2-2 『汚れっちまった前哨戦』



 入浴を済ませた後は結局ふて寝をし、トラッドたちと夕食を共にしてから、ふて寝を再開させてしまった翌朝。
「うー……あーうー……」
 眠りすぎた反動で鈍痛を訴える頭を抱えながら、ナギサは起きた。とはいえ、それでも寝たフリをし、ヤヨイに手を引かれて食卓に向かう辺り、意識自体はしっかりしているようだった。
 そんなこんなで朝食の席に着いた際、ナギサはふとトラッドの機嫌が気になった。昨日の夕食では普通――というより、リノがいたので分からなかった。
 よって気づくや否や、ナギサはそれなりに覚悟を決めたのだが、
「ナギサ、おはよう」
「え? あ、うん、おはよう?」
「何で疑問形なんだよ」
「たまにはこういう朝もあるものよ」
「……とりあえず、もうすぐできるから」
「はいはーい」
 思いの外、普通だった。あまりに普通すぎて、覚悟を忘れてしまうぐらいに。
 そして、並べられた朝食は、普段より少し奮発している節があった。
「ナギサは今日、仕事なのか?」
「まぁ、うん」
「じゃあ、しっかり食べないとな」
 しかも妙に優しくて、それが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。
 だから、だろうか。
「……頭、まだ痛む?」
 つい昨日の事をわざわざ訊ねてしまう。
「ん? ああ、さすがに一日で消えるだろ」
「そうなんだ……や、強く叩きすぎた気がした、から」
「いつも同じ、ってのもおかしな話だけどな」
「それもそっか……うん、ごめん」
「別にいいって」
 加えて、謝罪の言葉が自然と唇から零れ落ちた。
 珍しい出来事、ではある。
 だが、たったそれだけで胸のつかえが取れて、曖昧然と漂っていたぎこちなさも消えたように思えた。
 つまり、要約すると――

 ――素敵な一日の始まり、だった。



「いってきまーす」
「はい、いってらっしゃい」
 笑顔で三人を見送り、早々に準備を終えたナギサは、早速外へ出た。そして、相変わらず眩しい太陽に碧眼を細めつつ、とんとんとん、とつま先で地面を三回叩き、気持ちを切り替えてから歩き始める。
 悩みが解消されたおかげか、足取りは軽かったが、
「…………」
 しばらくしてから不意に立ち止まったナギサは、何となく自分の姿を、じっ、と見回した。
 今日の彼女は、濃いグレイのパンツスーツ。ベルトと靴も明るめの茶で合わせており、二日前よりも柔らかい印象の服装だった。
(……おかしく、ないかな)
 いつもより少し長く迷った上で、何となく決めた組み合わせは、特におかしくもなかった。それは確認済みなのだが、今日に限っては何故か気になったのである。
 一体自分は、何を気にしているのだろう。
 結局、回答も問題も出なかったため、ふぅ、と一息吐いてからナギサは歩みを再開させた。
 たんたんたん、と音がする度に、アスファルトの固い感触が靴底を通して伝わってくる。普段と違い、ヘッドフォンは鞄にしまったまま――珍しい事だが、不思議と音楽を聴く気分にならなかった。
 身も心も軽く、悩み事もなくなったというのに、だ。
 そのせいか早くも退屈を覚え始めたナギサは、遠くない未来に待ち受ける魔王との会話(けっせん)に備え、シミュレートを開始した。
 昨日はふて寝を繰り返していたものの、合間合間に自身の行動を振り返ってもいた。
 そこで彼女は気づいたのである。
 まんまと相手のペースに乗せられ、振り回されていた事に。
 巨大な杭が前触れもなく降ってきた、という予想しようもないアクシデントはあったが、それでも話を進める時間は十分にあったはずだった。
 それができなかったのは、初対面の、それも得体の知れない相手に、何の準備もせずに向かい合った事。
 時間が足りなかったのは事実だが、それでもやはり迂闊と言うより他にない。
 よってナギサは、少ない情報から予測を立て始めた。
(…………うーん)

 ――だが。

 取っかかりすら全く思い浮かばない。
 一応、話そうとしている節はあったのだから、もしかすると深く考える必要はないのかもしれない。
 しかし、相手は偏屈を絵に描いたような魔王≠ナある。
 気が変わって話を逸らしてくる可能性もある。
 むしろ、そうしそうな予感の方が強い。
(なら先回りして……)
 真相を話さざるを得ない状況を作り出せばいいのだが、
(……どうやって?)
 肝心の方法が見つからない。
 彼でなければ、いくらでもやり方はあるかもしれないが、果たして乗ってくるかどうか。
 答えはノー。
 きっと情報を駆使して、巧みに、それも予想外の方向に話を逸らしてくるはず。
 そもそも意外性のある人物は大きく分けて二種類、というのが彼女の持論。
 本当に発想が優れているか、不意打ちばかり狙っているか、だ。
 彼に関しては――言うまでもない。
 間違いなく後者であると同時に、少なからず前者の要素も含んでいる。
 平たく言えば、とびきりタチの悪い部類だ。
 そしてナギサは、そういった相手と会話した経験が少ない。大抵はどちらかに偏っている。
(…………)
 つまり、何も策が思いつかないのも無理はないのだが、当然ではあった。
 何故なら、少しは知っていたとしても、それはあくまで少し≠ナしかないからである。
 もしかすると、実際は何も知らないに等しいのかもしれない。
 とその時、ふと思った。
 自分は彼を――魔王≠ナはない彼の事を知りたがっているのだろうか、と。
 しかし、それは束の間。一瞬の気の迷い。
 ナギサはわざわざ一ダース近い否定の言葉を用いて、その考えを懸命に打ち消した。
 それからシミュレートを再開させるものの、今度は考える事すらできない。
 やっぱり今日は、どこかおかしいのだろうか。
 ナギサは何となくそう思うものの、一応は思考し続ける。が、結局は何も思い浮かばず――ふと気づけば目的地に辿り着いていた。
「……こほん」
 と咳払いを一つした彼女は、とんとんとん、と気持ちを切り替え、ざっ、と大きな小屋を一望した。
 一見したところ、破壊された跡は残っていない。
 逆にそれが腑に落ちなくはあったのだが、
(あれ……?)
 その感覚は、より大きな疑問に洗い流された。
 まだ距離が離れているため、錯覚の可能性はあるかもしれないが、全体的に小綺麗になっているような気がしたのである。もっとも粗末である事に変わりはなかったが。
(ま、いいか)
 考えていても仕方がない、とナギサは足音を消して近づく。まるで泥棒か忍者のようだったが、当の本人は全く気に留めていなかった。
 ともあれ、ナギサは間近でじっくり観察する。
(……やっぱり)
 内壁の美しさには遠く及ばないが、やはり綺麗に磨かれている。衝撃の跡どころか、ヒビなどの余波もさっぱり消え失せていた。
(どういう魔法を使えば、こうなるのよ)
 魔王の棲処であるせいか、酷くファンタジィな単語が脳裏を掠め、同時に思い出す。

『大丈夫だよ、シャロンさんは優秀だし』

 余裕たっぷりに紡がれた彼の言葉を。
 しかし、状況を見る限りは優秀≠ニいう一言で片付けられる修復具合ではなかった。
 とはいえ、これで何の気兼ねもなく訪ねられる。
 前向きに解釈したナギサは、入り口の前で二度深呼吸をした。そして、ざわついていた感情が落ち着いた事を自覚してから、がんがん、とドアノッカーを鉄扉に叩きつけた。
「……今開けるわ」
 若干の間を置いてから響いたのは、相変わらず素っ気ないシャロンの声。彼女の麗しいメイド姿を想像してしまったナギサの顔が、ほんの少しだけ緩む。
(っと、いけないいけない)
 しかし、邪念を一瞬で振り払い、自分さえ見失わなければ大丈夫、と言い聞かせる。
 そう、今日こそは目的を果たさなくてはならないのだ。
 そんな使命に燃えるナギサは、
「ど――」
「おじゃましまーす」
 出迎えの声を待たずに、扉が開かれるや否や中へ押し入った。シャロンの魅力に負けないための策、と言えば聞こえも良いが、実際は非常に失礼な行動である。
「さて、今日こそは話を――……」
 ともあれ、些末事には目もくれず、早々に話を切り出そうとしたナギサだったが、
「……は?」
 その目論見は間髪入れずに打ち砕かれてしまった。
 が、無理もない。
「……えー……っと?」
 何故なら、彼女の視界には小さな和風空間が飛び込んできたのだから。
 広さは約六畳ほどで、そこには茶店でお馴染みの赤い長椅子があった。おまけに真っ赤な傘や、妙に風情のある煤け方をした茶器もある上に、桜の花びらまで舞っている始末。彼女でなくても、あるいは元の風景を知っている彼女だからこそ、しばし見惚れてしまうのは避けられなかった。
「おはよう、ナギサさん」
 そんな状況で、これまた不釣り合いに爽やかな声で挨拶をしたのは、何故か四つん這いになっている魔王。
 一方のナギサはというと、
「……一応訊くけど、何やってんの?」
 挨拶はおろか、背中から踏みつけたい衝動に舞い踊る桜色が紡ぐ極上の癒し空間をあなたに≠ニいうキャッチフレーズが相応しい雅な風景へのツッコミも忘れ、何の芸もなく問いかけた。彼女にしては珍しい、一般的な行動である。
「ああ、畳の目を数えてたんだよ」
 対して、あっけらかんと魔王。
 酷くバカバカしい回答である事は、言うまでもなかった。
 とはいえ、一昨日の言葉を実行に移している律儀さは評価できなくもないのだが、
「……で?」
 色々と諦めた彼女は、それゆえに冷ややかな碧眼と声色で続きを促した。
「前と同じように作り直しても良かったんだけど、せっかくナギサさんが来てくれたんだし、ここは精一杯の誠意を見せておこうと思ってね」
 彼は正確に意図を汲み取って理由を話す。
 だが、間違っていた。
「あんたねぇ……!」
 誠意の見せ方どころか、ありとあらゆる何もかもが。
 左の眉を、ぴくり。
 唇の右を、ひくり。
 とつり上げたナギサは、その感情をぶちまけようとした――瞬間。
「それに彼女の格好だって、ほら」
 巧と絶を兼ね備えた妙なタイミングの一言に勢いを削がれ、彼女はつい後ろに振り返ってしまった。
 つまり、何気(なにげ)も考えもない条件反射的な行動。それが失敗、しかもフェイタルな失態だと気づいたのは、約十分後の事。
 だが、やむを得なかった――というのも。

「……なによ?」

 彼女の背後には、藍色の着物に身を包んだシャロンが、真っ赤な目をこれでもかと冷たく向けていたのだから。
 ナギサは自身に問う。
(誰に?)と自問し。
(私に!)と自答し。
 その結果、この広い大空はお前のもの、といった塩梅で理性を遙か彼方に旅立たせたナギサは、
「い、一枚撮っていい!?」
 すかさず取り出したデジカメで彼女をロックオンしていた。
「だから撮るなーッ!」
 シャロンは間髪入れず手首を払い、撮影画面から自分の姿を消失させる。
「いや、撮るわ。私は撮らなきゃいけないのよ……!」
「なんで!?」
 ぱしゃ。
「今! この現在こそが撮るべき瞬間だからよッ!」
「答えになってない!」
 ぱしゃぱしゃ、ぱしゃ。
「美しいものを後世に残すのが、そんなにいけないことなの?」
「や、美しくも残す必要もないから!」
 立て続けにシャッター音が鳴り響く。
「大体あなたはライターであって、カメラマンじゃないでしょう?」
「ライターやカメラマンである前に、一人の人間よ」
「誰だってそうじゃない!」
「誰だってそう――でも、それは自然なこと。いつだって人は美しいものに心を惹かれるのよ。だから私はそれを伝えたい……自分だけじゃなく、他のたくさんの人たちにも知ってもらいたいの!」
「伝えなくていい! 知らせなくていいから!」
「なのに私と魔王だけで独占するなんて……そんなの……そんなの――」
 だが、ことごとく空を切る。
「おかしくない!?」
「おかしくない!!」
 シャロンの防御と回避は、まさしく鉄壁と呼ぶに相応しい、言うなれば神業だった。
 しかし、ナギサも負けてはいない。
 正攻法では無理だと判断した彼女は、
「ぱしゃ。ぱしゃぱしゃ、ぱしゃり」
 身体だけでなく、口でシャッター音を真似るというフェイントまで織り交ぜ始めた。
 まるで似ていない口真似は、普段なら一笑に付すところだったが、
「くっ……!」
 ナギサの巧みなデジカメ捌きに翻弄されているシャロンには、そんな余裕など微塵もなかった。
 繰り返される一進一退の壮絶な――酷くバカバカしいが――攻防。
 飛び交うフラッシュの嵐。
 まるで一昨日の再現だった。
 それも際限のない悪夢のような、再現。
(……ちょっと、何とかしなさいよ!)  完璧なガードを維持しつつ、シャロンは視線だけで魔王に何度も助けを求めた。当然、彼も気づいていた。

 ――だが。

「うん。今日も世界は平和だねぇ」
 最後の砦的存在の魔王は、世界を征服した者にはあるまじき言葉をのんきに呟くだけで。
 結局は最後の最後まで、この無為な私闘の天秤はどちらに傾く事もなかった。



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