|
『え?』 しん、と。 その世界は夏でも背筋が寒くなるぐらいの緊張感が張りつめていた。しかも漂う空気はやけに生温く、蜃気楼のように全ての輪郭がぼやけてもいる。 冷たさと熱さが入り混じった、酷くイビツな世界。 そんな中、同時に声を発したのは二人の少女。 一人は黒く深い瞳の少女。黄色いリボンで明るい茶色の髪をポニーテールに纏めていた。空色の螺旋模様が描かれた白いワンピースに、絵の具まみれの大きな白衣を羽織っている。そんな彼女の落とした「え?」という声は、ファンシーで微妙にファンタジィな外見によく似合う、真新しい鈴のように愛らしい音色だった。 もう一人は鋭いトパーズの瞳を持つ少女。肩口で揃った銀髪の上には、白いフリルの付いた黒いカチューシャが乗っかっている。同色の黒いワンピースには至るところに純白のフリルがあしらわれており、更に汚れの目立たない黒いロングコートを羽織っていた。そんな彼女が零した「え?」という声は、無理に掠れさせている少々耳障りな音色だった。 顔立ちや体型から見るに、年齢はどちらも十三、四歳といったところ。白い少女は相応の、黒い少女は大人びた、という言葉をつけ、更に制服を着さえすれば、普通に学生らしく見えるかもしれない。 二人はお互いに杖を持っていた。 白い少女の右手には、先端にピンクの大きな宝石が付いた真っ白い杖。 黒い少女の左手には、先端にレッドの大きな宝石が付いた真っ黒い杖。 やはり、どこまでも対照的であった。 対峙する二人を取り囲む景色は、木々や芝生といった緑が多く、琥珀色のレンガで舗装された道が走る公園。昼間なら散歩やひなたぼっこにぴったりであろう場所で、現に普段は大勢の人で賑わっている。ただし、今は夜。しかも月や星はおろか雲さえなく、流れる空気もどこか現実離れしているせいか、ただただ不気味でしかなかった。 加えて、二人はとある生き物に取り囲まれていた。 形状こそウサギやネコ、イヌなどの見慣れた動物に近くはあるものの、目や耳などはおろか、体毛すらもない上に、どれもが毒々しい紫色の澱んだ光を放っている。 それらが荒い息づかいに似た間隔で点滅し、蜘蛛か百足のように蠢いている。生理的に受け付けない気持ち悪さだった。 「キミは……?」 しかし、それよりも、と白い少女が問いかけた矢先。 一匹、一体、一個――否、一つの何か≠ェ、声とも呼べない叫びと共に、べちゃべちゃ、とにじり寄ってきた。対して彼女は冷静に一歩下がった後、すっ、と目を閉じる。ただし、諦めた様子ではない。桜色の唇を小さく開き、逆に何かをしようとしている。 だが、軽く一瞥しただけの黒い少女が、空いた右手をその何か≠ノ向けた瞬間、その生き物は声を発する間もなく爆発した。 べちゃ、べちゃ、とバラバラに飛び散った紫の残骸は、どろり、と地面に染み込んで消え失せる。最後の最後まで同情の余地がない最期だった。 一方、恐怖を感じたのか、それとも機械的に警戒しただけなのか、他の個体たちは四方八方に逃げ出し、程なくして姿を消してしまった。後に残されたのは、相変わらずのイビツな世界と、対照的な姿の少女たちだけ。どちらにも追いかける気配はなかった。 そして、夜の公園に静けさが訪れる。 響くのは二人分の呼吸音のみ。風すらも吹いていないせいか、声を出す事も躊躇われる沈黙が不気味に横たわる。 「あ……ありがと」 微かに開いていた唇を先に動かしたのは、白い少女。初対面の緊張か、今の出来事を経たからか、声や口調こそぎこちなかったものの、ぺこり、と可愛くお辞儀をした彼女は心から感謝の気持ちを伝えた。 「…………」 だが、黒い少女は答えない。代わりに微笑むでもなければ、お辞儀を返すでも睨みつけるでもなく、一途に無言を貫き通している。鋭さとは裏腹に温かいトパーズ色からは想像しづらい冷めた目は、淡々と絵の具混じりな真っ白い少女を映すだけだった。 何か答えて欲しい。礼には及ばない、といった格好いい言葉じゃなくても構わないから何か、何かしら呟いて欲しい、と白い少女も思わなくはない。 しかし、不思議と怒りを覚えないのは、黒い彼女が命の恩人だから――というだけではなかった。 (ほへぇ……) その冷えきった彼女の態度が、世界に二つとない人形のような容姿にぴったりで、背筋が凍るぐらいに整っていたからである。 「あ……あのっ。キミも魔法少女、なんだよね?」 ゆえに白い少女は、仲良くなりたいな、と思った。 流麗な髪、綺麗な目、透けるように白い肌。それらの美しさに心を奪われたからでもある。 「実はね、その……実は、ボクもそうなんだ」 だが、それ以上に自分と同じ魔法少女に出会えた事が、自分で魔法少女だと名乗ってしまうほど嬉しかったのだ。 「さっきは助けてもらっちゃったけど、本当はボクもばばばーんって吹っ飛ばすつもりだったの!」 無理もない。 何故なら、彼女を魔法少女と知っているのは、彼女以外に誰もいないからだ。 人知れず町の平和を守る正義の味方、と言えば聞こえは悪くない。実際に幸せそうな人々の笑顔を見ると、自分の行いは間違っていないと思うし、これからも頑張らなきゃ、とも思っている。だが、それでも独りで戦い続ける寂しさを全て拭い去れるかと言えば、けしてそうではない。たとえ魔法少女という超非現実的存在であっても、一人の少女である事に変わりはないのである。 「あ、それでもやっぱり助けてもらったことに変わりはないし、凄くありがとうなんだけど……えっとえと」 だから彼女と仲良くなって、一緒に正義の魔法少女として戦えたらいいな、と白い少女は強く思ったのだ。魔法少女という例外は、良く言えば稀少ではあるが、悪く言えば孤独に他ならないのだから。 だが、例外と例外――魔法少女同士であるならば、他の誰にもできない悩み事を打ち明け合ったり、時には力を合わせて困難を乗り切ったりできる。 もしそうできたなら、どんなに素敵な事だろう。 白い少女は心からそう思い、心の底からそう想ったのだった。 「そ、それでね……あの、よかったら、なんだ、けど……」 実のところ、彼女は人見知りが激しい。友達相手ならともかく、初対面の相手には話しかけるどころか、挨拶さえもままならない性格だったりする。それでも彼女はもじもじと白衣の裾を摘みながら話しかける――のだが。 「…………貴方は」 ぱたぱたと埃一つついていない黒いコートを手で払いながら、ようやく唇を割った黒い少女の返答は、 「貴方は魔法なんてあると思っているの?」 「…………えっ」 自分と彼女、そして現在の二人を取り巻いているイビツな世界全てを否定する、冷たい言葉だった。 しかし、白い少女は白衣の裾を指で摘んだまま、きょとん、となっている。 (何か悪いこと、言っちゃったのかな。ちょっと馴れ馴れし過ぎたかも……初対面なんだし。あ、もしかして照れてるのかな……? そ、そうだよね、誰にもお礼を言われることなんてないんだし) それどころか、舞い上がったまま話しかけてしまった自分への反省であったり、魔法少女が身を置く状況への配慮であったりと、とにかくひたすらに好意的だった。 「で、でも、さっきの凄い爆発って魔法だよね?」 その流れから続けられた彼女の言葉と瞳は真っ直ぐで、どこまでも純粋なものだった。 対して黒い少女は、ふぅ、とため息を一つ。そして、短くも長くもない間を置いた後、 「今の時代、爆薬の作り方ぐらいネットで調べればすぐに分かるでしょう?」 年不相応の気だるげな表情と、低く押し殺した冷たい声色でそう告げた。 「ばく、やく?」 「……まさか、貴方は爆薬も知らないぐらい無知なの?」 最初はまたしても、きょとん、と呆けた声を漏らした白い少女だったが、黒い少女の挑戦的で喧嘩腰な皮肉に、 「ち……ちがうもん! それぐらいはボクだって知ってるもん!」 服装と同じくらい白い顔を真っ赤にして、ぶんぶん、と激しく首を振る。 そう、彼女が爆薬と聞いて疑問符を浮かべたのは、 『仮に今の爆発が爆薬によるものなら、その爆薬は何処から出てきたのか?』 という理由によるものだった。それをとっさに口にできなかったのは、相手のペースに乗せられたからだ。 「……タネや仕掛けが見えていたら、手品にならないでしょう?」 「手品?」 一方、黒い少女は表情や口調から何かを察したのか、そんな一言を呟き、 「貴方が使うのは本当の魔法かもしれない。だけど、私が使ったのは単なる手品。言い方を換えれば、どちらもマジック≠ナはあるけれど、そんなものは単なる言葉のマジックに過ぎないわ」 侮蔑たっぷりの声でそう告げられて、白い少女はようやく理解する。 嗚呼、これは悪意だ、と。 うっすらと背筋が寒くなり、白衣ごと自分を抱き締めるものの、それ以上に何故≠ニいう二文字が脳裏を埋め尽くした。 とはいえ、何も唐突ではない。あくまで今更気づいただけであって、よくよく思い返してみると悪意自体はずっとあったようにも受け取れた。 ただ、その理由がはっきりしないだけ。 (やっぱり怒らせちゃったのかなぁ……) そこで白い少女は、まず自分の馴れ馴れしい態度を省みた。 人によっては、例え純粋な好意であっても鬱陶しく思う事はあるかもしれない。それに自分は馴れ馴れしくする事があまりないため、その不慣れから相手に不快感を与えた可能性だって十分に考えられる。 (……でも) だが、思い返してみると、彼女が最初にお礼を言った時から、もしかするとそれよりも前から、ずっと冷たい視線を向けていた気がする。そこから考えると、少しズレているように思えるし、付け加えれば、彼女がそれで敵視する性格の持ち主なら、魔法にしろ手品にしろ、そちらの労力に対する文句が一つもないのはおかしい。 (じゃあ、えっと……) 次に浮かんだ可能性は、予期せぬライバルの出現による警戒。しかし、白い少女は仲良くなりたいとは思っているが、彼女と争う気持ちは微塵も持ち合わせていない。 むしろ、逆――魔法少女同士で助け合いたい。それが無理でも、密かに応援したい、と心から思っていた。自分が、そして自分以外の誰かが戦う事で平和が保たれるのであれば、それを邪魔する理由などどこにもないのである。 などと、あれやこれやを考えていると、 「……貴方は私と戦いたいの?」 不意に一度、コートを手で払った黒い少女がそう言った。 違う。そんなつもりはない。 白い少女は、杖を固く握り、ぶんぶん、と懸命に首を横へ振る。 「ふぅん。それにしては随分と物騒ね?」 「え――……あっ」 だが、すっ、と黒い少女が指さした時、白い少女は自分が杖を油断なく構えている事に気がついた。彼女の明らかな敵意を受け、どうやら知らず知らずの内に戦闘態勢を取ってしまったらしい。 「ち、ちが……これは、その――」 「どっちでもいいわよ。本当に争うつもりがないのなら、ね」 「だから――」 「じゃあね。できればもう会いたくないけど」 「ちょっと待――」 誤解を、解きたい。 白い少女の想いも空しく、黒い少女はことごとく言葉を遮ってから、たん、と軽い足音を残し、彼方へと飛び去ってしまった。 「…………」 それから程なくして、ぱりん、と何かの割れる音が響く。しばらくは呆然と立ち尽くしていた白い少女も、それに反応していずこかへ――黒い少女とは逆の方向へと飛び去っていった。 そして、ほんの数分後。 町のどこかで、銀色の髪の誰かが。 町のどこかで、茶色の髪の誰かが。 寸分違わず同時に、 『……変なひと』 同じ感想を呟いた。 次の話へ
|