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『はぁ、はぁ……はぁ』 乱れた息遣いが二つ、和洋折衷のイビツな城内にこだまする。 「ふぅ……さすが、シャロンさん、ね」 「そういう、あなたも、鬱陶しいぐらい中々……だったわ」 だが、二人の間に険悪な雰囲気はない。むしろ、互いの実力を認め、健闘を讃え合っている。 ひたすらにくだらない死闘の果てに待っていたのは、美しく爽やかな光景だった。 「……シャロンさん」 うっすらと頬を上気させたナギサは、すっ、と右手を差し出す。 そう、戦いの最後を締めくくるに相応しいのは、いつの時代であってもやはり握手なのである。 「ナギサ……」 そこでシャロンは、初めて彼女の名前を呼び、そのまま固く麗しい握手をしようとした――が。 「……って、騙されるかっ」 「へ?」 すかさず手を引っ込め、ナギサは間の抜けたポーズで立ち尽くす事となった。 「せっかく……せっかく友情が深まったと思ったのに!?」 「あら、もしかして真面目だったの?」 「そうよっ! この状況でジョークだなんて、風情のカケラもないじゃない」 少しだけ罪悪感を覚えるシャロン。 「……ちなみに」 だが、ふと気づく。 「もし仮に友情が深まったとして、ナギサはどんな言葉を続けるつもりだったのかしら?」 「もちろん、お近づきの印に写真を一枚――」 「やっぱり」 「しまった……!」 この大胆不敵な彼女が企みもなく行動するはずがない、と。 「ま、まぁそれはともかく」 「ともかく?」 「せっかくだし、今日はこのまま撮影会でも――」 「却下」 「即答!?」 そして、彼女の予想通り、あるいは予想以上に油断も隙もないナギサであった。 「うぅ……今日こそは、と思ったのに」 そんなこんなで本日も一蹴されたナギサは、ようやく魔王の方へと向き直った。元々はこちらが本来の目的であるはずなのだが、彼女の落胆した表情からはついで≠フような空気しか漂っていなかった。 「お疲れさま。残念だったね、ナギサさん」 既に長椅子に座っていた魔王は、労いの言葉をかける。疲労が和らぐような、とびきりの優しい声ではあったが、 「……撮影許可、出してくれない?」 ご機嫌ナナメな彼女は、恨みがましい碧眼で彼に告げる。 「僕自身は別に構わないけど、そこから先はシャロンさんの問題だからね」 「そこをなんとか」 「あとシャロンさんに交渉するのもナギサさんなんだし、結局は二人の問題であって、三人の問題じゃないよ」 しかし、あっけらかんと正論を言われたナギサは、腑に落ちないながらも、ごもっとも、と一応は理解した。 「……にしても」 「なに?」 とはいえ、それで全て納得できるかと言えば、けしてそうでもない。 「随分と楽しそうね」 魔王は相変わらず無表情だったが、何となく察したナギサはうんざりとした様子で皮肉を口にした――が、そこに油断はない。むしろ、隙あらば本題に踏み込もうと、極めて冷静に観察していた。 「楽しいよ?」 にも拘わらず、素直な一言。 身構えていたナギサは、思いっきり肩透かしを喰らってしまう。 「楽しい、ね」 どこかに付け入る綻びはないか。 ナギサは高速で思考を回転させてから、 「それは滑稽という意味で?」 いささか不穏な言葉を用いて、魔王の反応を窺った。 だが、それでも彼は言った。 「ううん。ナギサさんがまたここに来てくれた――それだけで十分に楽しいよ」 「えっ……」 完全な不意打ちに、ぼっ、とナギサの顔に朱が走った。 「ど、どういう意味よ、それ」 「そのままの意味だけど?」 「や、だから……その、そういうことじゃなくて」 「じゃあ、どういうこと?」 そのままの意味――分からなくはない。 要するに彼は、自分がここに来るのを心待ちにしていた、という事なのだろう。きっと。物凄く多分。 それ自体は、まだ、分かる。 分かる事にしておく。 ただ、何故そうなったのかがまるで分からず、彼女は動揺してしまったのである。 「……まぁいいわ」 一体彼は――この魔王≠ヘ。 自分の何を知り、また何を知ろうとしているのか。 一昨日とは違った意味で、不可解な存在だった。 さて、一方。 (ホントさすが≠ニ言うべきかな) 微塵も表情には出さないが、魔王自身も胸中でナギサに感心していた。 彼女――凪沢ナギサは、極めて自由である。 ただし、単に自由なわけではない。 どのような行動、あるいは奇行であれ、自身が正しいと信じきっているがゆえに、一切の迷いがなかった。それでいて彼女は、状況に応じて取るべき行動を絶えず変化させる。加えて、自分を客観視できるだけの冷静さも持ち合わせているため、間違いを素直に認める事もできる。 言葉にするのは簡単だが、実行に移すのは、けして容易ではない。 だからこそ、彼は感心していたし、油断ならない点においても楽しんでいるのであった。 もしかすると、感心した拍子に少し笑みが零れてしまったかもしれない。 「さて……一昨日の続き、始めましょうか」 だが、そんな彼の高評価や好印象に気づく事なく、ナギサは続きを促した。 そこで魔王は珍しく沈黙し、正座に移行しながら思考した。 真実を話すべきか――否か。 話す事自体は、何も難しくはない。 そもそも真実などという大げさな言い方をするほど、大した事実があるわけでもない。 しかし、早々に結論を出した魔王は、 「今日の服装、この前とは少し雰囲気が違うね」 「……………………は?」 関係も脈絡もない、どうでもいい言葉を口にした。 対してナギサは、たっぷり間を置いてから訝しげな声を上げた。今朝から気になってはいた服装の事を言われるとは、夢にも思っていなかったからである。 「どういう意味よ?」 が、色が違うとはいっても、スーツはスーツ。そんなに大差はないはず、と思ったナギサは、ぷくぅ、と少しだけ頬を膨らませながら問いかける。 からかわれている、もしくは話を逸らそうとしている、と警戒したからであった。 「スーツの色もそだけど、一番の変化はベルトと靴かな」 「まぁ、この前は黒だったけど……別に茶色でも珍しくないでしょ?」 それを知ってか知らずか、魔王はこう続けた。 「でも、今の方が柔らかい感じがする。それにナギサさんはベルトと靴の色、あと素材も合わせる傾向があるから、それがますます全体の印象に影響を与えてる」 「そ、そう」 淡々とした物言いに、最初は強気だった彼女も困惑を覚え始めた――直後。 「もしかして、少しは気を遣ってもらうに値する人間になれたのかな?」 「……えっ」 彼にしては少々早口に紡がれた感想に、ナギサの思考は完全に停止してしまった。 同時に、ぼっ、と顔が熱くなる。 それは劇的な変化、と言われて初めて気づいたのだ。 本当に、どういう意味、なのだろう。 かろうじて戻ってきた思考の余地を、ナギサは自問自答に費やす。 一方、少し離れた場所で見守っていたシャロンは、何故か興味深そうな表情を浮かべていた。 それが意味する事とは、一体何か。 そして、いかに優秀とはいえ、まだ人間的な彼女ですらこうなのだから、ただでさえ勘の鋭い魔王ならとっくに気づいているのでは――と考えたナギサは、諸悪の根源である彼の顔を盗み見たのだが、 「どうかした?」 当の本人は、きょとん、とした顔でこちらの様子を窺うだけだった。 演技、だろうか。 何とか平常心を取り戻したナギサは、まず疑いの眼差しを向ける。 しかし、それは一瞬。 もし彼が何か≠ノ気づいているのであれば、すかさず畳みかけてくるに違いない、と思ったのである。 となると――にわかには信じ難いが――おそらくは何にも気がついていない。 そういう結論に至った彼女は、 「……べつに。ただ、スーツ一つでそんな分析をするヤツが珍しかったから少し驚いただけよ」 とっさな割にはそこそこ良くできた嘘を、とっさに吐いた。 「…………」 「な、なによ?」 だが、じっ、と今度は無言で見つめてくる魔王。沈黙は沈黙でも、どこか含みのある重い静寂だった。 今の一言で気づかれたか、元々掌の上で踊らされていただけなのか。 図らずもつい身構えてしまうナギサだったが、 「まぁいいや」 彼はあっさりと追撃の手を緩めた。 一体何だったのだろう。 気になる。非常にではないが、微妙に引っかかる。 (……とはいえ) 果たして、どう切り出したものか。 迂闊な事を口走ろうものならヤブヘビになりかねない。かといって、このまま何事もなかったかのように話を続けるのは、中々に居心地が悪い――ものの。 ナギサにしてみれば、好都合である事に変わりはなく、付け加えるなら、本題を切り出すチャンスではあった。 最大にして重要な、それも唯一の可能性かもしれない好機なのである。 にも拘わらず、彼女は本題を口にしない。 時が過ぎれば回復するというマイナスもあるはずなのに、それでも迷ってしまうのは。 惑ってしまうのは――そう。 「……どうかした?」 きっとフェアじゃないから、と思った時には既に、ナギサは彼に問いかけていた。 「なにが?」 対して魔王は、間髪入れずに訊ね返す。相変わらずの無表情ではあったのだが、 「……貴方のことはよく知らないけど、何となくらしくないかな、って」 何となく察してしまった彼女は、半ば確信的にそう告げていた。 同時に、ふと気づく。 確かに彼≠ヘ、微塵も底が知れないぐらい強敵ではある―― ――けれど。 対峙するからには対等でいたい。 真っ正面から真っ直ぐに向かい合いたい。 つまり、真っ当な会話がしたいのだ、と。 彼女は不意に自覚した。 「……ナギサさんは律儀だね」 「なんのこと?」 一方、わずかな空白を経てから、魔王。ナギサは素知らぬ顔で返事をしたが、何となく認められたような気もして、実は少しだけ嬉しかった――のも束の間。 「それに美人さんだし」 ぽつり、と彼はそう言った。 意外だった。 意外も意外、予想外で想定外で計算外、といったイレギュラーの塊みたいな直球の一言だった。 それゆえにすぐ理解できなかった彼女は、内容を咀嚼(もぐもぐ)し、しばらくは飴玉を砕くように掘削(がりがり)した後、ようやく燕下(ごくん)と飲み込むに至ったのだが、 「……………………えっ?」 消化が完了するや否や、ぼん、と顔が火を噴いた。 過去に言われた事がないわけでもない。紅茶専門店で働いていた時、看板娘として扱われていた事もある。 それでも、なぜだろう。 タチが悪い部類の彼から言われたというだけで、過剰に反応してしまう自分と、否定的な自分が矛盾に同居していた。 「ま、またそうやって話を逸らそうとしてない?」 ナギサはかろうじて返答をするものの、それは単なる強がりだった。 彼の事がよく分からない。 「うん、逸らそうとしてる」 本当に、よく、分からない――と初めて実感し、一方ではこうも思う。 「あのねぇ……そういう目論見は看破された時点で目論見として成立してないんだから、とっとと続きを話しなさいよ」 だからこそ彼≠理解したいのかもしれない、と。 そんな事を考えながら、ナギサは呆れ声で再度続きを促した。 「ちなみに美人っていうのは本心だからね?」 「わ、わかったから、とっとと――」 それでもなお、余計な本音を暴露する魔王に対し、ぼぼっ、と耳まで赤くなった彼女は顔を逸らしたのだが―― ――唐突に。 炎を想起させる彼の双眸が、実験用バーナーのツマミを絞ったかのごとく、鋭利に細くなった。 疑問の声は出なかった。 彼の面持ちが異様に真剣だったからだ。 「シャロンさん」 とその時、魔王は低い声で助手の名前を呼ぶ。 麗しい着物姿の彼女は、こくり、と一度だけ頷く。 そして、外されていた視線をナギサに戻した魔王は、 「四……いや、七秒後に目を閉じて」 予言めいた言葉を神妙に呟いた。 わけがわからない。 しかし、ただならぬ胸騒ぎを覚えたナギサは、胸中でカウントダウンを開始する。 七、六、五。 たった三秒で心臓が五度脈打った。早い。 四、三。 張り詰める緊張感が、先ほどまで弛緩していた空気を凝固させる。 二、一。 そして、ゼロ――の直前。 素早く扉の方を向いたシャロンは、着物の袖から何かを取り出す。それと同時に上がった鉄扉のけたたましい悲鳴に驚きつつ、ぎゅ、とナギサは固く目を閉じた――更に半秒後。 ぽすん、 と何かの落下音が絨毯の上に転がったかと思えば、眼球を焼き尽くす鮮烈な光が爆発した。 次の話へ
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