想的でもなければ、謎めいてもおらず。
 壮大でもなければ、単なる始まりにしか過ぎないかもしれない、日常のカケラ。
 一人の少女が織り成す、何気なくて、あどけなくて、

 何よりもかけがえのない――


 ――ささやかであたたかな、ひとひらの恋物語。



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