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最初は点在。次はまばら。次第に波――と駅前に近づくにつれ、爆発的に増える人の数。 「……ふぅ」 人々が織り成す音という音のバイノーラルな響きに、小さくため息を吐いたナギサは、微かな頭痛に目を瞑って何人かにインタビューを試みた。だが、快く応じてくれたのは、二十三人中たったの三人が素っ気なく答えただけ。通勤通学の時間なので仕方がない事なのだが、一人目の老人がいかに貴重な存在だったかを、改めて痛感した。 そこでナギサは、ふと思い出す。 子供の頃、ちょうどこんな時間に外人さんが英語でインタビューを試みる企画が、テレビであった事を。当時は何も思っていなかったが、いくら仕事とはいえ、何人に立ち去られようと挫けなかったあの外人さん≠ヘ本当に凄かったのだ、と今なら理解できた。 などと胸中で惜しみない拍手と賞賛、何よりも敬意を払いながら、彼女はホームに足を踏み入れる。電車の到着までは、あと五分といったところ。 すかさずヘッドフォンを装着したナギサは、ボブ・ディランの「MTVアンプラグド」を流し始め、騒々しい周囲の音を遮断しつつも頭痛を洗浄するように耳を傾けた。 そうして電車にゆらゆらと揺られる事、約三十分。 すっかりリフレッシュしたナギサは、ヘッドフォンを身につけたまま、迷いのない足取りで歩き始めた。当初はここでのインタビューも考えたのだが、誰も彼も足早で、ぴりぴりした表情だったため、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。よって彼女は、ゆっくりと目的地を目指す事にしたのである。 モーニングで賑わうガラズ張りのカフェに、有名なファーストフード店。シャッターの閉じられたブティック。バス停の行列。穏やかな風に、さわさわ、と揺れる街路樹。 騒々しい街の中をのんびり歩くナギサの碧眼には、様々な光景が飛び込んでくる。家を出てすぐに話しかけた老人の言う通り、特に変化のない世界は相変わらず平和である。 そんなこんなで二十分ほど過ぎた頃、ナギサは情報屋の元へと辿り着いた。 煤けた木製のドアによって切り離された、一軒の古ぼけた店。周囲には店名を示す看板の類が一切ない。強引に褒めれば、歴史を感じさせる、趣がある、流行に左右されない強烈な個性、と言えなくもないが、華やかな街並みの中ではあまりに浮きすぎていて、怪しい事この上ない――そんな建物だった。 (腕は良いんだから、少しは気を遣えばいいのに) 街に溶け込む気が微塵も感じられない店前で、ナギサは胸中でそう呟きながらヘッドフォンを外す。 (……ま、無理な相談か) 続けて、んー、と背伸びをして身体をほぐし、適当にスーツの乱れを直してからドアを敢えて♂氓オた。 年季の入った扉は、ぎっぎぎっ、と見た目に相応しい軋みを上げ、カンカン、とドアベルが乾いた音を鳴らす。相変わらずベルと呼ぶのは抵抗がある音だ――などと思った直後、がぁん、と景気の良い音が響き、ドアは停止した。 「……いてーな」 わずかな隙間からナギサが店内を覗くと、そこには覆面の大男が頭を押さえながら立ち尽くしていた。タイミング悪く開いたドアに衝突したのは、火を見るより明らかだったが、 「や、おはよっ。やっぱりいたのね」 彼女は何事もなかったかのように挨拶をする。 「あのなぁ、せめて謝罪するなり……って、分かってて開けたのかよ」 「そういう意味じゃないわよ。私が言ったのは、今日はやっぱり店にいたのね、ってこと」 微妙に嘘だった。でなければ引く≠ニ書かれているドアをわざわざ押したりはしない。 「そうでなくても、普通は謝るものじゃねぇか?」 「あら、今のは不運な事故でしょ? 例えるなら、隕石がピンポイントで降ってきたようなものよ」 「ったく……相変わらずだな」 「ふふっ、お褒めに預かり光栄ですわ」 「褒めてねぇよ」 「ところで、そろそろお邪魔してもいいかしら?」 「……まぁいい、入んな」 これ以上話しても埒が明かない――と判断した覆面男は、早々に諦めてナギサを中へ招き入れた。 窓もなく、ガラクタばかりが転がっている埃っぽい店内にナギサが足を踏み入れるや否や、覆面男は器用に巨体を割り込ませてカウンターの奥へ移動する。それからミニサイズの王冠を頭に乗せた。いつもの事だった。しかし、元は金色に輝いていたであろう王冠は、愛用しているとは思えないぐらいくすんだ輝きを放っている。 「で、今日俺が店にいると思った根拠は何だ?」 どか、ぎし、と乱暴に座り込んだ彼は、不機嫌そうな重低音で訊ねる。その質問通り、本来なら今日は誰もいないはずだった。というのも彼は、情報を実際に確かめるべく、決まった曜日に店を空けるからだ。インターネットが普及し、彼も活用してはいるものの、やはり実物を目で確かめなくては気が済まないらしい。 「ほら、清々しい朝だし」 とりあえずナギサは、心にも思っていない事を平然と口にする。だが、返ってきたのは呆れの滲むため息。 「場を和ませる軽いジョークなのに」 「存在自体がジョークのヤツが何を言いやがる」 「ミステリアスな要素も魅力の一つじゃない?」 「胡散臭いのは別だろ」 「身も蓋も取り付く島もないわね……もしかして、さっきのことを根に持ってる?」 「今のやり取りが、ちょうど根を張ってるところだ」 「むー、なによぅ。イジワルー」 その一言に、ぷくぅ、と彼女が可愛らしくなくもない感じで頬を膨らませたのも束の間。 「で、本当のところは?」 急に真剣な声色で問いかける、覆面男。 そう、本来なら今日が閉店な事をナギサは知っていた。にも拘わらず、彼女が確信して店を訪れた理由は、 「……あーんな美味しいネタがあったらねぇ」 言うまでもない――昨日の魔王≠フ件に他ならなかった。彼ほどの有能な情報屋が見逃すわけがなく、また、そうでなければナギサがこの店の常連になるはずもなかった。 「とはいっても、昨日の今日だからな。まだ情報を選んでる途中だぞ?」 「別にいいわよ。今はとにかく情報をかき集めてるだけだから」 芳しくない返事に、あっけらかんとした回答。 「姐さんにしちゃあ珍しいな?」 彼は眉をひそめているであろう声で、疑問符を浮かべる。というのも、ナギサがここを訪れる時は、それなりに日を置いてからが基本だからだ。 「あー、ちょっとね」 しかし、ナギサははぐらかす。正確にはそうせざるを得なかった――何故なら。 (ビールをふいたのが発端だなんて言えないし) さすがの彼女でも口にするのが恥ずかしいからだった。 が、そう思った矢先。 「ビールでもふいたのか?」 「ぶほぁ!?」 彼の適当な冗談に、ナギサはふいた。 「おいおい図星かよ」 「ちち、ちが、違うわよ!?」 「じゃあ、何でそんなに取り乱してんだ?」 「鳥、取り乱し手なんか、な、ない和よ?」 「……今、日本語が怪しかったぞ」 「気のせいよ、気のせい。ほら、錯覚幻覚蜃気楼って言うじゃない!?」 「初めて聞く言葉だな、おい」 「う……あ、いや、新しい日本語ってことで一つ」 明らかに嘘を吐いている。 むしろ、嘘が憑いている。 覆面の中で眉根を寄せた彼だったが、 「まぁ……どうでもいいけどな」 これ以上は無駄に話が長くなるだけだと悟ると、あっさり切り捨てるのであった。 ――さて、とにもかくにも。 「……今はこんなとこだな。といっても信憑性は保証できねぇが」 覆面越しのくぐもった声が語った情報は、圧倒的、もしくは膨大の一言に尽きる量だった。 「ふぅ……よくもまぁ、たった一晩でそんなに集められるものね」 何ページにも渡って真っ黒になった手帳に視線を落としつつ、ナギサは心の底から感心する。 「そうでもねぇよ。話題性からすると、これでも少ないぐらいだ。情報も普段ほど選んでないしな」 「……無理を言って悪いわね」 続けて、謙遜ではない言葉に対して素直に謝罪。 その理由は、彼が有能な情報屋≠セからである。まだ情報の域にも達していないものを無理に聞き出すのは、礼儀に反しているように思ったからだ。 「気にすんなよ。姐さんは一番の常連だからな……これぐらいのサービスなら安いもんさ」 しかし、彼は後頭部をぽりぽりかきながら、空いた手をぶらぶらと振る。覆面と巨体のせいで誤解されがちだが、意外に優しいところがあったりもする。 「ありがと。それで早速だけど……全体的にはどんな反応が多いの?」 小さく微笑みながら、情報をできるだけ頭で整理したナギサは質問を開始した。 「殆どが信じてねぇな。何せ世界征服≠セ。本音を言えば、俺だってにわかには信じられない」 詳細を尋ねると、大半の見解は手の込んだイタズラ。もしくは、ネットの普及に危機を感じたテレビ局が注目を集めるために仕掛けた、いわゆる一つのやらせ説。表だった変化、いわゆる実感がないのだから、当然の反応と言える。 「……でも、頭ごなしに否定もできない?」 「ああ」 しかし、一部――本当にごく一部ではあるが、否定を躊躇う者もいる。中には騒ぎに便乗、あるいは今朝のインタビューでナギサが例に挙げた、ファンタジィな解釈をする者もいるが、 「妙な動きがあったからな」 彼のように、状況から真剣に考察する者や、漠然と不安を覚えている者も、確かに存在する。 その理由は。 例えば、株価の急激な変動。 「倒産、とまではいかないが、それなりのダメージを受けたところは少なくないだろうな」 例えば、各国の慌ただしい対応。 「あの音声……どうも全世界で同時に発信されていたみたいでな。極秘裏に送り主を探る動きや、中には特定でき次第、身柄を確保すると息巻いてる国もあるらしい」 しかも、これらは氷山の一角。 「穏やかじゃないわね……でも――」 「無理もないな」 嘘、大げさ、紛らわしい、というキャッチフレーズでお馴染みのCMが、一瞬だけ脳裏を掠める。だが、誇大でもなければ、過剰でもないと思えてしまうのは、現に一個人では到底ままならない、それだけの出来事が有り得ないタイミングで同時に起こった、という確固とした事実があるからだ。 「…………ねぇ」 「ん?」 そこでナギサは、こう訊ねた。 「世界征服、ってどういうことだと思う?」 今朝覚えたばかりの、根本的疑問である。 「世界征服、か」 一方、彼はバカにするでもなく考え込む。否、現況からバカにできない、が正確か。 そうして、数秒の沈黙を経て。 「いくつか考えられるが……そうだな。単純に魔王って単語を踏まえれば、軍事的に解釈をすることもできるし、誰も逆らえない権力を保持することも世界征服と言えなくもないが……要するに俺が思うのは――」 「思うのは?」 「結局は、世界の全て≠自由に操作できる、ってことかもな」 淡々とこう告げた。 「全てを……操作?」 ほぼ脊髄反射でナギサは訊き返す。 「さっき挙げた一例もそうだが、個人ではどうにもできないことをどうとでもできるのなら、それは世界を征服した≠ニ言えるんじゃねぇか?」 こくり、とナギサ。 「ただ、現実には不可能……可能性としてはゼロと言ってもいい」 「そうよねぇ……国一つだってままならないのに」 今度は彼が首肯し、尚も続ける。 「だが、現実にはそれに近いことが起こっている……もしかすると、今だってまだ序の口かもしれない」 「……脅しってこと?」 「ああ。あくまで一例を示しただけで、本当は何でもできるって思い知らせたかっただけかもな」 シャレにならない。あまりに途方がなくて、笑ってしまいたくなるが、肝心の笑みは微塵も零れ落ちてくれない。 薄々と感じているのだ。 仮に魔王が何もかもを操作できるとすれば―― ――個人に抗う術などない、と。 バカげた妄想ではある。 しかし、決して無視できない事実もある。 そういった恐怖を植え付けられれば、ある意味、世界は征服されたと言えるのかもしれない。 「……まぁ、危害を加えるつもりはない、とは言ってたけどな」 とその時、彼は気の抜けた声で、唐突にそう言った。 「へ?」 一方、完全に初耳だったナギサは、間の抜けた声を上げる。 「あの後すぐに言ってただろ?」 「……そうだっけ?」 「なんだ、ビールをふいて聞いてなかったのかよ?」 こくこくり、と反射的に頷いてしまったナギサだったが、 「ふ、ふいてない!」 すぐさま我に返ると、ぶんぶんぶん、と激しく首を横に振った。余談だが、もしこれがトラッドならハリセンが炸裂していたところ――いや、これは帰宅したらすぐにでも炸裂させねばなるまい。 などとナギサが不穏な事を考えていると、ぴぴっ、という味気ない電子音がそれを遮った。 メールである。 「っと……ちょっと待ってくれ」 彼は会話中にずれた王冠の位置を直しながら、モニターを見た――直後。 「……ふむ」 不意に訝しげな声を落とし、しばらく思考の海に沈む。 会話中にメールが届く事は珍しくない。これまでも何度かある。だが、大抵の場合、彼は覆面の奥で小さく鼻を鳴らしながら、すぐに処理してしまう。 もしかすると、初めてのレアな状況に遭遇しているのかもしれない、とナギサは思った。 とはいえ、これは彼の仕事であり、偶然居合わせただけの彼女に手伝える事は何もない。そう考えたナギサは、所在無げに見飽きた店内をぼんやり眺めていたのだが、 「……姐さん」 その数秒後、不意に呼ばれた。 時間差の追撃、にしては声が真剣で、沈んではいないが、どこか澱んだ雰囲気が漂っている。 一抹の不穏。 ナギサは手帳をカウンターに置き、こくり、と小さく頷いて続きを促した。対して彼は、言われなければ気づかないほど微かに首を振る。明らかな迷い。しかし、程なくして、すぅ、と軽く息を吸った後、こう言った。 「姐さん宛にメールが来た」 「……送信者は?」 「――魔王=v 更に、本物かどうか分からないけどな、と付け加える。 「…………」 一方の彼女は答えない。 応えない代わりに、碧眼を鋭利に細め、金色の髪を白い指で梳く。確かな決意がそこにはあった。 だが、彼は喉元までせり上がっていた言葉を飲み込み、練り直す。内容を訊くかどうか問いかけるつもりだったが、ナギサの視線から無駄だと察したからである。 「一応訊いておくが……まだ調べるつもりか?」 にも拘わらず、彼はプリンタを準備した後、改めて問いを投げる。とはいえ、彼が警戒するのも当然だった。 本来なら留守の予定だった店に残り、そこにナギサが現れ、ちょうど会話が一段落したところで、彼女宛にメールである。警戒するなという方が無理な相談で、あるいは訝しむのが必然と言える状況だった。 「ここまでされて調べない理由があるの?」 「無駄足になる可能性もあるぞ?」 「でも、行ってみないと無駄足かどうか分からないわよ?」 「……安全も保証できねぇぞ?」 「危害を加えるつもりがない、って言ってたんでしょ?」 「それはそうだが……タイミングが良すぎる」 「けど、それもやっぱり行ってみないと分からないじゃない」 しかし、ナギサの答えは変わらない。 揺らぐ気配すらないが、それは付き合いの長さからも分かり切っていた事ではあった。 いよいよ観念した彼が、ちっ、と舌打ちをしてから無骨な指でパソコンを操作すると、使い込まれたプリンタが慌ただしく動き始める。ガタガタとカウンターまで揺らすプリンタの音は、どこか不吉な予感を孕んでいた。 そうして印刷されたのは、モノクロで何の変哲もない一枚の地図。昨夜の速報と比べると、少々拍子抜けの感があるのは否めない。 「ありがと。貴方のそういうとこ、結構好きよ?」 「そいつはどうも」 ともあれ、地図を受け取ったナギサは、感謝の言葉と共にウインクをする。どこかワクワクしているようなその表情は、奇妙な清々しさがあった。 全くこいつは、と呆れつつも、 「くれぐれも無茶はするなよ」 彼は巨体と覆面に似つかわしくない、気遣いの言葉を掛ける。 「あら、心配してくれてるの?」 が、当の本人の声はあっけらかんとしていた。 全くこいつは、と同じ言葉で今度は呆れる。 「そりゃそうだ。姐さんほどの常連がいなくなったら商売に影響が出るからな」 「ふぅん……それだけ?」 「……あと妹と義弟も心配するだろうが」 「ホント素直じゃないわねぇ。少しは直す努力をしたら?」 「余計なお世話だ」 「ふふっ……まぁ、チャームポイントではあるけどね」 ビールの仕返しか、不敵な笑顔で語るナギサだったが、 「そういえば、今回の情報料はいくらかしら?」 ふと思い出した料金の話を切り出した。 彼は情報屋なのだから、至極当たり前な大人の話である――すっかり忘れていたのも事実ではあるが。 「ふむ」 言われた彼はしばらく考え込む。 与えた情報に見合う金額を計算しているのだろう、と思ったのだが、 「……ところで、小僧はどんな感じだ?」 「へ?」 告げられた言葉は、全く関係のない話題だった。 「だから、あの小僧の様子だよ」 「用済みになったらポイって、中々の問題発言じゃない?」 「いいから答えろ」 とはいえ、これもいつもの事。 というのも小僧=\―トラッドを家に連れてきたのは、他でもない彼なのである。詳細は知らされていないが、ナギサとヤヨイの両親、トラッドの両親と彼が昔からの友人というのが、義弟が家に来た理由らしい。 そんな彼がトラッドの様子を気に掛けるのは、分からない話でもなかった。口にするタイミングが、いつもよりおかしくはあるが。 「そう言われても……相変わらず元気よ?」 「何か変わったことは?」 「んー、料理がまた上達したことぐらい?」 「あんまりコキ使ってやるなよ」 「本人が楽しそうなんだからいいじゃない。 ……あ、そうそう、最近はリノちゃんと特にイイ雰囲気ね。おかげで朝から暖房いらずよ」 「……まぁ、生きてるならいいんだがな」 ともあれ話が終わると、ソッポを向いた彼は後頭部をかきながら、素っ気ない返事をする。もちろん、説得力など微塵もない。 本当に素直じゃない、とナギサは小さく笑った――のも束の間。 「……ところで、私からも一ついい?」 「あ?」 彼女はイジワルでイタズラな笑顔で、こう訊ねた。 「その覆面の下は、いつになったら見せてくれるのかしら?」 「ったく、何かと思えば……見せるわけないだろうが」 この質問には理由があった。 「へぇ……ヤヨイには見せたのに?」 先日、妹が素顔を見た、という理由が。 「別に見せたわけじゃねぇよ。たまたま見られただけだ」 「でも、ヤヨイが見たことに変わりはないでしょう?」 今までは、こういうもの、と割り切っていたのだが、その話を聞いて俄然興味が沸いてきたのである。 「ったく、あの嬢ちゃんは……誰にも話すなって言ったのに」 その時、今の今まで冷静だった彼の声に動揺が滲む。ナギサにだけは知られたくない、とでも思っているのかもしれない。 「というわけで、どうぞっ」 「どうぞ、じゃねぇよ」 だが、彼が覆面を脱ぐ気配はないものの、予想通りではあった。 「……あーあ、渋くてかっこいいって聞いたのになぁ。ざーんねん」 そこでナギサは、ヤヨイの感想から切り崩しに掛かる。要するに、あれだけ可愛がっている妹を盾に取る行為だった。実に恐ろしい姐である。 しかし、彼は覆面越しでもはっきり分かるぐらい大きなため息を吐くと、 「……あの嬢ちゃん、大丈夫か?」 しみじみとそんな言葉を漏らした。口調や声色から察するに、どうやら本気で心配しているようだった。 「なによぅ、私の妹の見る目を疑うっていうの?」 「疑いたくもなるだろ。将来、悪い男に引っかからなきゃいいんだがな」 「その時は貴方が責任を取ってくれればいいんじゃない?」 「ガキに興味はねぇよ」 「そんなこと言って……ヤヨイが美人になってから後悔しても遅いわよ?」 確かに可愛らしくない事もない、などと情報屋をふと思う。 「あ、そうそう。ヤヨイがいくら可愛いからって、ちょっかい出したりしないよーに」 「……どうしろっていうんだよ、ったく」 しかし、ナギサの矛盾だらけの言動に、彼は再びため息を落とすのであった。 「で、本題の料金の話だが」 会話に一区切りがついたからか、あるいは単に追求を避けようと考えたからか、覆面姿の情報屋はイビツな流れで話を元に戻した。 「計算が終わったの?」 「……いや」 だが、ナギサの問いかけにゆっくり首を横に振ると、 「今回は情報と呼べないものばかりだからな……さっきの小僧の話だけでいい」 酷く優しい声でそう答えた。 「それはサービス? それとも貴方にとってトラッドの近況は、情報に見合うだけの価値がある、ということかしら?」 試すようにナギサ。しかし、声には本音を聞き出そうとするイタズラ心が滲んでいる。 その意図に気づいたがゆえに、彼は言う。 「……何だったら、金を取ってもいいんだぜ? さっきの嬢ちゃんの話は、俺にとっちゃ迷惑なだけなんだからな」 これでも十分にサービスしている、と暗に示すように。 対してナギサは――笑った。 聞く者全てが楽しくなるような、そんな爽やかな笑顔を浮かべて魅せた。 「ホント商売上手ね。うん、今回は私の負けでいいわ。でも、次は勝たせてもらうから」 「勝ち負けを競ってるつもりはないんだがな……まぁいい。とりあえず、今回はそういうこった」 その言葉をキッカケに、くるり、とナギサは背中を向ける。 「いつもありがと」 そして、ひらひらと手を振りながら、最後にそう呟き、晴れやかな表情で店を後にするのであった。 次の話へ
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