1-4 『大きな小屋と麗しき助手』



「うーん……」
 情報屋から受け取った地図を頼りに、ナギサは真っ直ぐ目的地を目指す。しかし、表情はどこか浮かない。というのも、その場所というのが、自宅からかろうじて歩いていける距離だったからだ。さすがに近所とは呼べないが、散歩兼買い物で何度か通った事がある道ではあった。
 怪しい。それもこの上なく。十中八九ガセネタに違いない、と思えるほどに。
 だが、ナギサの足取りは思考や面持ちに反して軽い。
 真実への道筋が見えた、などと楽観視はしていないが――あのメールが届いたタイミング。
 情報屋の彼が言った通り、偶然にしては出来すぎている。
 小説のように。
 漫画のように。
 ご都合主義という言葉が裸足で逃げ出すぐらいに、都合が良すぎる。
 逆にだからこそ、何かの意図を感じたのも事実で、彼がメールの事を口にした瞬間から足を運ぼうと考えたのだ。
  (…………)
 やっぱり楽観視している部分も、少なからずあるのかもしれない。
 改めて気を引き締め直したナギサは、敢えて自宅近くの駅まで戻り、現在はゆっくり歩を進めている。時間を置く事で冷静さを取り戻すためだった。
 自宅前を通り、住宅街を抜けると、川が見えてきた。ナギサは石橋の真ん中でふと立ち止まり、ぼんやりと川の流れを見下ろす。
「……ふぅ」
 桜色の唇から甘い吐息を落とすと、今度は空を眺める。相も変わらず青い空は隅々まで澄み切っていて、太陽も悠々自適に泳いでいる。雨の降る気配など微塵も漂っていない。
 そして、住宅街に視線を戻した時、ふわり、と金色の髪が舞い上がり、ナギサは思わず碧眼を細めた。
 風だ。
 何となく耳を澄ませてみると、さわさわ、と草の揺れる音と淡い香りが鼻孔をくすぐる。
 ふと傍らを見ると、ちょうどタンポポの綿毛が彼方へ旅立っていくところだった。そこで先ほどの匂いがタンポポである事に、ナギサは気づく。
 見慣れた街並みに芽吹く、優しい風景。
 手を伸ばしても手に取る事はできないけれど、いつでも傍に感じられる平穏が、そこには確かにあった。
 きっと珍しい事ではない。
 けれど、何故だろう。
 こういう事でもなければ、人は平和を実感する事ができないように思える。例え誰かがどれほどの言葉を尽くして平和を語ろうと、それは全て別世界の話、あるいは絵空事のように感じてしまうのだ。
 平和がそれだけ当たり前になっているのかもしれない。だから、その大切さや尊さに中々気づく事ができず、ずっと少ないはずの理不尽≠ホかりに目を向けてしまう。
 とはいえ、理不尽が嫌いなナギサは、それさえも無くなって欲しいと密かに願っているのだが。
 そんなささやかな休息を経て、ナギサはヘッドフォンを装着し、足を前に動かし始めた。
 使い慣れたプレーヤーから選んだのは、ボブ・ディランの「Blow in the wind」が含まれたベストアルバム――答えは風に舞っている、というフレーズがしっくりきたのである。
 もちろん、単純に好きな曲だから、という理由があるのも言うまでもない事だった。



 アルバムが中盤に差し掛かった辺りで、ナギサは名残惜しそうにヘッドフォンとプレーヤーをしまい込む。それから、とんとんとん、とつま先で地面を三回叩いてから、じっ、と到着した目的地を見据えた。
 前方には瑞々しい草花に覆われた河原が、長く広がっている。子供の遊び場に最適だとは思うが、それ以上の感想は浮かんでこない――のだが。
 そこには、どっしり、と。
 明らかに異質で、場にそぐわない建物が存在していた。
 粗末な小屋めいた外観だけなら、まだ納得できたかもしれない。しかし、それはちょうど三階建てぐらいの高度と小屋とは言い難い広さを誇っていた。そんなイビツな建造物が何の変哲もない河原にあるのだから、異様というより他に言葉がなかった。
(……随分とふざけた建物ねぇ)
 ナギサは自分の事を棚に上げて、必要のない忍び足で歩み寄る。そうやって距離を詰めれば詰めるほど、造りの荒さが窺え、急拵え感が浮き彫りになってくる。もはや建っている事自体が不思議を通り越し、不可解に思えてくるような有様だった。
 ナギサは碧眼に建物を映したまま、気配を殺して入り口を探した。一歩、また一歩と足を踏み出す毎に、しゃくじゃくり、と雑草の潰れる耳障りな音が鳴った。その度に、警報でも鳴るのではないか、と嫌な想像が首をもたげてくる。
 そして、無事に半周したところで扉を発見。スケールは小さいものの、城門を連想させる観音開きの重厚な鋼鉄製の扉には、銀色のドアノッカーが取り付けられている。単体で見れば、立派というより他にないが、全体で見るとやはり浮いている。普通は観察を続ければ、正体不明感も薄れていくものだが、この大きな小屋――矛盾した表現だが――に限っては、それが一切ない。むしろ、ますます謎が深まっていくばかりだった。
(……さて、どうしたものかしら?)
 結局は一周し、元の場所まで戻ってきたところで、ナギサは唇を指でなぞりながら思案する。
 やはりガセだろうか、という疑念は消えていないのだが、それにしては凝り過ぎている、と考えられなくもない。
(ふぅむ……)
 そこで彼女は、結論を一旦保留し、今度は中の様子を探ろうと窓を探し始めた。しかし、肝心の窓はかなり高い位置しかなく、梯子でもなければ覗けそうにない。どこまでいっても、おかしな家である。
 だが、ぐるり、と再び元の位置についた時、ナギサは不意に気がついた。
 この建物はいつ建てられたのか、と。
 確かにここはナギサの自宅から離れている。しかし、全く通った事のない道、というわけでもない。そして、最近通ったのは、ほんの一週間ほど前。

 その時はまだ、この河原には何もなかった。

 つまり、建てられた時期は、彼女にとっては空白の一週間の間という事になる。
 本来ならさほどアテにならない記憶だが、この奇妙な物体を自分が忘れるとは思えないし、全く話題にならないのも信じ難い話だった。
「……ふぅ」
 考えていても埒が明かない、とため息を落としたナギサは、すーはー、と深呼吸を二度繰り返す。それから、まだ半信半疑ではあるものの、家の主を訪ねる覚悟を決めた。
 まずは、右足を一歩。
 緊張から慎重に足を踏み出したせいか、都会では珍しい土の感触が靴底から伝わってくる事に気づかされる。
 続けて、左足で一歩。
 かさがさり、という雑草の音が不快なぐらい耳についた。
 両足を交互に、数歩。
 建物の側面を通り抜け、ナギサはそこで向きを変える。
 静かに、二歩、三歩。
 鋼鉄製の扉はもう間近にあり、ご用の方はインターフォンを、とか書かれていればいいのに、と少し思った。
 ついに、最後の一歩。
 こうしてナギサは扉の前に立ち、もう一度深呼吸をした。同時に、随分と緊張している、と自覚もする。
 先ほどまであったガセの可能性も、今はすっかり身を潜めていた。
 ともあれ、伸ばした手でドアノッカーに触れ、持ち上げ、カンカン、とそれを扉に叩きつけようとした――瞬間。

(……なに?)

 ざわざわという胸騒ぎを感じた。
 手は止まっている。
 銀色のドアノッカーは、まだ役割を果たしていない。
 それはまるで最後の――もしかすると最期≠フ選択を迫られているようであった。
 ナギサは考える。
 ただ、考える。
 培った直感が何を感じ取っているのかを、ひたすらに思考し、分かりやすい言葉に置き換えようと試みる。
 答えは出ない。
 しかし、ここで引き返すという選択肢もまた、彼女は持ち合わせていなかった。
 そこで、すっ、と目を閉じ、改めて覚悟を決めたナギサは銀色の輪っかで扉をノックした。
 カンカン、と金属のぶつかり合う音が河原にこだまする。そのそぐわなさは、酷く間が抜けているように思えた。
 そんな彼女の胸中など知る由もなく、ぎっぎぎぃ、と扉は重い音を上げて開く。
 隙間から見えたのは、奈落の底を想起させる深い漆黒。
 だが、その時。
 灯りを拒絶するような闇の中で、きらり、と何かが光を放った直後。

 その何か≠ヘナギサをめがけて、襲い掛かってきた。

 ふっ。

 鋭く息を吐いたナギサは、わずかに右へ顔を傾けた――刹那、髪や頬を掠める勢いで何か≠ェ駆け抜けていく。
 その正体は、まるで槍のような形状をした杖だった。
 いや、一見したところは紛れもなく槍だったのだが、尻尾に付いた宝石から杖と判断した、が正確か。
 いずれにしても、もし直撃していればシャレでは済まない怪我どころか、死に至る可能性が高い危険物。
 にも拘わらず、一瞬の静寂を経た後、ナギサが落としたのは、ぴゅー、という賞賛の意を含む軽やかな口笛だった。
「……随分と余裕なのね。それとも単なる強がりかしら?」
 その音を受けて、扉の向こう側から声が響く。それは若い女性の艶やかな声色で、特に悔しそうな雰囲気はない。
 対して、唇を微笑みの形に変えたナギサは、不敵な口調でこう言い放った。
「魔王の棲処に部下がいるのは当然のこと、でしょ?」
 そう、ナギサは既に見抜いていたのである。明確に言葉にはできなかったものの、彼女の直感は暗闇で杖が光った時にはもう、身体に回避を命じていたのだ。
 ナギサはただ、直感に従って行動しただけに過ぎない。
「……それに」
 更にナギサは、金色の髪を指で弄びながら続ける。
「最初から当てるつもりもなかった――違う?」
「ふぅん……その根拠は?」
「頬が無傷な上に、髪さえ散ってないんだもの。本当に当てるつもりだったら、いくら私でも髪まで守りきる余裕はないわ」
「…………」
 沈黙が横たわる中、こくり、という首肯の気配だけが伝わってきた。どうやら正解らしい。
 が、それも束の間。
「さすが、と言うべきかしらね……けれど、一つだけ間違っているわ」
 未だに姿を見せない彼女は、小さく感心の意を示した後、たった一つの間違いを指摘した。
「私は魔王の部下なんかじゃない――単なる助手≠諱v
「助手、ね」
 似たようなものじゃない、と呟き掛けた時、ぎぃぎっぎっ、と扉が重々しくもリズミカルな音で開かれ、
「……へ?」
 ナギサは酷く間の抜けた声を発した。
 しかし、無理もない。
 何故なら、姿を見せたのが燃え盛る炎のような髪と目を持つ、メイド姿の美しい女性だったからだ。物騒な杖の一閃も不意打ちには違いなかったが、先ほどの一撃から腕白で逞しい人物を想像していただけに、こちらの方が遙かに衝撃的だった。
「……なによ?」
 そんな具合にナギサがすっかり心を奪われていると、そこはかとなく冷たい声が、ぴしゃり、と問いかけてくる。実際、彼女の表情には笑みの雰囲気がカケラもなく、もったいない、と思わなくもなかった。
「…………」
 それでもナギサは答えない。どころか、そんな冷ややかな態度も似合っているなぁ、などと密かに感動する始末。さすがに、罵倒されたい、という願望までは抱かなかったが、そのテの趣味の人間には望むところではないだろうか、とは思っていた。全く以て失礼な感想である。
「無反応は困るんだけど?」
「……え? あー、うん。困るよね、あはは」
 更なる追撃に、曖昧に笑うナギサ。いつになく歯切れが悪い。
「こほん……まぁ、とりあえず」
「とりあえず?」
 それを誤魔化すように咳払いしたナギサは、
「……写真を一枚いいかしら?」
 すちゃ、とデジカメをカメラマン顔負けのポーズで構えた。
「却下」
 もちろん断られたものの、そのつれない返事が妙に心地良かったのも、少なからず事実ではあった。

 だが、それから数十分が過ぎても、ナギサはまだ中に足を踏み入れていなかった――その理由は。

「私はナギサ、凪沢ナギサよ。貴女は?」
「……シャロン・シャルル」
「シャロンさんね、ふむふむ……で、一枚撮っていい?」
「だーかーらー何で私を撮ろうとするのよ!?」
「せっかくのメイドさんだし」
「あのねぇ……メイドなんて、今じゃ喫茶店もあるぐらいなんだから珍しくもないでしょう?」
「それはそれ、これはこれ」
「どれなのよ……」
「まぁ、確かにメイドは珍しくない。それは事実よ」
「じゃあ、いいじゃない」
「でも、彼女たちはメイドの姿をしているだけで、貴女のように完成されたメイドじゃないのよ!」
「完成された、メイド?」
「その美貌! その態度! その口調! あと、服の素材も! どこをとっても超一級品じゃない!」
「や、そもそも私は助手であって、メイドじゃないんだけど」
「大丈夫大丈夫、需要はあるから」
「どこに!?」
「少なくとも目の前に」
「はぁ……大体、私なんかの写真を撮ってどうするつもりなのよ?」
「まずはパソコンの壁紙に設定、かしらね」
「ふぇ?」
「あ、もちろん今の声に負けないぐらい可愛く加工するわよ?」
「い、今のは違……って、そもそもの問題はそこじゃない!」
「それに職場でも配る予定だし……ふふっ、みんなの反応が楽しみだわ」
「脅してるの? ねぇ、脅してるんでしょう!?」
「むー、心外ね。私はステキなメイドさんを、少しでも多くの人に知ってもらいたいだけなのにー」
「ッ……!」
「もうこうなったら特集記事を組むしか――」
「それだけはやめて……!」
 メイド服に身を包んだ助手――シャロンと熾烈な戦いを繰り広げていたからである。しかも言葉のバトル(コトバトル)だけでなく、ナギサが隙あらば撮影しようとするので、彼女は抜群の身のこなしで遮ったり、ひゅん、とフレームから逃れていた。レベルで言えば、先ほどの物理的な一瞬の交錯よりも、よっぽど壮絶である。
「……とにかく」
 ともあれ、さりげなくデジカメを構えようとしたナギサの手を押さえつつ、シャロンはため息混じりにこう告げた。
「中で魔王≠ェ待ってるわよ」
「……へ?」
「それがそもそもの目的でしょう? ……まさか、忘れてないわよね?」
 忘れていた。
「そ、そうね。シャロンさんとも仲良くなれたし、そろそろ本題に入らせてもらおうかしら」
 という怒られそうな事実を隠して、ナギサは不審に笑う。
「…………どうぞ」
 一方のシャロンは何か言いたげだったが、藪蛇を恐れたのか、不機嫌そうな面持ちで彼女を招き入れた。
 そんなこんなのやっとの事で、ナギサが扉を抜けると――

 ――そこは不思議の国だった。



次の話へ

トップへ